15-2.帰郷計画
ある日、レイコの元をマコが訪れた。
「どうしたの? 改まって」
「うん。えっと、場所変えていいかな?」
「? 構わないけれど」
マコの様子から、他人には聞かせたくない話なのだろうと、レイコは見当をつけて頷いた。
「じゃ、ちょっと手を出して。驚かないでね」
マコに手を取られたレイコは、次の瞬間、景色ががらっと変わって目眩がした。遥か彼方に見える地平線。そして眼下には広場や畑や住宅地。
「ここは……屋上?」
ざっと周りを見渡して、レイコは言った。
「うん。レイコちゃん座って」
マコは、いつの間にか目の前に現れた木製のベンチを示した。レイコは溜息を吐きながらベンチに腰掛けた。
「しょっちゅうこんなことしているの?」
「そんなことないよ。まだ二回目」
「あんまりやらないでよ。小さい子が知ったら、絶対に自分も、って言い出すから」
「その辺は弁えてるつもり」
「それなら、いいわ」
一回目は誰を連れて来たのか、レイコは問い質したりしなかった。当て嵌まる人物は一人しかいないのだから。
「それで、どんな用?」
「うん。えっとね、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会いに行こうかと思うんだけど、いいかなぁ?」
レイコは、自分をおずおずと見つめる娘の瞳を真っ直ぐに見た。
「どうして?」
色々と懸念もあって、マコの提案を無条件に受け入れることはできなかったが、それらの懸念をまずは心の中に押し込めて、レイコは聞いた。
「もう一年以上会ってないから、久し振りに会いたいっていうのと、世の中が激変して生活とか心配ってこと」
「そうね。わたしも二人がどうしているのか心配ではあるし。でも、色々な意味で、そうは言っていられないのも解るでしょう?」
「うん。ここだってまだ復興の途中だし、みんなだって離れた家族と会えないのに、あたしたちだけ会いに行くのもどうかと思うし」
「他にもあるわよ」
レイコにとっては、それが一番の懸念材料だった。
「他に何かある?」
「ええ。それは一先ず置いておいて、それでも行くなら名目が必要になるけれど、何か考えているのかしら?」
「うん、まぁ、一応。これからの社会ってどうしても魔法が必要になるでしょ? なければないで何とかなるとは思うけど、せっかく便利な能力があるんだから、使った方がいいじゃない?」
「そうね。それで?」
レイコは頷いて先を促した。
「でも、今はこのコミュニティと、ここと関係のあるコミュニティにしか、魔法使いはいないって話でしょ? もしかしたら、ここまで伝わっていないだけかも知れないけど」
「ええ。自衛隊の駐屯地や基地の間で情報交換しているそうだけれど、そういう話はないようね」
「それなら、すぐと言うわけじゃないけど、その内にあたしが日本を回って魔法を広める必要があると思うんだよね。あたしの他にも魔力感知を引き出せる人は何人かいるけど、何でも教えられる人っていないし。ううん、教えるだけならできるけど、実演できないし。
それで話は戻るけど、その、魔法拡散のための旅のモデルケースとして、故郷に行くってのもありかな、って思って」
「そのついでに、お祖父ちゃんお祖母ちゃんに会ってくるわけね。名目は、それで立つかしらね。でも、マコ、本当に日本中を歩いて回るつもりなの?」
レイコは聞いた。どちらかと言えば、家の中に閉じ籠りがちだった娘の変化に、内心驚いて発せられた問だった。
「歩きじゃなくて自動車で回るつもり……って、そこはどうでもいいね。でも、魔法を広めるのは必要なことだし、今のところ、それってあたしにしかできないことだから、いつか、それもそんなに先になる前にやるつもりだよ。早ければ早いほどいいし」
「そう。でも、やっぱり故郷に様子を見に行くことは、勧められないわね」
レイコは、深く考えながら言った。
「どうして?」
「マコ。故郷の家にお祖父ちゃんお祖母ちゃんに会いに行ったとして、二人がいなかったら、どうするつもり? それでも大丈夫?」
「いなかったらって?」
レイコは、少し間を置いてから口を開いた。
「他の人たちにはあまり話していないことだけれど、自衛隊から聞いた話では、ここの外は酷いようよ。色々な理由で人が亡くなっていて。日本全体では、少なくとも人口の三割が亡くなっていると見積もっているらしいわ。それを考えると、万一と言うことは十分にあり得るわよ」
レイコの言葉に、マコは考えを巡らせるように、しばらく口を閉ざしていた。けれど、その時間は長くはなく、再びレイコに顔を向けたマコの表情に迷いはなかった。
「大丈夫。覚悟はしているよ。それに、少しは実感もあると思うし」
「実感?」
「うん。海辺の街とか魔鉱山に行く途中でも、荒れた家とか結構見るし、誘拐された時だって集落一つが丸々無人になっているのを見たからね。うん、大丈夫」
マコは、自分を納得させるように何度か頷いた。
「そこまで言うなら、無理に反対はしないけれど」
「ありがと。自衛隊の人にも相談しないといけないけどね」
「そうね。マコの護衛に三人もつけてくれているのに、名目はあるとは言え、護衛対象に私用でふらふらされたら堪らないでしょうからね」
「だよね。マモルに相談して、必要なら駐屯地の司令官とも話すよ」
「その時はわたしも同席するから」
