2-3.帰宅
「ただいま」
「お帰り~。台車持って来た?」
キヨミのアパートに戻って来たレイコをマコが迎えた。
「ちゃんと持って来たわよ。大きいのにしたから重かったけれど。キヨミは?」
「ベッドでデッサンしてる」
「もう、仕方ないわね。少しでも休んで欲しいのに。ちょっとキヨミ、何してるのよ」
レイコは部屋に入るとすぐにキヨミに文句を言いに行った。
親友を窘めている母に苦笑しつつ、マコはタマを労った。
「タマ、ご苦労様。ご飯食べる?」
「グワァゥ」
食器棚から取り出した皿にキャットフードを盛り付けると、タマは尾を振って喜びを表現しながら食べ出した。
「いつまでもキャットフードってわけにもいかないよね。昨日買ってきてもらったのがしばらくはあるけど。それはあたしたちもなんだけど。そう言えばタマ、今日は何か捕まえて食べてたけど、お腹壊して……そうにはないね」
タマはマコの言葉など聞こえないかのように、食事に夢中になっている。
マンションからの道中、タマは何やら見つけた獲物を狩っていた。飼い猫にしては慣れた動きだったな、とマコはその光景を思い出す。もしかすると、普段から家の外で狩をしていたのかもしれない。それとも、身体が変化したことで野生の本能が呼び覚まされたのだろうか。
「人間を襲っちゃ駄目だよ。殺されちゃうからね」
長い毛に覆われたタマの頭を撫でながら、マコは語りかける。その時、微かな違和感を感じた。
(ん?)
マコは撫でる手を止めて、タマの頭に手を乗せたまま注意深く観察する。極僅か、魔力を感じた。レイコよりも少し薄く、〇・五ミリメートルほどだろうか。その薄さと、体表が長い毛に覆われているため、今まではまったく気付かなかった。
(知らなかったけど、魔力を持ってるのって人間だけじゃないんだ。なら、タマにも魔法を使えるのかな……?)
タマだけではない。タマに魔力があるなら、ほかの動物にも魔力が宿っていると考えた方がいいだろう。
(だとすると……)
マコの脳裏に悪い光景が浮かんだ。
(いやいや、まだ大丈夫。動物だって使い方は解らないだろうし)
けれど、注意しておくに越したことはない。何が起こるか判らない世の中になったのだから。
「レイコちゃん」
マコは、キヨミへの叱責を終えた母に呼びかけた。
「何?」
「裏山の調査、いつから始めるの?」
「そうね、まだはっきりとは決まっていないけれど…… お巡りさんも協力してくれることにはなったから、この先二~三日の内かしら」
「じゃ、その前にあたしも会議に出たいんだけど。話したいことがあって」
レイコは目を丸くした。
「どうしちゃったの? 前は頼んでも出なかったのに」
「うーん、理由はその時に解るよ。今言っても仕方ないし」
離れた地にいる今、話しても仕方がない。以前なら二十キロメートル程度は電車や自動車を使えば大した距離でもなかったし、離れていても連絡を取り合う手段は複数あったのだが。色々と不便になったものだ。
「解ったわ。明日か明後日には帰るとして、着く頃には暗くなっているでしょうから、次の日にね」
「うん、それでいい」
マコは頷いた。
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キヨミはかなり衰弱していたものの、レイコの言葉で安心した後は良く食べ良く眠り、翌日陽の昇る前に起床した時には自力で立ち上がり、歩き回れるほどに回復した。もう一日、あるいは数日泊まることも検討していたレイコは、キヨミの様子を見てその日の内にマンションに帰ることを決断した。
「レイコ、ミシン持ってっちゃ、駄目?」
キヨミは上目遣いでレイコに聞いた。
「駄目って言うか、残念だけれど持っていけないわよ。重くて。電子制御のは動かないし」
「うう、ミシン……」
「文句言わない。後で取りにくるか、マンションで持っている人を探して借りるかするから」
「うん……」
母とその親友のやり取りを見ながら、キヨミさんは相変わらずだな、あたしより子供みたい、とマコは思った。
隣に家を構えているアパートの大家には、キヨミを連れて行くことを昨日の内にレイコから伝えていた。その大家も日の出と共に起きていたらしく、たまたま玄関から顔を出したのに合わせて改めて挨拶し、母娘はキヨミを連れて帰路についた。
はじめの内はキヨミも自分の脚で歩いていたが、一キロメートルも行かない内に根を上げた。
「レイコぉ、もう無理、歩けない」
