13-5.療養日
レイコは、マコの住宅の前に立って扉をノックした。ひと呼吸待ってから、扉を開けようとして、動きを止める。
『あ、レイコちゃん。いらっしゃい。どうぞ入って』
どこからともなく聞こえる声に辺りを見回す。
『あたしは中だから、そこにはいないよ。入って』
重ねて告げられる娘の声に、レイコは頭を振ると、扉を開けて中に入った。
寝室に行くと、マコはベッドに起き上がって身体をほぐしていた。
「マコ、身体は大丈夫なの?」
レイコは、昨日目覚めたばかりの娘の身体を心配した。
「うん。まだ体力って言うか身体の筋肉が足りない感じだけど、何日か食べて休んでれば平気そう」
「無理はしないでよ」
「うん。少しは動いた方がいいって言われたし。動けるのはまだ部屋の中くらいだけど」
レイコは、娘の様子を見て、無理をしているわけではなさそうだと胸を撫で下ろす。
「レイコちゃんこそ無理してない? ちゃんとご飯食べて寝てる? 働き過ぎてちゃ駄目だよ」
逆にマコに心配されたレイコは苦笑いした。
「わたしは大丈夫よ。陽が沈んだら寝るしかないし。マコに魔法を教えてもらったから少しは夜なべもできるけれど、慣れないから疲れるし」
「うんうん、それがいいよ。働き過ぎてもいいことないし。夜明けと共に起きて、日暮れと共に床につくのが一番健康的だよ」
マコはベッドに座ったまま両手を組んで、うんうんと頷いた。
「まだ子供なのに、知った風なこと言わないの」
「えへへ」
「そうそう、入口のあれ、魔法を使ったの?」
レイコは、玄関で聞こえたマコの声について聞いた。
「うん、そう……なんだけど、ただ魔法を使っているわけじゃないんだ」
「何か特別なことをしている?」
「うん。これはまだ内緒ね?」
顔の前に人差し指を立てるマコに、レイコは頷いた。
「えっとね、玄関の扉の上の枠に、あたしの魔力を込めた魔鉱石を埋め込んでもらったの。その魔鉱石から魔力を出して、空気を震わせて声にしてるわけ」
「そんなことして、身体は大丈夫? また倒れたりしない?」
レイコは表情を曇らせた。
「大丈夫だよ。疲れるほどはやらないし。倒れるほど魔法を使い続けるのは、切羽詰まった時だけ」
「それもわたしとしては控えて欲しいのだけれど。でも似たようなことが起きた時にマコに無理はさせないように、考えてみるわ。それより、みんなにも魔法の行使を控えるように言った方がいいのかしら?」
「ん? どうして?」
マコは首を傾げた。
「マコに限らず、突然倒れて何日も寝込んだら大変だもの。そんなことになるなら、魔法の使用を制限した方がいいかと思って」
「あ、その心配はないと思う」
「どうして?」
「さっき、診察に来てくれた看護師さんと話したんだけどね……」
マコは、看護師と話し合ったことを、仮説であることを前置きして、レイコに話した。
マコが倒れた理由は気力を使い果たしたこと。
そんなことが起きたのは、マコの魔力量が飛び抜けて多いから。
他の人は魔力量が少ないので同じことはまず起きないこと。
気力は運動する時にも使うが、体力の使い方は元々身体に染み付いているので、気力を効率良く使えること。
魔法は今まで未知の分野なので気力の使い方が慣れていないだろうこと。
魔法の使い方に慣れれば、倒れるようなことは無くなる、少なくとも減るだろうこと。
「それなら、もうマコが倒れることはなくなるのね?」
「すぐにってわけにはいかないけど、なるべく早くそうなるように頑張るよ」
「できれば二度と倒れて欲しくはないけれど」
「注意するよ」
マコはそう答えたが、娘が自分と似た気質を持っていることを知っているレイコは、同じことがあればこの娘はまた無理するだろうな、と内心溜息を吐いた。できるだけコミュニティで対応可能なように対策を考えよう、と改めて心に留める。
「それと、他の人は本当に大丈夫なの?」
レイコはマコが言ったことを再確認するように聞いた。
「うん。最近は魔力の知覚もジロウくんたちに任せているから、あたしもマンションの全員の魔力量を把握しているわけじゃないけど、一番多いのは多分ヨシエちゃんなのよね。そのヨシエちゃんもあの感じからすると、あたしの十分の一以下しか魔力はないから、意識がなくなるまで魔法を使う前に、魔力が枯渇すると思う」
「そう。それならそっちは、大丈夫かしら」
「あ、一人だけ例外がいるかも」
思い出したようにマコは言葉を足した。
「例外?」
「うん。取り敢えずは問題ないんだけど、今年の初めに産まれた赤ちゃん」
「赤ちゃん? もしかして敷地中に聞こえた泣き声の?」
「やっぱり覚えてるよね。すぐに魔力を無効化しちゃったから確かなことは言えないけど、あたしの三分の一くらいは魔力があると見積もってるし、成長したらあたし以上になるかも。もしかすると、今でももっと多いかも知れない」
「その子の魔力は、今はマコが封じているのよね」
「うん、声だけならまだしも、感情のままに火を点けたり物を壊したりしたら、色々と困るからね」
「そうよね。そんなことが起きたら、ご両親も肩身の狭い思いをするし、その子が大きくなった時に周りから敬遠されるかも知れないし」
マコもレイコと同じ懸念を持っていた。懸念があったから封じたのではなく、後になって思い至ったのではあるが。
「解ったわ。それで今日は、お見舞いの他に、マコにお願いがあって来たのだけれど」
「なあに?」
「最近、暑くなって来たでしょう?」
「うん」
最近と言わず、ひと月ほど前から暑い日が続いている。もう七月も半ばを過ぎているのだから当然だ。それでも、去年までより気温がやや低いように感じるのは、冷房器具が動かなくなって、屋内からの排熱がなくなったからだろうか?