「うん。レイコちゃんはどうする?」
「どうするって?」
娘の問に、レイコは首を傾げた。
「レイコちゃんもお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会いたいんじゃない?」
「それはそうだけれど……でも、ここを離れるわけにもいかないし」
「大丈夫だよ。お祖父ちゃん家って、ここから精々、百キロちょっとでしょ? 魔鉱山より近いくらいなんだから、途中に一箇所魔鉱石を仕込んでおけば、あたしが向こうに行ったら瞬間移動で迎えに来れるよ。日帰りも余裕だし、何なら、一時間だけ会いに行くこともできるよ」
レイコは感心したように、それとも呆れたように、娘を見た。
「そういうことなら、お願いしようかしら。それにしても、魔法って便利なものね。一瞬であんなに遠くまで行き来できるなんて」
「そこまで万能じゃないけどね。異変前に使っていた道具の劣化版くらいに思ってればいいと思うよ」
「マコを見ていると劣化どころか強化されているようにも思えるけれど」
「そんなことはないよ。これから先も研究を続けていけば、もしかしたらそうなるかも知れないけど、今はまだまだ劣化版だね」
マコはそう言うが、一部は明らかに強化されているでしょう、とレイコは思う。瞬間移動はその最たるものだ。物理法則をも超越しているのだから。本当に超越しているのか、確認しようもないが。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
レイコに伝えたその日の夕食時に、マコはマモルに祖父母を訪問する計画を話した。
「自衛隊としてはどうなのかな? 護衛対象が勝手気儘に動いちゃっても良いのかな?」
「問題ないと思うよ。基本的には護衛対象の行動制限はないから。もちろん、自ら危険に飛び込むとか、護衛から逃亡するとか、そういう行動をされたら困るけれど、日常生活の範囲なら制限はないし、旅行も日常生活の範囲に収まるから。事前に計画は聞いておくけれどね」
「良かった。それなら大丈夫だね」
「問題は道路状況だな。百何キロなら、異変前で考えれば日帰りも可能な範囲内だけれど、道路が荒れていたり塞がっていたりしたら、最悪野営も必要かも知れない」
「魔鉱山に行く道は割と大丈夫だったけど」
マコは首を傾げた。
「あそことは、事前に何度か行き来して、道もある程度は整備していたからね」
「そっか。でも、野営は必要ないと思うよ」
マコは安易に請け合った。
「そうとも言い切れないよ。道路状況次第なんだから」
マモルは妻を嗜めるように言った。しかしマコは、笑顔でその懸念を払拭した。
「そうじゃなくて、野営が必要になったら瞬間移動で帰って来ればいいんだよ。行った所に魔鉱石を置いておけば、次の日はそこから再開できるし」
「そうか。マコは魔鉱石さえあれば、百キロ近く瞬間移動できるのか。世界が変わるな」
一瞬、呆気に取られたようになったマモルだったが、納得して頷いた。
「なかなか、魔法を生活の中で自然に考えることには慣れないな」
「魔法って、まだ使えるようになったばっかりだもんね。日常生活で自然に使えるようになるには時間が必要じゃないかな」
「マコは、今はもう、ほとんど自然に使っているだろう? コツとかあるのかな?」
マモルの疑問に、マコはうーん、と考えた。
「そうだなぁ、魔法で出来ることと出来ないことの境界を見定めて、その上で日常生活で壁に当たったら魔法で代替できないか考える、かな」
「マコを見ていると、ほとんど考えることなしに魔法を使っているように見えるけれど」
「それはあたしが、自分の魔法の限界を常に意識しているからだと思うよ。正確には、限界を伸ばそうといつも練習してるから、その時の限界を知っているって言うのかな。それで、“考える”時間が短くても、それが魔法で出来るかどうか、瞬時に判断できるってだけで」
マコは、なんでもないように言った。実際、それは今や、マコにとってはごく当たり前のことだった。
「なるほどね。常に自分の魔法の限界を意識していればいいってことか」
「うん。無意識に意識している、っていう状態が一番だと思うけど」
「また難しいこと、って言うより矛盾したことを言うね」
「でも、ニュアンスは解るでしょ?」
「まあね」
マコのように魔法を使えるようになるのはまだまだ先だな、とマモルは思った。
「それで話を戻すけど、お祖父ちゃん家に行くのは大丈夫だとして、魔法を広めるために全国を回るのも大丈夫かな? しばらくここを離れることになるけど」
長期間、護衛対象の所在が不定になっても問題はないのか、マコは尋ねた。護衛自体は問題ないだろうが、その間ずっと、定期連絡も取れないことになる。マモルたちがそういうことをしているのか、マコは知らなかったが、しているだろうとは思っていた。
「確かに、本隊はマコにここを長いこと離れては欲しくないだろうけれど、同時に魔法を広めてもらいたいとも考えているはずだ。だから、交渉次第だとは思うが、問題ないと思うよ。最悪でも、マコが行きたいと強く言えば、反対し切れないよ。自衛隊には、法にも触れていない民間人を拘束する権限はないから」
「なら、問題はないと思っていいね」
「ああ。何かあっても、俺が全力でサポートするよ」
「頼りにしてるよ」
マコは夫に笑いかけ、マモルも妻に微笑み返した。