2-4.警告
「ん~~~ふぁっふぁあ~~、あー、良く寝た」
朝陽がカーテンを透かすのとほぼ同時に、マコは目を覚ました。
「はぁ、お腹空いてるなぁ。昨夜はお夕飯も食べずに寝ちゃったっけ。ご飯の支度……の前にいつものしておかなきゃ」
マコは布団の上で胡座を組むと、いつものように瞑想を始めた。
(あ……魔力が戻ってる……やっぱり身体のどこかで作られてるのかな……)
目を閉じたまま、マコは魔力を観察した。昨日帰った時には一・五センチメートル厚ほどにまで減っていた体表面の魔力が元に戻っている。今までは魔力が目に見えて(見えてはいないが)減ることがなかったため、使った分が回復するものかどうかすら不明だったが、今回の小旅行でそれを確認することができた。
(これで、魔力を気にせず使っても問題ないね)
マコはそのまま、レイコが部屋に来るまで瞑想を続けた。
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「うーん、胃が痛い……」
「何言ってるの。自分から会議に出るって言ったんでしょ」
「そうだけど、やっぱり人前で喋るの苦手……」
「話してくれればわたしからみんなに伝えるわよ?」
「あたしもそうしたいけど……やっぱり実演した方が説得力があるし……」
ぶつぶつと文句を言いながらも、マコは母の後についてマンションの階段を降りて行った。
向かう先は二階の会議室。一昨日、マコがレイコに頼んだ通り、これから始まる今日の会議で、マンションの住人たちの前で自分の気付いたことを話す予定だ。話したところで何の益もないかも知れない。しかし、話さなかった場合に問題が起きたら、マコはそれを後悔するだろう。それよりは、多少の胃の痛みを我慢してみんなの前に立った方がいい。それが結果的に無駄だったとしても。
会議室に着いた時、すでに三十人ほどの人が集まっていた。
「その辺の椅子に座ってて」
並んでいるのは折り畳み椅子だが、薄く小さい座布団が敷いてある。それを持ち上げてみると、座面のビニールが無くなっていることが判った。背もたれのビニールも無くなっているから、座布団を捲らなくても判ったはずだが。
マコが座り心地の悪い椅子に座り、居心地悪そうにしている内に、人も集まって来た。椅子が全部埋まる前に、管理人が会議の開会を宣言し、レイコが進めて行く。
(司会進行、レイコちゃんなんだ)
それは管理人の仕事だと、マコは思っていた。
家にいる時もしっかりしているレイコだが、それでも母娘二人で過ごしている時とは違う凛とした母の姿に、マコは見惚れた。
(レイコちゃん、格好いい)
「次に裏山の探索についてですが、その前にわたしの娘のマコから注意事項があるそうです」
ぼうっとしていると、突然レイコの口から自分の名前が出て、マコは慌ててびくっと立ち上がった。
「は、はは、はいっ」
住民たちの視線が刺さる。
(うわー、嫌だなー、この雰囲気。でも言っとかないと後悔するかもしれないし)
一度目を閉じて深呼吸し、目を開ける。心臓がばくばくしている。もう一度息を吸い込んで、マコは話し出した。
「えっと、本条マコです。えーと、世の中が変わってしまったことは、皆さんご存知の通りです。石油製品は消え、動物や植物は、えっと、別の生き物に変わりました」
今や判り切っていることなのに、何を言っているんだ?という視線を浴びて、マコの頭にますます血が昇る。けれど、途中で止めるわけにもいかない。
「他のものは変わったのに、あたしたち人間が変わっていないのは何故でしょう? 実は変わっているんじゃないか、とあたしは思いました。その結果、こういうことができるようになりました」
マコは手を前に伸ばし、人差し指を立てた。わざわざ手を伸ばさなくても魔法を使うことはできるが、こうした方が視線を集めやすい。
指先から少し離れたところに魔力球を作る。みんなから良く見えるように、少し大きくした。失敗しないように息を整え、魔力を炎に変える。
「わっ」
「きゃっ」
人々から驚きの声が上がる。炎は一秒と経たずに消えた。
「い、今のは?」
最前席の男性が聞いた。マコはその人に目を向け、さらに会場全体を見る。
「魔法です。人は、見掛けは変わっていないけど、魔法を使えるようになったんです。この魔法は、人の身体を覆っている魔力を制御することで使えます。魔力は多分、誰にでもあります。レイ……母にもあることは確認しました。ただ、母は魔法を使えません。コツが必要なんだと思います」
マコは一旦言葉を切り、深呼吸した。身体の震えは炎と共に消えていた。
「ここからが本題です。人には魔力がありますが、同じように、動物にも魔力があります。あたしの家でタマという猫を飼っていますが、タマにも魔力があることを確認しています。と言うことは、魔法を使う動物もいるかも知れません。
だから、裏山の調査に行く時、動物に気を付けてください。ひ弱そうに見えても、魔法を使うとなると危険な動物になりかねません。裏山だけじゃありません。他の動物も無闇に手を出すと、手痛い反撃を受けるかも知れません。充分に気を付けてください」
マコはすとんと椅子に座り、ほっと息を吐いた。言うべきことは言った。これで後々、後悔することにはならないな、と胸を撫で下ろして。
住人たちはと言えば、騒めいている。大騒ぎと言うほどではないが、隣の人と話したり、難しい表情で考え込んでいたり。
その内の一人が立ち上がった。
「あの、危険が発覚したと言うことは、探索計画は白紙ですか?」
「いいえ、続行します」
レイコは即座に応じた。場内から、無茶だ、とか、止めた方がいいんじゃないか、と声が上がる。
