15-4.故郷への出発
苦労していた結界の実現を、魔鉱石を使うことで呆気なく実現したマコは、帰郷への途上での野営を、マモルに再度、進言した。しかし、夫の答えはノー。
「必要に迫られた時のために訓練しておくのはいいが、いきなり本番は駄目だよ」
「でも、キャンプってたいてい、みんないきなり本番じゃない?」
「キャンプもしっかり準備しているし、それに最初は管理されたキャンプ場でやるものだ。野営とは全然違うよ。ましてや今は、以前の日本とは違うんだから」
マコは食い下がったものの、夫の壁は厚く、突破は叶わなかった。
しかし、マコにしても、マモルが任務ではなく本気で自分のことを心配してくれている、と解るので、それ以上は食い下がることなく、マモルの言葉に従うことにした。残念だな、とは思うが。
一度、無人となった集落で野犬から身を隠して一夜を過ごした経験のあるマコとしては、マモルという頼もしい護衛と一緒であれば、野営など楽勝じゃないかな、と思っている。ある意味野営というものを嘗めているわけだが、そのことを踏まえても、マモルの判断は正しいだろう。
二台目の自動車の作製も順調に進み、その完成予定に合わせて移動魔法教室のモデルケース旅行計画を立てた。
魔鉱山の時とは違って秘密にすることもないので、事前にフミコにも伝えた。フミコは、マコが行くなら自分も、と最初は言ったものの、レイコの故郷への帰省も兼ねていることを伝えると、同行を遠慮した。
代わりというわけではないだろうが、フミコは本番の移動魔法教室には同行する意気込みを見せた。その彼女にマコは、かなりの長期間に及ぶこと、その間はほとんど連絡が取れないこと、野宿の可能性もあることなどを噛んで含めるように伝え、熟考するように促した。
マコの説明を神妙な面持ちで聞いたフミコは、良く考える、と言って別れた。何にせよ、まだ先の話だから、考える時間は十分にある。
小旅行の準備を進める傍ら、マコは魔法の探究や特別魔法教室や新しい宅地の造成の手伝いなど、コミュニティでの普段の仕事をこなして過ごした。
数日が経過して出発が近付いたある日、外の情報が自衛隊からもたらされた。
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「今度は豪州東部かぁ。日本、欧州、豪州、うーん、これだけじゃ規則性があるのかどうかも判らないね。間隔は、少しずれはあるけど半年ごとくらい?」
自衛隊から、四週間近く前に三度目の異変の観測の報が伝えられた日の夜、マコはマモルと夕食を摂りながら、その話題を口にした。
「それくらいだな。ただ、前にも言ったけれど、人の住んでいない地域で起きていたら、間隔が正しいかも判らないな」
「そうだね。地表の七割は海なわけだし、人知れず異変が起きている可能性は高いもんね。陸地にも人の住んでいないとこあるし」
陸地と海洋の割合を考えると、異変の範囲が陸に寄っているように思えるが、実はそうでもない。二度目の異変の範囲はほとんどが陸地だったが、一度目と三度目の異変は大部分が海洋だ。異変の発生した地表の割合としては、それほど偏ってはいない。
「また米軍から救援要請とかの依頼あるのかな」
マコは言った。正直な話、異変から一年が過ぎたとは言え、まだまだ復興の終わりの見えない日本──と言うより、このコミュニティ──を離れて他国を積極的に支援したいとは思えない。
「それは多分ないと思うよ」
マモルは、マコの懸念を払拭するように言った。
「どうして?」
「豪州の異変は、首都のキャンベラや最大都市のシドニーを含んでいるけれど、国土の大部分は異変の外だ。最大の駐留米軍基地も異変の外にあるから、豪州としても米国としても、自分で動ける範囲で対策を打てるだろう」
「そっか。欧州の時は日本みたいに国土の大部分が呑まれた国もあったもんね。じゃ、今回はあたしの出番はないね」
マコは内心、胸を撫で下ろす。
「それより、日本の米軍基地の動きの方が気になるな」
マモルはナスのような形の野菜を使ったサラダを呑み込んで言った。この野菜は、形はナスっぽいが、味や食感はキュウリに近い。
「日本のって、この近くの、あそこの?」
