12-10.終息
ツノウサギの数が目に見えて減ってゆき、もう一押し、という時に、マモルは寒気を感じた。この感覚は昨日も感じた。マコが、やって来たミノルに遭遇し、激昂した時だ。
あの時に感じたのは燃える熱のような感覚だったが、今はそれとは違う。凍えるような冷たさ、とも違う、まるですべてが虚無に落ちてゆくような感覚。
「マコに何かあった模様っ。離脱許可を願いますっ」
マモルは指揮官に進言する。指揮官は一瞬考えたが、今現在の状況なら二、三人抜けても問題ないと判断し、マモルに頷く。
「許可する。澁皮一尉と矢樹原二尉も同行せよ」
「「「はっ」」」
三人は小銃を肩に掛け、前線を離れてマモルを先頭に駆け出した。
シュリとスエノは、マコのいる場所──正確には自分の魔力を込めた魔鉱石の場所──は判るが、マコの状態までは判らない。マモルにしても、常に感じているマコの魔力の状態が、いつもと何か違う、という程度だ。そのわずかな違いが、マモルに悪寒を感じさせる。マコに何があったにしろ、いいことのわけがない。
魔鉱石の感覚を頼りに現場に駆け付けると、二人の男がマコの傍に膝を付き、その内の一人が意識を失ったマコの上体を起こしていた。
「マコっ」
駆け寄るマモルに気付いた男たちが顔を上げた。
「あんたは、マコちゃんの……」
結婚披露宴が住民全員に公開されていたので、マモルがマコの夫であることを知らない者はいない。マモルが男たちの反対側から跪くと、男はマモルにマコの身を預けた。
「矢樹原二尉、本件を本条さんに連絡、それから看護師の人が住んでいるはずだから、彼女をマコさんの家に呼んで。四季嶋二尉はマコさんを連れて家に戻り、ゆっくり休ませて警護を」
「はっ」
シュリの命令に、スエノは鋭く返事をして駆け出し、マモルは黙ったまま頷いてマコを抱え上げた。
「すみません、マコさんの状況について、ご存知のことを教えてください」
「おれたちも判らなくて……ツノウサギの群がひと段落したようなので、残りがいないか探していたら、彼女が倒れていて……」
シュリが男たちに事情聴取している声を背に聞きながら、マモルは家に向かって足早に歩いた。全力で走りたいところだが、今のマコを乱暴に扱うわけにはいかない。
可能な限り急いで家に戻り、寝室に入ってマコをベッドに寝かせた。服を着たままでは苦しいだろうかと、上着を脱がせて肌着姿にし、掛布団を被せる。それから椅子をベッドの傍に持って来て、腰を落ち着けた。
マコは死んだように眠っている。マモルは今まで、マコのこのような状態を知らなかった。マモルの腕の中で眠り込んでしまったことはあるが、それは逃亡による疲労が蓄積していた時と、精神的に不安定になった時の二回だけ。その時はどちらも深い眠りについている感じだったのだが、今は少し違うように思える。
『死んだように』という比喩がまるで喩えではないかのように、呼吸が弱くなっている気がした。手首を握って脈を取ってみると、やや遅い気がする。マコの脈拍を今までに正確に測ったことがないので、毎夜の就寝時に聞いている心臓の鼓動よりも遅い『気がする』程度でしかないのだが。
入口の扉がノックされる音に、マモルはマコに意識を取られつつも立ち上がる。しかし、訪問者は家人の許可を取ることなく家に入って来た。
「マモルさん、マコは?」
先頭で入って来たレイコは、寝室の入口を出たマモルに言った。
「眠っています。こちらへ」
マモルは、やって来た三人、レイコとスエノと看護師を寝室に導いた。
レイコは寝室に駆け込むと、ベッドの横に膝をついて娘の顔を心配そうに覗き込む。
「本条さん、まずは容態を診てもらいましょう」
スエノがレイコに言った。
「え、ええ、そうね、ごめんなさい、取り乱して」
レイコは立ち上がって、看護師に場所を譲った。
椅子に掛けた看護師は、マコの額に手を当て、布団を捲って脈を取り、腋に水銀体温計を挟む。身体のあちこちに直接触れ、それから布団を丁寧に掛け直し、もう一度額に手を当てた。水銀体温計を取って体温を確認する。
「本条さん、お嬢さんの普段の平熱はご存知ですか?」
「異変以降は測ったこともありませんが……その前は三六・五度前後だったと思います」
母の顔で、レイコは答えた。
「少し体温が低いようです。身体も冷たいですし、脈拍も遅く感じます」
正確に秒を刻む時計がないので、脈拍の速さも感覚に頼るしかない。
「危険なのでしょうか?」
レイコは不安そうに聞く。マモルもレイコの後ろに立って両手を握り締めている。
「大丈夫だとは思いますが、私も医師免許を持っているわけではないので、正確な診断は下せません。とにかく、温かくして静かに休ませることです。それとできれば、内科の医師に診てもらえるといいのですが……」
東の、小学校周辺のコミュニティに内科医院はあるが、医師は高齢だ。足腰が弱っているので、コミュニティの外に出ることは、あまり無い。
「すみません、よろしいですか?」
スエノが発言の許可を求めた。
「なんでしょう?」
レイコが聞く。
