13-2.異世界人の特性
「……脈拍、体温ともに、上がっています。本条さんから聞いた、マコさんの平熱よりやや低いくらいです。眠っている状態ですから、ほぼ、正常な状態に戻ったと考えていい、と思います」
マコの定期検診にやって来た看護師が、マモルに言った。
「それならそろそろ、目を覚ます、ということですか?」
マモルは、看護師に縋るように言った。自衛官の職務に就いている時とはまったく違う、愛する少女を心配するだけの顔が、そこにはあった。
「それはなんとも。私は看護師にすぎませんが、医師でも見解は変わらないと思います。医師に先日来て戴いた時も、身体には異常はない、症状が変わらないと調べようもない、と仰っていましたし」
それはマモルも聞いていた。しかし、無駄と解っていても、つい口をついて出てしまう。『マコはいつ目を覚ますのか』という疑問が。
「すみません、無理なことを聞いて」
それを自覚しているマモルは、看護師に謝罪した。
「いいえ、いいんです。こちらこそ、力になれず、すみません」
体温計などを片付けながら言った看護師は、暇を告げる前に少し逡巡し、それから躊躇いがちに口を開いた。
「あの、私の想像でしかないのですが、マコさんの症状について考えたことがあるんです」
「それは、どんな事でしょう?」
打てば響くように、マモルは言った。
「四季嶋さんは、マコさんの“異世界転移仮説”をお聞きになっていますか?」
「? はい」
それが今のマコの症状とどんな関係があるのだろう?と思いながらも、マモルは頷いた。
「マコさんの説によれば、去年の秋に起きた“異変”は、異世界の理、ルールだけが地球、日本に転移して来た、その結果として、動植物は、異世界の対応する生物に姿を変えた、と言うことですよね」
「はい、自分はそう理解しています」
話がどう流れて行くのか良く解らないものの、マモルは頷いた。
「それはつまり、私たち人間も、姿は変わらないように見えて、実は異世界人の身体に入れ替わっていることになります」
「はい。それで魔法を使えるようになった、と言うのがマコの説ですね」
「ええ。けれど、変わったことは、魔法が使えるようになっただけ、ではないかも知れません」
「と言うと?」
看護師は、考え考え、ゆっくりと続けた。
「異世界人には、魔法の乱発で疲弊した時に、意識を落とす機能があるかも知れません」
「つまり、マコの今の状態は、魔法を使い過ぎた後の正常な状態だ、と言うことですか?」
「あくまでも私の仮説、いえ、妄想ですよ」
身を乗り出すマモルに、看護師は慌てて言葉を付け足した。
「それを言ったら、異世界転移仮説そのものが妄想の産物だと、マコ自身、言っていますよ」
「そうでしたね。それで、私の言いたいことは、妄想に過ぎなくとも先のように考えることもできるので、あまり悲観的にならないように、と言うことです。もちろん、楽観的になり過ぎても困るのですが」
「ありがとうございます。お陰様で、少しは気が楽になったような気がします」
「それでしたら、話して良かったです。では、今日はこれで失礼します」
「ありがとうございました」
玄関まで看護師を見送ってから、マモルは寝室に戻った。
「……マコ、早く目を覚ませ。マコが宣言した焼肉パーティーは、昨日終わったよ。起きたら、二人だけで焼肉パーティーをやろう。だから早く起きろ」
マモルの呼び掛けにも、眠っているマコは反応を示さなかった。
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マコの元に、毎日誰かしら見舞いに来る。最初は、マコが眠ったままになっていることは伏せられていたから、たまにレイコが来るだけだったが、公表してからは他の人たちも訪れるようになった。
それでも、引っ切り無しにはならず、また、訪れた人たちも長居することはなかった。みんな、マコを心配しつつ、ゆっくり休めるように気を遣ってくれている。
「異世界人の特性ね」
マモルは、看護師から聞いた話を、その日訪れたレイコにも話した。
「それで、回復のために眠っている、と」
「妄想に近い推測だそうですが」
「それでも、希望があるならいいわ。マコ、いつまでも寝てないで、早く起きなさいな。みんな心配しているんだから」
レイコは、眠っているマコに言った。その目は、他では見せることのない、娘を心配する母の目だ。
「レイコさん、このまま目覚めなかったら、やっぱり……?」
