13-4.魔力と気力と体力と
長い眠りから目覚めたマコは、母の心尽くしを賞味した後、再びベッドに横になった。数日間で消費した筋肉は、一度の食事を摂った程度では回復しようもない。
「マコ、マモルさんの言うことをよく聞いて、しっかり身体を休めるのよ。マモルさん、マコのこと、よろしくお願いします」
「はい、お任せください」
レイコは名残惜しそうにしながらも、マコとマモルの愛の巣を後にした。
「マモルは、お仕事はいいの?」
レイコを玄関まで送ったマモルが戻って来ると、マコは頭を僅かに動かして聞いた。
「今日はマコと一緒にいるよ。マコの護衛任務だ」
「いつもありがとう」
「眠らなくて大丈夫?」
「うん。寝たくなったら寝るよ」
「それまではここを離れないから」
マモルから、眠っていた四日間のことをマコは聞きながら、マコは徐々に睡魔に忍び寄られ、いつの間にか安らかな眠りに就いていた。
マモルは、また数日間も眠ってしまうのではないかと心配したが、そんなことはなく、翌朝、寝室の隅の寝袋で目覚めると、ベッドの中で顔を横に向けているマコと目が合った。
「おはよ」
「おはよう。気分はどう?」
マモルは寝袋から出ながら、返事をした。
「いいよ。マモル、もしかしてずっと床で寝てたの?」
「ああ、まあ。マコをゆっくり休ませたかったから」
「マモルが一緒の方が安心して眠れるんだけどな」
「そうか? なら、今晩からまた一緒に寝るよ」
「うん、そうして」
マコは、言うことを聞かない身体に鞭打って、身体をベッドから少しだけ持ち上げた。マモルは慌ててベッドに駆け寄り、マコの身体を支える。
「マコ、無理するな」
「ありがと。でも、少しでも身体を動かさないと、回復が遅くなるでしょ。それに……」
「それに?」
「……それに、お手洗いに行きたくて……」
頬を赤らめて、マコは言った。
「そう言えば、昨日もそのまま寝ちゃったからな。それは溜まるか」
「もう、そう言うこと言わないっ」
「ごめんごめん。歩けそう?」
「えっと……ちょっと無理かも。どうしよう」
マコは身体の向きを変えてベッドから足を下ろし、床についたが、腰を上げようとしただけで産まれたての子鹿のように震えている。
「なら、俺が連れて行くよ」
「え。恥ずかしいよ」
トイレは外にしかない。掘られた下水路に沿って設置されている。
「でも、しないわけにはいかないし。それとも、ここで桶にする?」
「うー、それはそれで嫌だ」
「それならやっぱり、俺が連れて行くよ」
「むー、あ、瞬間移動でお手洗いに行けば」
「立てる? 立てないとズボンも脱げないよ」
「下だけ残して瞬間移動すれば」
「可愛い妻を下半身丸出しで外に出したりできないよ。さあ、行くよ」
マモルはマコの肩に薄い上着を掛け、有無を言わさずに小柄な身体を抱き上げた。マコは、恥ずかしそうに頬を染めながらもマモルの首に腕を回してしがみついた。
夜はまだ開けきっておらず、東の空が明るくなっている程度だ。木々に巻かれた魔力灯や、家の軒下や広場のそこここに設置された蓄積型魔力灯の光が、まだ認識できる。
人の姿は少なく、井戸に水を汲みに出た人と氷室から食材を取り出す人が数人程度。パジャマに薄物を引っ掛けただけのマコの姿に気付く人はいないだろう。
マモルは足早に、一番近いトイレにマコを運び、マコが用を足すのを外で待ち、帰りも抱き上げて帰った。マコはずっと、恥ずかしそうにマモルにしがみついていた。
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マモルの作った朝食をベッドで摂り、その後も寝て魔力操作の練習をしていた。しかし、少しは身体を動かさないと筋肉がつかずに脂肪ばかりになっちゃうかな、と考えて、ベッドの中で寝返りを打ったり、ベッドから下りて部屋を歩いたりもした。
前日は身体を少し動かすことすら億劫だったのに、今朝は身体を起こして足をベッドから下ろすこともできたし、朝食の後は自力で立ち上がることもできた。
それでも、ほんの数分も部屋の中を歩いていると、疲れて立っているのも辛くなる。倒れる前にベッドに戻り、しばらく休んでから魔法操作訓練と歩行訓練を繰り返した。
「身体を動かすのはいいけど、あまり無理しないようにな」
朝と同じように寝室で食事を摂りながら言ったマモルの優しい言葉に、マコは頬を緩めた。
「うん。気を付ける」
「午後からは、俺は外の警備に出るけど、家の近くにはいるし、澁皮一尉や矢樹原二尉も来てくれるから。何かあれば念話で連絡くれればいい」
「うん」
「それから、看護師さんも診察に来てくれる。回復するまでは毎日看てくれるって言うから」
「後はゆっくり休んでれば大丈夫なんだけどなぁ」
「そう言わない。ちゃんと看てもらえよ」
「はぁい。あ、そうだ」
マコは箸を置いて手を広げた。その上に碁石状の黒い塊が出現する。
「マモル、この魔鉱石を玄関の柱か扉か、どこかに目立たないように埋め込んでおいて欲しいんだけど」
「それは構わないけど……なんでか聞いていい?」
マモルはマコから魔鉱石を受け取りながら聞いた。