「マコの体調が回復してからでいいのだけれど、暑さを和らげる道具を作れないかしら? クーラーは無理でも、扇風機とか」
「ああ、そっか。そこまで暑くないから気付かなかった」
「そこまでじゃないって」レイコは呆れたように言った。「去年ほどじゃないけれど、結構暑いわよ? 去年までなら、そろそろ学校も夏休みに入る時期なんだから」
「あたしは特別、って言うべきなのかな」
マコは、無意識の内に余剰魔力を熱エネルギーに変換していることを母に伝えた。冬は熱に変えていたが、今は冷気に変えている。
「それは大丈夫なの? それで気力を使い切って倒れたりしない?」
レイコは眉を潜める。
「無意識の魔力操作だから気力は使ってないよ。意識的に魔力操作しているわけじゃないから」
「そう。それならいいけれど。それでさっきの件だけれど、頼めるかしら? 体調が回復した後で」
マコはうーんと頭を捻ってから口を開いた。
「それくらいなら、回復を待つ必要はないと思うけど」
「それは駄目。きちんと身体を治してからにして頂戴」
「そうじゃなくて」
声を厳しくして言うレイコに、マコは苦笑いで答えた。
「あたし以外にも、魔道具を作れる人はいるでしょ。その人たちに頼めばいいんだよ。ヨシエちゃんとか、せっかく一緒に住んでるんだから、相談してみたら?」
マコの言葉に、レイコは少し驚いた。その考えに自分が至らなかったことと、娘の魔法教室の生徒たちへの信頼に気付けなかったことに。
「そう、そうね。相談してみる。マコほど魔法に精通していないと思うけれど、大丈夫かしら?」
「平気平気。今相談されただけでも魔道具を一個思い付いたし、それなら他の子でも大丈夫だよ。もしも思い付かなかったら、あたしに相談するように言ってくれれば、助言くらいはするし」
「今聞いただけで思いついたって、本当?」
「うん」
「他の人でも判るかしら?」
「判ると思うよ。すごく簡単なことだからね。言ったらすぐに作ってくれるかも知れないよ?」
「そう? それならヨシエちゃんにお願いしてみる。魔道具の購入に来る人も、これからはそういうものがあるといいだろうし」
マコが顔に疑問符を浮かべた。
「誰か魔道具を買いに来るの?」
「ええ。あら? マコは知らなかったかしら?」
「うん、全然知らない」
「そう言えば、最初に来たのはマコが欧州に行っている間だったわね」
レイコは、周辺の密接な関係のあるコミュニティより、さらに遠くのコミュニティから魔道具の購入に来る人が、多くはないがいることを、マコに教えた。冬が過ぎてからのことで、主に魔力灯を購入して行く。魔力教室のことを聞いてそれに参加してから、蓄積型魔力灯を求めて行く人もいる。
「お店を開けているわけじゃないから、知らないと判らないわよね。マコが帰って来た時にはみんな知ってたから、わたしもうっかり忘れてたわ」
「うっかりし過ぎっ。まあね、知らなくても困ることじゃないからいいけど」
帰国からひと月以上経っているのに知らないのだから、それほど頻繁には訪れないか、来ても少人数なのだろう、とマコは理解する。
今まではほとんどが、五キロメートル以内にあるコミュニティとしか交流はなかった。例外は自衛隊の駐屯地と海辺のコミュニティくらいだ。
それが、おそらく魔道具の噂が広まったのだろう、より遠くのコミュニティからも、少ないとはいえ人が訪れるようになったことは、レイコの目的である『新しい世界で従来の生活を取り戻す』ことが、一歩前進したことになる。
しかし、まだまだ先は長い。
「自動車や、せめて自転車が普及するといいのだけれど」
「自動車はともかく、自転車はイケるんじゃないの? 元の自転車のタイヤをビニールの木の樹液にするくらいでしょ?」
「遠くから来た人にはそれも教えているんだけど、広まるにはまだかなりかかるわね。慌てても仕方がないから、ゆっくりやるしかないけれど」
「そうだね。自動車の普及なんて、色々と無理があるもんね」
まず、魔力機関の本体となる重金属の塊が少ない。そして、核となる魔鉱石はさらに少ない。さらに、魔力機関を作れる人材が一人しかいない。
「まだ連絡はないけど、その内魔鉱石の採掘場……元の油田だけど、行く必要があるだろうなぁ」
半ば確信して、マコは言った。
「かも知れないわね。でも、今はゆっくりと身体を休めなさい」
「うん」
「さて。随分長居しちゃったわね。仕事もあるし、そろそろ帰るわ」
「うん。またね。あんまり無理はしないでね」
「ありがとう。それじゃ、また」
レイコは娘の家を後にした。さっそく、魔道具を作れる誰かに相談してみよう、と思いながら。