「同じ状態のマコさんを、一度見たことがあります。米軍基地に襲来した飛竜を抑え込んだ後、このような状態になっていました。軍医の診断では問題はない、とのことでしたが。後でマコさんから聞いた話では、魔法を使うために気力を使い切った、と言うようなことを聞きました」
「そう言えばあの日は、帰ってから次の日の昼くらいまで眠っていたわね……」
レイコが思い出しながら言った。それから指導者の顔になって頭を上げる。
「矢樹原さん、すみませんが自動車を出してもらって、お医者様を連れて来て戴けないでしょうか? 自衛官の方に直接こんなことをお願いするのは、本来なら契約外と思いますが……」
「いえ、自分の任務はマコさんの護衛ですので、それに関係することですから問題ありません。すぐに出発します」
スエノは敬礼して、家から出て行った。
「それからマモルさん、マコを見守っていてください」
「それはもちろんですが、レイコさんは……?」
「わたしはやることが山積みなので。ツノウサギの死骸をどうにかしないといけませんし、切断された通信線の復旧もあります。怪我人の手当てもあります。それらの指示をしなければならないので、マコはマモルさんにお任せします」
「……解りました。お任せください」
本当は自分が見守りたいだろうに、とマモルは、看護師と共に退室するレイコを入口まで見送り、再びマコの横に座った。
周りでそんなやり取りがあったことも知らず、マコは眠っている。
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自衛隊の応援が到着した時、ツノウサギの大群はそのほとんどが退治されていた。最後の二割ほどを自衛隊と協力して撃滅した後、レイコはまず、警告を出したコミュニティに事態の終息を伝え、マンションの住民に短時間の休息を取るように通達した。何しろ、夜が明けて間も無い朝食時に襲われたのだから、みんな疲弊している。事態の収拾まで一時間も経っていなかったが、休息は必要だった。
休息の間を利用してマコを見舞った後、その後の行動を決めていった。狩猟や採集、教育など、その日のすべての活動予定を白紙に戻し、全員をツノウサギの死骸の処理に当てる。
何しろ何千という数の動物の死骸だ。放置しておいては腐って疫病の発生を促すことになりかねない。
死骸の血抜きを行なってから皮を剥ぎ、氷室に保存する。当然氷室が足りないので、突貫工事で簡易的な氷室を作り、一部は燻製にしたり、マコの宣言した焼肉パーティーのために焼いたりして、処理を行なった。
一時的な脳震盪や電撃による痺れだけで生き残っていたツノウサギは生きたまま捕らえ、これも急遽造った檻の中に放り込んだ。ただでさえ処理しきれないほどの死骸を、これ以上増やすのは得策ではない。それに、家畜として飼っていたツノウサギやウリボウモドキがすべて逃げ出してしまったのだから、新しい家畜も必要になる。
道路へと溢れたツノウサギの処理は、その方面のコミュニティにも処理を依頼した。依頼されたコミュニティも、大量の食肉と毛皮を入手できるとあって、積極的に協力してくれた。
通信線が切れたのは、予想はされていたが、ツノウサギの衝突により電柱が倒れ、電線が切断されたためと確認された。ビニールの木の樹液はある程度の伸縮性を持っているが、それも限度があるし、内側の銅線はほとんど伸縮しない。切断されたのが一本だけだったのは、幸運と言ってもいい。
ツノウサギに激突されて足を怪我した住民が何人もいた。中には骨の折れた人もいたが、看護師が魔法を使って骨を正常な位置に合わせ、添え木を使って固定した。
畑は全滅だった。いくつかの育ちが早い野菜はそろそろ収穫できると考えられていたが、一つも残っていなかった。それ以外の野菜も、葉はほとんどすべて食い荒らされ、一部は掘り起こされた根まで食われている。
敷地内の畑と飼育小屋は、住民の人数に対して規模は小さく、食糧のごく一部を担っているに過ぎないが、それでも全滅は痛い。また最初からやり直すことになる。
傾くほどに倒れた簡易住宅は一軒だけだったが、何軒かは柱がかなり傷んでいて、修繕が必要だった。また、ツノウサギが入り込んで荒れたマンション各棟の一階部分も片付け、修復が必要になる。それに、広場の大時計も倒されていた。
レイコは、必要事項をリスト化してそれぞれに責任者を当て、事後処理を効率良く進めて行った。その甲斐あって、翌々日の午前中には、ツノウサギの処理をほぼ終えた。
住宅の再建や修復、畑の復旧など、すべてが完全に元通りになるには、もう数日かかるだろう。
その間、マコはずっと眠り続けていた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。眠ったままのマコの容態が気になりますが、ここで一旦、連載を終了します。
けれどもちろん、転移してきた異世界での生活は続きます。
マコが復活するまで、しばらくのお別れになります。四月に再開できるといいな。再開したら、またお読みいただけると幸いです。




