12-5.招かれざる訪問者
自衛隊の駐屯地で一泊して自動車で戻ったマコとマモルから遅れること数日、製作した新しい自動車の試運転も兼ねて、大工と自動車技師が、自衛官の運転する自動車に揺られて帰って来た。そして、その自動車にはもう一人の人物が乗っていた。
マコが魔法教室の特別授業を終えて、一号棟を出た時に、ちょうど帰って来た大工と行き会った。
「あ、お帰りなさい。上手くいきました?」
「マコちゃん、ただいま。車の方は見ての通り」自動車技師は少し離れたところにある自動車を親指で示した。「ですが、何やら本条さんに会いたいという人がいて、同乗しています」
「レイコちゃんに?」
マコは、怪訝な顔で技師の後ろの自動車に目を向けた。運転台から自衛官が下りて来て、さらに後ろの幌から大工と薄汚れた男が一人、下りて来た。
その顔を見るなり、マコは眉を顰めた。無精髭が伸び、埃で汚れているが、二度と見ることはないと思っていた顔だ。
男はマコを認めると、よろよろと近付いて来た。マコも一歩二歩と足を進めて男の前に仁王立ちになると、男が口を開く前に口を開いた。
「ここにあなたの居場所はありませんっ。すぐに立ち去りなさいっ」
「そ、そんなことは言わず、レイコに会わせてくれ」
「今更何ですかっ。レイコちゃんにあんたなんか不要ですっ。さっさと消えなさいっ」
「そこを、何とか、この通りだから」
男は持っていた杖を放り出すと、地面に膝をついて両手もつき、頭を擦り付けた。
「お願いだ。レイコに会わせてくれ。一言、謝らせてくれ」
男は頭を地面にめり込ませる勢いで懇願した。
「謝ったってレイコちゃんにとって何にもならないわよっ。レイコちゃんにあんたなんていらないのっ。すぐに消えてよっ」
激昂するマコに大人たちは面喰らった。マコの怒りで、周囲の温度が一気に上がったかのような錯覚さえ覚える。これほど怒りを露わにしたマコを見たことは、誰もなかった。
しかし、周りにぽつぽつと人が集まってくるのを見て、大工がマコに声を掛けた。
「嬢ちゃん、こいつが何をやったのか知らんがね、こんなに頼んでいるんだ。一目くらい、会わせてやってもいいんじゃないか?」
マコはキッと大工を振り返った。その燃え盛る炎のような視線に、大工はたじろいだ。
「こいつにそんな慈悲はいらないんですっ。こんな奴、さっさと追い出すのがレイコちゃんにとって一番ですっ。こんな奴っ」
激昂したままのマコは、足を踏みしめながら男の頭の前に歩いて行き、そこで右脚を大きく振り上げた。
「「「あっ」」」
大人たちが驚く間に、マコの右足が男の頭に向かって振り下ろされる。
しかし、見ている者たちが想像した惨劇は怒らなかった。マコの後ろからさっと近付いた大柄な自衛官が小柄なマコを抱き上げ、マコの足は男の頭の上を勢い良く通り過ぎた。
「えっ!? マモル? 離してよっ! こんな奴っ! これくらいやったってっ!」
「駄目だよ、マコ。無抵抗の人を傷付けたら。レイコさんも悲しむよ」
「だって、こいつ、こいつのせいでレイコちゃんは、う、うぐ、う、うあぁぁぁぁっ」
マモルに抱き上げられても手足を暴れさせていたマコだが、マモルに言われて今度は泣き出した。
マモルは、男から少し離れてマコを地面に下ろした。マコはそれ以上男を詰ることはせず、振り返ってマモルに抱き付き、人目も憚らずに泣き続けた。
「何かあったの?」
誰かが呼んだのか、騒ぎを聞きつけたのか、レイコが姿を現した。その声に、マコは顔をマモルの胸から離してレイコを見た。
「レイコちゃんっ、駄目っ、何でもないっ、レイコちゃんには関係ないのっ」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を娘に見せられて心配しない母親はいない。レイコはマコに近付き、そこで地に伏していた男が顔を上げた。
「レ……レイコ?」
弱々しいながらもその声はレイコの耳に届き、今初めて気付いたように、レイコは男を見て、首を傾げた。
「……、オレ、オレだよ、ミノル」
「レイコちゃんっ、関係ないヒトだからっ」
男の台詞にマコが言葉を被せたが、レイコはしっかりと聞き留めた。
「……ミノル?」
その言葉の冷たさに、さっきまでマコの燃えるような熱を感じていた人々は、一気に周囲の温度が氷点下まで下がるような錯覚を覚えた。マコもマモルの胸の中でびくっと身体を震わせ、泣き止む。
(やっぱり、コイツをレイコちゃんに会わせちゃ駄目だったんだ)
凍り付いた時の中で、マコは思った。それを阻止できなかったことに、また泣き出しそうになる。
誰もが動けなくなった中で、最初に動きを見せたのは、当然レイコだった。