以前のキヨミであればもう少しは体力もあったはずだが、四日間まともな食事を摂っていなかった彼女の体力は極限まで低下していた。
「それじゃ、台車に乗って」
「……うん」
台車には毛布を敷いてあるが、砂利道での乗り心地は最悪だろう。それに、路面がそんな状態だから、人ひとりを載せた台車を動かすことも、結構な力を必要とした。
「レイコぉ、揺れるよぉ」
「仕方ないでしょ。アスファルトなくなっちゃったんだから」
自分で提案したのだが、やっぱり台車に人を載せて運ぶのは無理があったかな、とマコは責任を感じた。
「レイコちゃん、ちょっと止まって」
マコは、ここで昨夜考えていた魔法を試すことにした。一応、部屋にあったもので試しはしたが、ほとんどぶっつけ本番だ。
「あまりゆっくりしている時間はないのだけれど」
レイコはそう言ったものの、マコが理由もなくそんな提案をするわけがない、と解ってもいるので、娘の言葉に従った。
マコは台車の近くに立ち、意識を集中する。足の先から魔力を伸ばし、台車の車の下に敷いてゆく。
「いいよ、レイコちゃん、動かして。ゆっくりね」
「解ったわ」
レイコが台車を押すと、思いの外滑らかに動き出した。
「あら? これなら楽ね。これも魔法なの?」
「……説明は後で。集中しないと危ないから」
「はいはい」
魔力を感じられないレイコには、マコが何をしているのかさっぱり解らない。けれど、眉間に皺を寄せて睨むように道路を見つめながら台車に合わせて歩いている娘を、頼もしく見つめた。
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「マコ、さっきの魔法は何をしたの?」
途中、道路脇の公園に入って昼食を摂りながら、レイコは聞いた。
「えっと、魔力を車の下に集めてほんの少しだけ持ち上げた」
魔力をエネルギーに変えられるなら、運動エネルギーにも変換可能ではないか、と思い付いたマコは、昨夜毛布に包まってから練習を始め、部屋の中の鉛筆を浮かせることに成功していた。
鉛筆は極少量の魔力で疲労も感じることなく簡単に動かすことができたが、人を乗せた台車を浮かせるにはかなりの魔力と集中力を必要とした。おかげでマコの魔力もそれなりに減った。今の厚みは一・八センチメートルほどだ。普段の厚みは約二センチメートルだから、一割ほどを使ったのだろうか。減ったと実感できるほどの魔力を使ったのは、これが初めてだった。
「便利ねぇ。私にも使えないかなぁ」
キヨミが菓子パンを齧りながら羨ましそうに言った。
「自分で魔力を感じられるようになれば使えると思いますけれど。キヨミさんもレイコちゃんと同じくらいの魔力はありますし」
「そうなのっ!?」
キヨミの表情がぱっと明るくなる。
「でも、わたしは全然使えないわよ」
レイコがキヨミの夢を打ち砕くように言う。
「でも、“まりょく”は私やレイコにもあるんでしょ?」
「はい」
マコは頷いた。
「それなら、頑張れば使えるってことよね」
「そうですね。まずは魔力を感じられるようになることからですね」
「どうやれば判るの?」
「それがあたしにも解んないんですよね。キヨミさんには肌の上に一ミリくらいの厚みで魔力があるから、まずはそれを感じられるようになってください」
「見えないものを感じるって難しいなぁ。でも頑張ってみる」
昼食を終えたキヨミは、出発までの時間ずっと自分の掌を見つめていた。
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マコがずっと魔法を使っていたお陰で、三人は陽の沈む前にマンションに辿り着くことができた。
「レイコちゃん、ごめん、寝かせて」
ずっと魔法を使い続け意識を集中し続けていたマコは、マンションに着くまでに精神力を使い切り、その疲労から来る眠気で、家に戻るなり自分の部屋に直行してベッドに倒れ込んだ。
「マコちゃん大丈夫?」
マコに毛布を掛けるレイコの後ろから、キヨミは心配そうに聞いた。
「大丈夫、ぐっすり眠っているだけ。何もしてないように見えていても、余程疲れたのね。ゆっくり眠らせてあげましょう」
「そうだね。マコちゃんのお陰で、台車なのに乗り心地は悪くなかったもん」
そっと部屋から出て行く二人の大人のことなど知らずに、マコは泥のように眠り続けた。
マコの使える魔法:
発火
発光
発熱
冷却
念動力(new)