40.兄の昔話(後編)
~~ 兄Side ~~
話が一区切りしたところでコーヒーを飲みながら万里の様子を窺えば、若干顔を青褪めさせて震えているのが分かる。
この子も両親を亡くしているんだ。
俺の話を聞いて自分にも当てはめて考えてしまったんだろう。
それでも話を止めたり耳を塞いだりしない辺り、強い子だ。
そして話の邪魔にならないようにと機会を窺っていた喫茶店のマスターがコーヒーのお替りとホットケーキを持ってやってきた。
「ったく。随分と飯の不味くなる話をしてるみたいだな。
ほれ。これでも食って落ち着きな」
「あ、はい。ありがとうございます」
3段重ねになったホットケーキはバターとハチミツでトッピングされていた。
クリームとかお洒落なものが一切ないのは昔から変わってない。
「このホットケーキもここに来るたびに食べてる定番なんだ」
「そうなんですね」
ホットケーキの甘い香りに落ち着きを取り戻した万里はナイフで一口サイズに切り取って食べ始めた。
言っても特別変わった味がする訳でもない、ごく普通のホットケーキだ。
強いて言えばハチミツがたっぷり掛かってるところはかなり甘いってくらいで。
流石の万里もちょっと甘すぎて顔を顰めつつコーヒーを口にしていた。
「甘いだろ?」
「はい。お替りのコーヒーにお砂糖を入れてなくて良かったです」
苦いコーヒーと甘いホットケーキ。
これがいつものここの味だ。
そうして少し落ち着いてきたところで話の続きをすることにした。
「さて、どこまで話したっけな」
「病院から退院したところまでですね」
「そうだったな。
退院した少年は、困ったことに行くあてが無かったんだ。
一応遠い親戚にあたる人たちは居たんだけどな。その人達は全員少年の引き取りを拒否したんだ。
まぁ彼らにしてみれば引き取ったからと言って何のメリットも無いし、少年はゾンビのように死んだ目をしたままだったし、夜は悪夢にうなされて叫び出す。普通に考えれば誰だっていやだよな。
だけどそこで一人だけ手を挙げた人物が居たんだ。
その人は少年とは血のつながりはゼロと言っても過言ではないくらい遠縁の人で、たまたま少年の話を人伝に聞いたらしい。
それから少年は引き取ったその人、まぁ年齢的に少年から見たら祖父だな。祖父と2人暮らしをすることになった。
最初の半年は他人同士、どころか少年は心が死んでいたから真面な会話すらなかった。
祖父が話しかけても少年はほとんど返事もしないようなありさまだ。
それでも祖父は根気よく少年に接し続けた。
その甲斐あって1年くらいした頃にはようやく会話が出来るくらいまで少年は回復したんだ。
日常生活が滞りなくなるには更に数か月かかったけどな。
回復したら次は義務教育は受けておけということで、小学校5年生に編入することになった。
3年生の時に事故に遭ったんだからここまで約2年もかかったことになる。
ただやっぱり2年間のブランクは大きくてな。
学校の授業はまるっきり分からないし、体育も事故の後遺症でまだ満足に走ることも出来なかった。
そうすると始まるのがイジメだ。
小さい子供っていうのはとにかく自分たちと違う奴を仲間外れにしてイジメる習性がある。
あ、もちろん全員がそうだって訳じゃないぞ。当時も真面な子はちゃんといた。でもやっぱり少数派でイジメを止める事までは出来なかった。
イジメの最初はまぁ陰口叩かれたり仲間外れにされたり机に落書きされたりと軽いものだったんだ。
それが段々エスカレートして鞄を隠されたり直接殴られたりするようになった。
それでも小学生の頃はまだな。軽い痣が出来たり擦り傷が出来る程度で重傷に至ることは無かった」
「お祖父さんはいじめには気付かれていなかったんですか?」
「もちろん気付いていた。顔に痣を作って帰った日にこう言われたよ。
『イジメってのは残念だが大人が出て行っても解決はしないんだ。だから強くなりなさい。
いじめてくる奴らが手を出せなくなるくらいに心も体も頭も。
そして出来れば仲間を増やしなさい』