「すみません、その方、随分とお疲れのようなので、休ませてあげて下さい。熱いお湯と何か食べ物も用意して。マモルさん、すみませんが、マコを家に連れて帰って休ませて下さい」
「レイコちゃんっ」
マコの叫び声を、レイコは視線だけで抑えた。男──ミノル──に向けた嫌悪と蔑みなど欠片もない、優しい、しかし有無を言わさぬ眼力に、マコは口を噤む。
「……レ、レイコ、その……」
「わたしにお話があるのでしたら、後ほど。まずは疲れを癒して下さい」
ミノルの言葉を遮ってレイコが言い、先にレイコに指示された住民がミノルに手を貸してマンション内に連れて行った。
「レイコちゃん……」
「マコ、あなたはまず、頭を冷やしなさい。相手が誰でも、感情に任せてしまっては駄目よ。後はわたしに任せなさい」
情け無い声を出すマコを、レイコは優しく諭した。
「うん……ごめんなさい」
「気にしないの。マコが謝るようなことじゃないんだから」
「そうじゃなくて、あいつがここに来たの、多分、あたしのせいだから」
「何があったか知らないけれど、マコの責任じゃないから、気にしないの。マモルさん、マコをよろしくお願いしますね」
「はい、もちろんです。マコ、行こう」
「……うん」
マモルに促されて、それ以上何も言わずにマコはマモルから身体を離し、子供のようにマモルに手を繋がれて、二人の家へ、とぼとぼと歩いて行った。
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マモルに連れられて家に帰ってから、マコは椅子に座り込んで項垂れていた。マモルも、しばらくはマコ自身に考えを纏めさせた方がいいと思い、隣に座って愛妻を見守った。
「あいつがここに来たの、やっぱりあたしのせいだよね……」
マコがぽつりと言った。
「そんなことはない。マコには何の責任もないよ」
マモルは優しく言った。
「でも、あの時あたしがあいつに会わなければ、ううん、あの街でここのマンションの名前を出さなければ、こことあたしは繋がらなかったんだから、あたしがあの時、最初から自衛隊の基地のことだけ聞いていれば、あいつだってここの手掛かりは無くなって、あそこを離れないか、それともどっかでのたれ死んでたのに」
マコの言葉は、支離滅裂とまではいかないが、事情を知らなければ意味の通り難い言葉の羅列だった。しかし、以前にマコがミノルと遭遇した時のことを聞いていたマモルは、大体の事情を察した。
マモルは、その大きな掌でマコの小さな頭を優しく撫でた。
「マコには何の責任もないよ。責任があるとすれば、あの時ここに滞在していたのに、みすみす誘拐を許してしまった自衛官と、捜索に名乗り出たのに早くマコを見つけられなかった俺だ。マコは何も悪くない」
マモルは、膝に乗せている手をぐっと握り締めた。
「でも、自衛隊にコミュニティの警備をお願いしたのって誘拐の後だし、どこに連れ去られたのか判らない人一人をすぐに見つけるなんて無理だもん。自衛隊もマモルも悪くないよ」
「いえ」マモルはマコの頭から手を離すと、自衛官の顔になって言った。「国民の身の安全を守ることは自衛官の義務なのですから、警備の任を負っているかどうかは無関係です。それに、マコさんに危険が降り掛かる前に助け出すことが出来なかったのですから、それも自分の不手際です」
「えっと、危険になる前にマモルはあたしを見つけてくれたよ? 自力で逃げ出せたし、野犬の群れに襲われたけど撃退できたし、その後は何もなかったし」
「ですが、あの男と出会ってしまう、という“危険”にマコさんは晒されてしまいました。誘拐自体や野犬の襲撃もですが、あの男と遭遇する前に救出できなかったことが悔やまれてなりません」
「でもそれは、危険ってわけじゃなかったし」
「危険でないのなら、マコはどうしてこんなに苦しんでいるんだ」
マコの夫に戻って、マモルは言った。
「マコの身体はもちろん、マコの心を傷付ける事からも、俺はマコを守りたい。けれど、あの時俺はそれを防げなかった。それが今マコを苦しめている。それだけでも俺は自分を許せない。だからあれは俺の責任だ。マコが気に病む必要は何もないんだ」
「マモル……」
マコの瞳に涙が滲み出し、マコはまたマモルに抱き付いて泣き出した。
マコ自身にも、自分がどうして泣き出したのか解らなかった。ただ、マモルが自分を守ってくれる、その事実が嬉しかった。その喜びは、遺伝子上の父親に会ってささくれ立った心を溶かすような感覚だった。
マコは、いつまでもマモルの腕の中で泣き続けた。
マモルはその間、小さな妻を優しく抱いていた。




