11-9.雨の日
しとしとと雨の降る中、広場にいつの間にか──欧州に行っているひと月の間に──建てられていた四阿の椅子に座り、マコはテーブルに肘をついて雨を見ていた。
(魔鉱石を使えば魔力機関を改良できる。けれど、シリンダーを押し込む形のままじゃ、回転軸とぶつかる可能性はあんまり変わらないかなぁ。うーん)
雨滴を見ながら、考えることは魔力機関のことだ。特別教室を開く目的の一つに『生徒たちに新しい魔力機関の構造を考えてもらおう』というものがあったが、魔鉱石を手にしてからそんな目的はマコの頭から吹っ飛んでしまい、魔鉱石を使っていかに魔力機関を改良するかを自分で考えている。
「マコさん、考えごとですか?」
マモルが近付いていることは、ずっと前からマコには判っていた。魔力の届く範囲にいる間、ずっとマモルに魔力を纏わせているから。
マモルは、傘を畳んで四阿に入って来ると、マコの隣に腰掛けた。
「何か難しい顔をしていましたが」
「そうなんです。難しいんです。この間の魔鉱石を上手く使えば魔力機関を改良できそうな気がするんですけど、どうすればいいのか判らなくて。聞いてくれます?」
「自分で力になれるか判りませんが、いつでも話し相手にはなりますよ」
「ありがとうございます。えっとですね、魔力機関ってこう、円柱と円筒を組み合わせて、円筒を動かすことで円柱が回転するじゃないですか」
マコは右手の人差し指を横に出し、左手の親指と人差し指で円を作って右手の人差し指に嵌め、動かした。
マコのそのジェスチャーに卑猥なものを感じたマモルだったが、マコが気付いていないようなので無視することにした。
「それで、円筒を魔道具にして、円柱が燃料タンク兼本体なわけですけど、円筒と円柱の隙間は〇・二ミリ以下にしないといけないんです。ほとんどぴったり嵌ることになるから、間に大量の潤滑剤が必要になります」
マコは左手の指で作った輪をきゅっと締めて、動かした。マモルがこくりと頷きつつ、唾を呑む。
「隙間が〇・二ミリ以下なのは、魔道具に込めた魔力の影響範囲が〇・二ミリだからです。でも、この円筒に魔鉱石を使うと、隙間を二ミリ以上に広げられます」
マコは左手の輪を少し広げた。
「それは、魔鉱石に魔力を込めると周囲にも魔力が留まるからですね?」
「はい、そうです。円柱と円筒の隙間が二ミリあれば、潤滑剤も要らないかなって思うんですけど、円筒が結構動くから、本当に大丈夫か確信がないのと、素早い操作ができないのは変わらないかなぁって」
マコは指を離して、マモルに凭れ掛かった。魔力を触れているだけでも心地良く安心できるが、こうして身体を預けると、より強い安心感を得られる。マモルと二人になると、マコはよく、こうしている。
マコが指の組み合わせを解いたことで、卑猥な妄想を頭から振り払ったマモルは、考え考え口を開いた。
「円筒を三つに分割して、周囲から近付ける形にしてはどうでしょう?」
「それも考えたんですけど、それだと出力調整ができないんですよね。円筒をさらに細かく輪切りにして、少しずつ近寄せるようにすればいいんですけど、構造がものすごく複雑になっちゃうし」
「それなら……三つに分割した円筒を、切断した辺の片方を円柱の近く、二ミリメートル離して固定して、それを軸に回転させるように近付ければ」
「ん? えーと……」
マコは、頭の中でマモルの提案を反芻した。
「切断した辺を軸に、つまり、三分の一の円筒を、一辺だけ固定しておいて、ぱかって開く感じにしておくわけですね。できそうな気はしますけど……出力調整が難しそうですね」
「ええ。最初は出力が上がらなくて、最後にどかんと来るかも知れません」
「ですよね。でも、試してみるのはいいかなぁ。うーん」
マコの様子に、マモルは少し違和感を感じた。
「普段のマコさんなら、魔道具の仕組みを思い付いたら、とりあえず作ってみていたと思うのですが、今回はそれはしないのですか?」
「はい。えーと、今回は魔鉱石を材料にするわけですけど、数が限られているので、失敗は少なくしたいんです。魔法で物を切り取ったりは簡単なんですけど、くっつけるのはできないから」
「そう言えば、海辺のコミュニティでそんなことを言っていましたね」
「はい。量が多ければ好きに使えるんですけど、木箱一箱分しかないし、元に戻せないかも知れないから」
「確かに、そうですね。材料を切り出すのも慎重に、ですか」
「それと加工方法も考えないといけないんですよね。自衛隊の方から戴いた魔鉱石は、大きくてもバレーボールぐらいしかないから、魔力機関に使うにはちょっと小さいですし」
「近くのコミュニティで反射炉ができたようですが、そこで溶かしてもらえば」
「まだ試運転だそうだから無理は言えないし。魔鉱石がどれくらいの温度で溶けるかも判らないから、炉の出力が足りるかも判らないし。溶けるかどうか、それで魔鉱石を加工できるかくらいは、あたしが確認しようと思いますけど」