「あたししかいない時に誰か来たら、それが玄関の近くにあれば、それを使って声で返事できるから」
「ツノウサギ襲来の時に敷地中に声を響かせたみたいに?」
「うん、そう」
すぐに呑み込んでくれたマモルにマコは笑みを見せる。
「二つ、質問していい?」
「うん、いいよ」
マコは笑顔のまま頷いた。
「一つ。瞬間移動で埋め込めるのに、なんで俺に頼むのか。二つ。マコならここから魔力を伸ばせるのに、どうして魔鉱石を使うのか」
マモルは真面目な表情で問を投げかけた。
「えっと、一つ目は、どこに埋めるのがいいかマモルに選んで欲しいから。二つ目は、せっかくだから魔鉱石の魔力の使い方を練習しようと思って」
「そうか。解った。出掛ける時に柱にでも穴を開けて埋めておくよ」
「ありがと」
マコはにっこり笑って食事に戻った。
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「それにしても驚いたわ。インターホンを付けたのかと思ったけれど、そんなものは見あたらないし、何かと思ったわ。マコさんの魔法だったのね」
マコの診察を終えた看護師は言った。
「気力は充実してるから、魔法はもう普段通りに使えます。魔力も満タンだし」
魔鉱石のことはまだ秘密にしているので、誤魔化す。魔法で声を出すなどマコ以外にできる人はいないが、マコの魔法の実力は知れ渡っているので、疑問に思われることもない。
「それより、異世界人の特性ですか。自覚はないけど、魔力なんてものがある以上、どこか変わっているはずですもんね。ありそうな気がします」
「ただの妄想よ。確認のしようもないし」
診察中に聞いた看護師の仮説をマコが反芻すると、看護師は苦笑いを浮かべつつ答えた。
「でも、そういう仮説を重ねていって、検証していくことで、事実が判っていくんだと思いますけど。あたしの魔法も、その繰り返しですし」
マコが言うと、看護師は少し困った表情を浮かべた。
「でもね、検証のしようがないのよね。人を集めて、『気を失うまで魔法を使え』なんてお願いするわけにもいかないし。先日もツノウサギを退治するのに魔法を使っていた人もいたけれど、それで気絶した人はいないし」
「そうか。そうですね。でも、そうか……」
「何か気になることでもあるの?」
考え込んだマコに、看護師は首を傾げた。
「えーと、ほかの人が魔法の使いすぎで気を失ったりしないのは、気力より先に魔力が枯渇しちゃうからだと思うんです」
「そうも考えられるわね。それで?」
「逆に言うと、あたしの場合は魔力を使い切る前に気力を使い果たしていることになりますよね」
「確かに、気を失った後もマコさんの身体には魔力が残っていたわね」
看護師は数日前のことを思い出しながら言った。
「と言うことは、あたしって分不相応な量の魔力を持っている、あるいは、魔力に対して気力が極端に少ないってことですよね」
「うーん、表面に現れた事実だけを捉えると、そう言うことになるかしら。もっとも、魔法を使うのに気力を使っている、と言うこと自体も仮説よね?」
看護師はマコの言葉を頭の中で咀嚼しながら言った。
「そうなんですけどね。でも前に、魔法の使い過ぎで気を失ってしばらく眠った後、回復がまだ十分じゃなかったらしくて、歩くのも面倒だったんですよね。だから、運動するのと魔法を使うのに必要な、その両方に共通して使われる、体力・魔力以外の第三の力がある、と思うんです」
「それを気力、とマコさんは呼んでいるのよね。ただ、そうすると運動のしすぎで何日も寝込む人がいても不思議じゃないんじゃないかしら?」
「それは、体力と気力がみんなバランスが取れているから……だけじゃないのかな?」
マコの頭に浮かんだ曖昧模糊とした考えが、少しずつ形になる。
「何か思いついたのかしら?」
看護師が聞いた。
「えっと、運動する方は、異世界転移の前から普通にやってたから、気力を効率良く使えるんじゃないですか? でも、魔法は異変前は使ったことがなかったから、気力の使用効率も悪いとか」
「確かに、そういうこともあるかも知れないわね。私も身体を動かすことは無意識の内にできるけれど、これは意識しないとできないし」
看護師は差し出した掌の上に光球を出して見せた。
「だから意識する分、気力も余計に使う、ってことだと思うんです」
「ええ」
「ってことは、身体を動かすのと同じように魔法を使えるようになれば、今の気力量のままでも魔力枯渇まで魔法を使えそうですよね」
「そうかも知れないわね」
「つまり、魔法を鍛錬していけば、気力を鍛えなくても、今回みたいな無様を見せることはなくなるってわけですよね」
「無様ということはないと思うけれど……気力を鍛えるなんてことを考えていたの?」
看護師は聞いた。
「気力が魔力に追いついてないんだから鍛えよう、って思ったんです。でも、今話してて、他の方法も思いつきました。ありがとうございます」
マコはベッドに座ったまま、頭を下げた。
「こちらこそ、色々と話ができて面白かったわ。ありがとう。また明日来るわね」
「はい、よろしくお願いします」
暇を告げる看護師を、マコはベッドの中から見送った。