その喧騒に、マコは肩を竦めた。言わない方が良かったのかな。せめて、レイコちゃんに相談してからの方が。
レイコは立ち上がった。場内が徐々に静かになる。
「確かに危険の一つは明らかになりましたが、つい先ほどまではどんな危険があるかすら、皆目見当もつかなかったのです。それについても探索の中で確認する予定でしたから。
けれど、娘の今の言葉で、危険の一つが判明し、それに対して事前に準備することができます。つまり、探索をより安全に行えるようになったのです。中止する理由がありません」
レイコの言葉を聞き、会場の人々の様子を見て、レイコちゃん凄い、とマコは心の中で母を賞賛した。裏山探索中止に傾きかけた天秤が、レイコの言葉で一気に逆向きに傾いた。これを人心掌握術と呼ぶのかなぁ、とマコはレイコを尊敬の目で見つめる。
それから、話し合いが重ねられ、裏山の探索は明後日から行われることに決まった。ほっとしたところで「お疲れ様。先に帰っていていいわよ」とレイコに言われたので、会場の片付けは任せて帰ろうとした。
「あの、すみません」
女性が一人、会議室を出ようとしていたマコに呼びかけた。
「はい? あたしですか?」
積極的なご近所付き合いをしていないマコの、知らない女性だ。レイコよりも少し上、三十代半ばだろうか。小学生になるならずの子供を連れている。
「はい。その、娘があなたとお話したいと申しまして」
正直、マコはそんなことよりも早く帰って魔法の練習をしたかったが、無碍にして母のレイコに対する心象を悪くするのも避けたい。今後の運営に支障が出てしまうかもしれないし。
「なあに?」
マコは女の子を見下ろしたまま言い、これじゃ不味いな、としゃがんで目線を合わせてもう一度聞いた。
「お話したいことって?」
「おねえちゃん、もういっかい、まほうみせてっ」
きらきらした瞳でお願いされて断るほどの度胸はマコにはない。
「うん、いいよ。火を出すと危ないから、そうだなあ、これ見てて」
マコはまた指を立てた。指を取り巻くように魔力環を複数作る。初めての試みだったが、複雑な一つの魔力塊と考えれば、そう大変ではなかった。それを今度は光に変える。立てた指の周りに、小さな光の樹が生まれた。
「わぁ、きれい」
女の子はぱちぱちと手を叩いた。
「大したもんだ」
「凄いわね」
上から落ちてきた声にマコが頭を上げると、大人たちが何人かマコを取り囲んでいた。集中が途切れ、魔力の供給が途絶えて光の樹は虚空に消える。
「え、いえ、まだまだです。今みたいにすぐ消えちゃいますし」
「それでも凄えよ」
「他には何かできないの?」
「えっと、今のところは、火と光を少し出せるだけ、です」
熱したり冷やしたりもできるが、見た目で解らないので言わないでおく。物を動かせることも言わなかった。実演を求められたら面倒そう、と考えて。
「あとでまたみせてね」
いつまでも会議室の出入口付近で固まっていては、と、適当なところで解散し、女の子もマコに手を振りながら、母親に連れられて行った。人々に囲まれたのには驚いたけれど、女の子も喜んでくれたから、いいかな、とマコは思った。
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翌日の昼間。マコが水を汲むために井戸に行くと、水汲み係を買って出ている子供たちが集まって来た。
「まほうつかいのおねえちゃんだっ」
「まほうみせてっ」
昨日の今日でどうして、と思えば、昨日の女の子も混じっていた。子供のネットワークも侮れない。
「その前に、みんなに水を汲んであげて。ほら、小父さんが待っているから」
その小父さんは、子供たちが井戸から離れてしまったので、自分で手押しポンプを動かしている。子供たちは、おれがやる~、などと言いながら戻って行った。
子供たちは、手押しポンプで水を汲むのが楽しいらしく、率先して水汲みに名乗りを上げていた。それから毎日続いている。井戸の傍では、先日ホームセンターから手に入れて来たコンクリートを使って、大人たちが洗濯場を造っている。広場には何張りかテントも張られているし、明日からは裏山の調査も始まる。この状況になってからおよそ一週間で、いろいろと形になって来た。
マコは、自分の水筒に水を汲んでもらうと、井戸の傍で子供たちに魔法を披露した。水を求める住民がいる時は、子供たちに交代で水汲みをさせながら。
「うわぁ」
「すごーい」
「きれい」
見映えのする、炎と光への変換魔法だけしか披露していないが、子供たちの評判は良かった。魔力の形に色々と工夫を凝らしたことが高評価のようだ。
「火を起こせたら便利ね」
「夜も明かりを取れそうだし」
周りにいる大人たちも見学している。子供たちと違い、見た目だけでなく実用のことも考えているらしい。
実際、今や本条家の食事はマコが魔法で調理している。火で焼くだけでなく、冷凍食品を魔力で包んで直接温めたりもしている。その方が効率もいい。
「はぁ、疲れた。今日はここでおしまいね」
マコは出していた光を消して言った。実のところ、これくらいの魔法の行使では今や疲労を感じることもないが、延々と続けるわけにもいかない。
「もっとみせてよ~」
子供たちは容赦ない。
「ごめんね、でもこれ、結構疲れるのよ。また後でね」
「しかたないなあ。またみせてよ」
何故か上から目線で言う子供たち。マコは笑ってマンションへと戻った。
「はぁ、やっぱり人に囲まれるのは苦手だなぁ。魔法を見せたの、失敗だったかなぁ」
魔力を使って軽くした水筒入りのエコバッグを肩に掛けて階段を登るマコの口から出るのは溜息だった。