「ええ。やりたくはないし、みんなには申し訳ないけれど、米軍にお願いします」
それは、二日前にレイコの口から看護師とマモルに伝えられていた。マコがこのまま、一週間目を覚まさなかったら、米軍に治療をお願いする、と。
今も、本当なら点滴を行うべきなのだが、輸液がない。異変の折に、パックが消失してしまったがために。しかし、米軍基地には本国から空輸された輸液があるはずだ。
ただ、米軍に救けを求めると決めたことは、レイコにとって苦渋の決断だった。米軍に借りを作ってしまうということもあるが、それは小さなことだ。レイコが気に病んだのは、米軍に依頼すればまず間違いなくマコの治療に手を貸してくれるだろうこと、そしてそれがマコに限られるだろうことだ。
コミュニティの誰かが重傷を負った時、それが現代治療を受ければ治るものであり、米軍に治療を依頼したとして、彼らがそれを受けてくれるか。否であると、レイコは断言できた。
それなのに、自分の娘だからという、ただそれだけの理由で、マコの治療を米軍に依頼していいのだろうか。
確かに、マコはこれまでにコミュニティの生活改善のために様々なことをして来た。このコミュニティはレイコの指導力で保っているが、マコがいなければもっと不便を強いられていたことは疑いようがない。それを思えば、マコの治療を米軍に依頼することは、コミュニティの誰も反対しないだろう。
……頭では。
しかし、感情はそう単純にはいかない。自分の可愛い子供が重傷を負った時には見捨てられることが解っていて、なおかつ、ただ眠っているだけの他人の子供の治療のために米軍に縋ることを良しとするか……表面上ではそうすべきと解っていても、内心穏やかでいられない人は、一人や二人ではないだろう。
それでもレイコは、最終的には米軍に泣きつくことを決めた。それで、コミュニティの全住民から白い目を向けられようとも、コミュニティに居られないことになろうとも。
マモルと看護師は、住民たちがその程度のことでレイコやマコへの対応を変えるようなことはない、と考えていたから、最終的に援助を求めることにしたレイコの決定に異を唱えることはなかった。それを見極めるまでの期間を一週間としたことには、もっと早い方がいいのではないか、と内心で思ったが。
そんな母の想いも知らず、マコはずっと眠っている。
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ツノウサギ大量発生の後始末は、発生から五日目になっても続いている。切断された通信線はすでに補修されたが、荒らされたマンション一階の片付けや、傾いた住宅の修繕は、ツノウサギの死骸の処理を優先したために後回しになっていた。
それらを片付け、他の住宅の柱も補強する。いつまた、ツノウサギの大量発生が起きるとも限らない。対処は必要だろう。
それに加えて、コミュニティの南西から北まで弧を描くように、頑丈な柵が作られた。大量のツノウサギに押し寄せられたら、先陣の身体を足場にしてほとんどのツノウサギが越えてしまうだろう程度の高さしかないが、気休めにはなる。
裏山の調査も行われた。今回のようなことがまた、突然起きては堪らない。ツノウサギ大量発生の原因が何かを調べるために、動植物に詳しい人たちで南西方向の裏山に入った。
しかし、動植物に詳しいと言っても所詮は素人の集団に過ぎず、大したことは判らなかった。食用になる植物の多かったその辺りの葉や実が食い荒らされていたのは当然として、その要因となったツノウサギの大量発生の原因はまったく判らない。
それでも、足跡や糞の分布を調べて、今後のために情報を蓄積していくことにした。
畑は、取り敢えず耕し直して、残っていた種を蒔いたり、裏山から新たに採取して来た植物の苗を植えたりしているが、収穫までにはしばらくかかる。ただ、ツノウサギに食い荒らされた植物の中に、今まで育てていないものもあったので、それらの苗も植えた。この件での、肉と皮以外の唯一の収穫かも知れない。
そしてこのことは、自衛隊はもちろん、周辺のコミュニティとも共有された。今回はここで発生したが、次にどこで起きるか判らない。また、何が大量発生するかも判らない。どの程度機能するか未知数ではあるが、似たようなことが起きた場合に援軍を送る体制の検討も始まった。
ツノウサギの大群との“闘い”により、レイコの纏めるコミュニティと周辺コミュニティは、さらに連携を強化して行くことになった。