12-0.後悔する男
男は後悔していた。
子供の頃から異性に対して尋常ならざる関心を持っていた。
しかし、人一倍関心があるからこそ、変なふうに意識してしまい、自分から声をかけることもできなかった。
女子から話しかけられると内心では飛び上がるほど喜んだものの、他愛のない状況にすら緊張してしまい、気の利いた台詞を口の端にのぼせるどころか、まともに口を開くことすらできなかった。
そんな男を、友人たちは揶揄った。
男は、女子はおろか、男子からも距離を取るようになった。しかし、異性への関心は弱くなるどころか強まるばかりだった。
好きな女子ができても、当然、男は告白することなどできず、声をかけることすらままならず、家の自分の部屋で一人、悶々と自身を慰めた。女子の方はそんな男の想いになど、気付きもしなかった。気付いたところで、相手はきっと、ゴミを見るような目で男を蔑むだけだっただろう。
中学生活も半ばを過ぎた頃、このままでは一生女子に声をかけることできず、当然付き合うことなどできようはずもなく、一人寂しく一生を終えてしまうことになる、と危機感を感じた男は、ひたすら勉学に打ち込んだ。
その甲斐あって、男は県内でも難関と言われる高校に合格することができた。男の住む街からは少々距離もあり、同じ中学から進学した者は他にいなかった。
男は、長く伸ばしていた髪を短く刈り、野暮ったい服を洒落た物に変え、小ざっぱりして、男を知る者のいない新天地で新しい学生生活を始めた。
高校に進学して数日後、学校で見かけた美少女に男は一目惚れした。中学の頃までの、男を目に入れることすらしない女子たちの瞳が脳裏に蘇って身が震えたが、中学までの自分と本当の意味で決別するためにも、意を決して男は少女に告白した。
告白してから、互いに相手をほとんど知らないことに気付いた男は、タイミングが悪かったと告白を後悔した。もっと距離を縮めてから想いを告げるべきだった、と。
失敗したと後悔する男に、しかし少女は、はにかみながら頷いた。男は飛び上がらんばかりに喜んだ。少女と過ごす日々は夢のようだった。しかし、異性との付き合った経験のない男は、男女の距離感が解らなかった。
付き合い始めてわずか一週間で、欲望のままに男は少女を押し倒した。少女が拒めば、それは未遂に終わっただろう。しかし、短い付き合いの間に男に好意を持っていた少女は、男を受け入れた。
一度外れた箍は、二度と嵌まることはなかった。二人は何度も身体を重ねた。ひと月経った頃、少女の妊娠が発覚した。欲望のままに避妊を怠ったのだから、それも当然だった。
愛おしそうに、まだ膨らんでもいない腹を撫でる少女に、男は戸惑った。少女は当然のように、産むと言う。しかし、高校に入学したばかりの自分たちに、赤子をまともに育てられるとは思えなかった。
堕胎を提案することもできず、かといって出産を容認もできず、男は混乱し、自分での解決を諦めて両親に相談した。
男の母親は、少女の家に怒鳴り込んだ。父親は仕事にかまけ、知らず存ぜぬだった。
怒鳴り込まれて初めて妊娠を知った少女の両親は、戸惑いつつも男と母親を詰った。当然だろう。本来なら、怒鳴り込むのは少女の両親のはずだ。しかし、男の母親も一歩も引かず、しかし少女に堕胎を薦めると言う一点では、三人の大人の意見は一致した。
しかし少女は、大人たちの言葉に決して肯んじる事なく、出産を宣言した。その神々しくもある姿に、男は目を伏せた。一緒に育てようね、と言う少女の言葉に、男は目を背けることしか出来なかった。
その日、彼女の家を離れる時の、それまでに見たことのない少女の蔑むような視線に、男は胸を痛めた。
男はその後、少女に一度も会うことなく、母に連れられて遠方へ引っ越した。父親は、仕事が大事だと、ついて来なかった。籍は抜かなかったが、両親は事実上離婚したようなものだった。
今度こそ、誰も男を知る者のない土地で始まった生活の中で、男は、どうしてあの時、少女の言葉に頷かなかったのだろう、と後悔した。きっと、お腹の子は流されただろう。あの時自分が少女の差し出した手を取り、必死で働いていたら、親子三人、貧しいながらも幸せな家庭を築いていただろうか。
しかし、いくら後悔しても、すべては遅かった。
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母親に連れられて逃げるように移住した街で高校を卒業した男は、母親に頼っていては自立できないと自覚し、遠地の大学に進学した。大学卒業後は片田舎に住み、農業に精を出した。年に数度、父親や母親に顔を見せたが、自分の居所は教えなかった。
そんな時、異変が起きた。それを男は、かつて少女を裏切ったことに対する自分への天罰と受け止めた。男は、前にも増して農作業に打ち込み、狩猟にも参加してコミュニティに貢献した。
そんな中で、かつて愛した少女が、十六年前とまったく同じ姿で現れた。男は少女の名前を呼び、駆け寄った。しかし、その手が少女に届く前に男は身体を地に叩きつけられた。地に伏した男に、少女はかつて見た蔑みに、憎しみを加えた視線を投げつけ、男を罵った。罵りの中で、少女は男が愛した少女を“母"と呼んだ。
あの時、少女は赤子を流さなかったのか? 今の少女は、かつての少女ではなく、少女と自分の子なのか?
少女が立ち去った後も、しばらく男は呆然としていた。