マコは、しばらくの間通っていた米軍基地の方角に顔を向けて言った。
「うん。どうも、軍備を増強しているようだ、という報告がある」
「今さら? 何でだろう?」
そう言われてみると、最近、大きい飛行機がちょくちょく飛んでいるな、と思いながらマコは聞いた。
「理由はいくつか推測できる。有力なのは二つだな。一つは、異変によって太平洋北西の軍事力が極端に低下したから、その増強というもの」
「日本駐留の米軍って、大陸の大国に対する牽制って意味もあるもんね。でも、日本に配備できる数って上限が決まってるんじゃないの?」
「今や、日本政府はあってないようなものだからな。無視しているか、あるいは異変で使えなくなった兵器の補充分だけ、かも知れない」
「確かに、レイコちゃんの話だと、今の日本政府は話にならないらしいもんね」
マコは、ひと月半ほど前の、政府の人間と名乗る人物がコミュニティを訪れた時のことを思い出しながら頷いた。
「もう一つの推測は?」
「もう一つは、兵器の避難だ」
「避難? 兵器を?」
「うん。異変に呑まれると、全部ではないが兵器も使えなくなるからな。今使えるものを、できるだけ分散させておこうとしている、という推測だ。あるいは、一度異変が起きた日本なら安心、という理由かも知れない」
「なるほどね。でも、一度起きた土地では二度と異変は起きない、って考えてるとしたら、レイコちゃんとは逆の考えだね」
「そうだな。まあ、それも自衛隊で推測しているだけだから、本当の理由は判らないけれどな」
「聞いても教えてくれないだろうからねぇ。まあ、日本で戦争を始めたりしなければ、別にいいかな」
「そうだな」
マモルは簡単に答えたが、自衛隊ではもちろん、米軍の動きを注視している。今の自衛隊は、ほとんど復興支援部隊と化しているが、その活動、ひいては復興に横槍を入れられては堪らないので、怪しい動きがあれば対応する必要がある。異変により装備が貧弱になった上、補給もままならない今、どんな対応が可能かは判らないが、それでも、備えることは必須だった。
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三度目の異変報告の後は特に何事もなく日が過ぎて行き、作製していた自動車も予定通り完成して、出発の日がやって来た。マコとマモルのほかに、シュリとスエノも乗り込む。二人は今は、マコの護衛以外の任を解かれているので、ここを離れても問題ない。また、護衛が一人ではマコの身の安全を完璧には守れないだろうという判断もある。
運転席にはスエノが座り、助手席にはシュリ。マコとマモルは前席と荷台の間の後席だ。
レイコとヨシエ、それにフミコの三人が見送りに来た。
「先生、行ってらっしゃい」
「行って来ます。悪いけど、お土産は期待しないでね」
「解ってるよぉ」
手を振るヨシエに冗談めかして答えると、ヨシエはちょっと頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻った。
「マコちゃん、気を付けてね」
「はい、気を付けます。頼もしい護衛が三人もいるんですから安全対策はばっちりですよ。それに、毎日何時間かは戻って来るんですから」
フミコを安心させるように、マコは微笑んだ。
「マコ、無理はしないようにね」
「うん。無理するようなことは無いと思うし、大丈夫だよ。あっちに着いたら、迎えに来るから待ってて」
マコはレイコにも手を振った。
「それでは発車します。皆さん、離れてください」
ハンドルを握るスエノが言って、見送りの三人が少し離れると、自動車はゆっくりと走り出した。マンションの敷地を出ると、時速三十キロメートルほどの速度を維持して進んで行く。
「しばらくはこのスピードですか?」
マコは前の席に聞いた。
「ええ。広い幹線道路に出たら速度を上げます。道路の状態によっては、あまり出せないかも知れないけれど」
助手席のシュリが答えた。
「急ぐ旅でもないし、のんびり行きましょう」
マコはそう言って背もたれに背を預けると、隣のマモルに顔を向けて微笑んだ。マモルも笑みを返した。
走行距離にして、およそ百六十キロメートルの旅が始まる。