「それも魔法で?」
「はい。と言っても、魔法の無駄遣いな気はしますけど。魔力で作った箱の中で魔鉱石を熱するだけですから」
「箱? 魔力で物を作ることはできないはずでは?」
「あ、箱って言うのは物の喩えです。下から運動エネルギーで支えて、熱が漏れないように周囲を冷気で囲んだ物を箱って表現しただけで」
以前、金属加工についてレイコに言った方法だ。恒久的にマコに依存するのはコミュニティにとって危ういが、手法を確立する目的になら、マコがやってもいい。
「マモルさんの言ってくれたことも含めて、いろいろ考えてみます。……ところで、マモルさん」
マコが言葉遣いを変えた。真面目だった口調に、やや甘ったるいものが混じる。
「はい、何でしょう?」
「マモルさん、あたしたち、恋人になったんですよね?」
「え、ええ、はい、そうです」
「それなら、言葉遣い、変えましょうよ。あたしもだけど」
寄り掛かっているだけだったマコが、マモルの腕に絡みついた。マモルは、十歳も歳下の少女に迫られて、内心どきどきする。
「えっと、その、護衛の任に就いていることには変わりないので、そこはきちんとすべきかと」
「二人だけならいいでしょ。あたしも敬語使わないように頑張りま……頑張る」
「は、はい、解り……解った。俺も、マコさんともっと近付きたいとは思っていたので」
「マコさん、じゃなくて、マコって呼んで」
「え、そ、その、マコ」
その言葉を聞いた途端、マコはほわほわとしたかつてない程の心地良さに酔いしれた。呼び方を変えてもらうだけで、こんなにも気持ちが変わるものなのか、と。
「マモルさん、もう一度」
「……マコ」
ほわほわ、ほわほわと気持ちが天高く昇ってゆく。
「マコにも、俺のことをマモルって呼んで欲しいな」
「え。マモルさんは歳上だから、目上の人に呼び捨てはちょっと」
「それを言ったら、俺は護衛でマコさ……マコは護衛対象ですから、マコの方が立場は上だよ」
「う、うーん、でも、歳上だし……」
どうも、歳上の人間に敬称を付けないことに、マコは抵抗があった。確固とした信念というわけではないのだが。
「それに、マコは本条さんを『レイコちゃん』と呼んでますよね。母親にちゃん付けなのに俺にはさん付けって、おかしいよ?」
「レイコちゃんは、物心ついた時にはレイコちゃんって呼んでたから……でも、うん、善処する」
「じゃ、呼んでみて」
「う、いきなりは……」
「呼んでみて」
「う、ん……ま、マモル」
言葉にした瞬間、マコの中に恥ずかしさが込み上がって来た。しかし、悪い気分ではない。
「マコ」
「マモル」
ほわほわ暖かい気持ちと、気恥ずかしい想いが混じり合って、わけのわからない快感に震える。これが、魔力で惹かれ合った二人が到達する真の恋かっ、とマコは蕩けた脳味噌で阿呆なことを考えていた。
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雨が少し強くなって来たため、マコはマンションに戻ることにした。
「マコさ……マコ、傘は?」
自分の傘を手に持って、マモルは聞いた。
「あ、あたし、雨が降ってたから、瞬間移動で来ちゃった」
えへ、っとマコは笑う。
「それなら、送るよ。それとも、帰りも瞬間移動?」
「マモルさん……マモルと一緒にいたいから、送って」
マモルのさした傘の下に、マコも収まった。
「濡れない?」
マコとマモルの身長差は三十センチメートルもある。マモルが傘をさすと、傘はマコの遥か頭上だ。
「やっぱりちょっと濡れちゃうかな」
「マコ、傘使って」
「え。いいよ。あたしがさしたらマモル濡れちゃうし。それに、せっかく相合傘のチャンスなのに」
「マコは我儘だね。マコを濡らしたままにするのも不味いし、仕方ない」
「へ?」
マモルは腰を落とすと、マコの小柄な身体を片腕で器用に抱き上げた。
「わっ、ちょっと、マモルさんっ、恥ずかしいっ」
「暴れると危ないよ。俺の首に掴まって、大人しくしてて」
「でも、恥ずかしい……」
「大丈夫、雨で人は少ないから」
少ないとは言っても皆無ではない。何人かは人の姿が見える。
「これでマコも濡れないし、相合傘だよ」
「もう。マモルってば」
恥ずかしがりながらも、マコは幸せだった。これほどマモルと密着したことは今までにない。二人の魔力が混じり合って繋がって身体中を巡っているようで、これまでに感じたことのない幸福感を、マコは味わっていた。
「マモル、重くない?」
「全然。マコは軽いな。何も持っていないのと変わらないよ」
「もう、マモルってば」
空荷と同じは大袈裟だったが、自衛官として今も鍛錬を怠っていないマモルにとって、マコの体重は大して負担にならなかった。
マコはそんなマモルの顔を頼もしく見上げ、マモルに見つめられてまた恥ずかしさが込み上げて来て、マモルの胸に顔を埋めた。
マンションの入口に着くまで、マコはマモルに抱かれたままだった。