とは言っても小学校ではもう完全に孤立していたからな。仲間を増やすのは無理だった。
だから少年は学校帰りに道場に通うようになり、夜は遅くまで勉強するようになった。
お陰で何とかテストで万年最下位からは脱出出来た。とは言ってもイジメは無くならなかったけどな。
イジメが無くなったのは中学1年の終わりごろだ。
それも自然消滅というより物理的に排除した形だ。
雪のチラつく放課後に不良少年たちがナイフを持って俺を脅してきたんだ。
流石にそうなると命の危機だからな。
それまで適当にいなしていたけど、その時ばかりは襲って来た全員を半殺しの病院送りにしてしまったんだ。
お陰でそれ以降は少年に近づこうとする奴はいなくなった。
あ、その事件のせいで祖父が学校に呼ばれたんだけど、教師に何を言われたのか会議室から出てきた祖父は自慢げだったな。
で、家に帰ってから少年の頭に手をやって『無事でよかった』って一言言ったきりだった。
イジメも無くなって後は平凡な中学生活かなと思っていたんだ。
でも2年生に上がる頃に、祖父から今後一切の家事は少年が行うようにと言われたんだ。
当時は意味が分からなかったけど、今考えれば恐らく祖父は自分の寿命が長くないことを悟っていたんだろうな。
少年が一人でも生きていけるように色々手を回してくれてもいた。
その1つに親戚のひとりを紹介するっていうのもあった。
少年から見たら伯父に当たる人だな。
少年の中学卒業と時を同じくして祖父が亡くなった後、その葬式の手配と社会的な保証人になってくれたのがその伯父だ。
更に伯父の支援のお陰で少年は働きながら通信教育を受けて21歳の時に今の警備システムの会社に就職することも出来た。
そんな感じで伯父には色々世話になっていたんだけど、ある日急に伯父から親戚の葬式に自分の代わりに参加してきて欲しいって依頼を受けたんだ。
詳しく情報を確認してみれば、ある一家が事故で無くなって一人娘だけが生き残ったそうじゃないか。
まるで自分と同じだなと思いつつ、自分の時の祖父のように誰か良い人がその子を引き取ってくれれば良いなと思っていたんだけど、現実は厳しいらしく誰も善意で引き取ろうとはしていなかった。
居たのは遺産目当ての奴と、少女を自分の奴隷のようにしたいと考えてるロリコン変態オヤジだけだった。
それなら祖父にしてもらったように今度は自分がその子を助ける番だと乗り出したって訳だ。
まぁ実際には、助けるまでもなくその子は自分の力でちゃっちゃと元気になった訳だけどな」
ふぅ。
所々端折りながらだけど、それでも随分長く話したもんだ。
俺は若干冷めたコーヒーを飲みながら万里の様子を見た。
万里は前半の時とは違って落ち着いてはいたけど、考えこんでしまっているようだ。
まぁ色々話したからな。思う所もあるだろう。
その間に3杯目のお替りを貰いまた角砂糖を投入した。
「あの」
「ん?」
「今までずっと疑問だったんです。
なんでお兄さんは私を引き取ってくれたのかなって」
「ああ。まぁ今の話である程度分かったと思うけど、俺も今まで色んな人に助けられてきたからな。
祖父も晩年『儂に感謝する必要はない。ちょっとでも何かしたいならそれは他に困ってる奴にしてやればいい』なんて言ってたから、それを実行しただけさ。
だから万里も俺に感謝する必要なんてないからな」
俺がそう言うと万里は驚いたように目を見開き、そしてぷぷっと笑った。
「分かりました。お兄さんがお祖父さんに感謝してないならそうします」
「あ~~まぁそうか」
「はい、そうです」
俺が祖父に感謝してるか、なんて。当然してるに決まってる。
なにせ命どころか心まで救ってくれたのだから。
万里に対して俺が祖父ほど救いになったとは思ってはいないけど、それでも少しは役に立ったはずだ。
万里は俺なんかに比べてずっと優しい子だからな。
ずずーっ
「ふぅ。甘い」
そっか。祖父もこんな気持ちでこのコーヒーを飲んでいたのかもな。
本当はいじめの撃退とか祖父とのあれこれとか色々あったのですが、長くなり過ぎたので飛ばしました。
またどこかで。




