20.お泊り会を終えて
恵里香ちゃんの家で目覚めた朝は、すっきりとした気分でした。
それまでの2日とは違って夜中に悪夢で起こされることが無かったのもあるんですけど。
っとそうそう。
その悪夢なんですけど、普段とはまた少し違ってたんですよね。
最後に助けてくれた手の感触というか暖かさと言うか。
あれはいったい何だったんでしょうか。
それと関係あるのかは分かりませんが、恵里香ちゃんのお母さんから凄く気遣わし気な朝の挨拶と一緒に「今夜はちゃんと家に帰るのよ」って言われました。
それと出がけに言われたあれは一体どういう意味があったんでしょうね。
そうしてその日も無事に学校が終わり、でも私は真っ直ぐ帰りたくなくて近所の公園のブランコに座りながら砂場で遊んでいる子供たちを眺めていた。
あれは砂のお城かな。せっせと砂を積み上げて何かを作っている。
でも上手くいかないのか積み上げては崩してを繰り返して、でもそれすらも楽しんでいるのかもうずっと繰り返している。
そうして日が暮れてきた頃。
あの子のお母さんだろう。30前後の女性が公園に入ってくるとパタパタと子供の所に向かっていった。
「ほら。もう日が暮れるから帰るわよ」
「はーい」
「ああもう。またこんなに泥だらけにして。帰ったらお風呂に入りなさい!」
「えー、お腹空いた~。先にご飯がいい~」
「ダメよ。ママのいう事ちゃんと聞きなさい」
プンプン怒りながらもどこか楽しそうな親子を見送る。
私は余り親に怒られた記憶は無いけど、やっぱり親なら子供が悪い事したら怒るのは当たり前だよね。
「……ねえエルちゃん。あの人怒ってるかな。怒って、くれるかな。
私の事を少しでも大事だと思ってるならさ。
突然3日も無断外泊した私に『心配したんだぞ』って言ってくれるかな」
『あの方は……いえ。私ではあの方の心の内までは分かりません』
「そっか。そうだよね」
流石のエルちゃんでも分からないよね。
あの人自身もそう言ってたし。
それでも少しくらいは私の気持ちも考えて欲しいっていうのはダメなのかな。
「……帰ろうか」
『はい』
私はひとこと呟いてから家路に就きました。
玄関の鍵を、って鍵掛かってない? あの人にしては珍しく不用心ですね。
とにかく玄関の扉を開いて家の中に入ればハンバーグらしきお肉の匂いと共にあの人の後ろ姿が見えた。
「ただいま」
「あ、おかえり」
声を掛ければ、あの人は私の方を向き、まるでいつも通りに挨拶を返してきました。
ただ料理が佳境なのかキッチンから離れられないみたいだけど。
でも、あれ? 怒ってないのかな。
「あの、それだけ、ですか?」
私がそう聞くとあの人は「ん~」と首をひねった後、何かに閃いたように手を叩いた。
そしてスッと畏まったかと思うと。
「お風呂にするか?ごはんにするか?それとも……」
「いや、そうじゃなくて」
「え、違うのか!?」
なんでそんな愕然としてるんですか。
ジェネレーションギャップとかそういう問題じゃないですからね。
ふざけているんですか!
「……なんで、怒らないんですか?」
「ん?」
「だって3日も無断外泊したんですよ?
保護者なら怒鳴りつけてげんこつの1つくらいするものじゃないんですか!」
私が強い口調でそう言うと、あの人はようやく真剣な表情をして私の目を見ました。
じっと無言で見つめられて息が詰まりそうです。
「俺が良いと言うまで、目を瞑りなさい」
「え、は、はい」
ズンズンと私の方に近づいてくるあの人に、思わずぎゅっと目を閉じました。
自分で言っておいて何だけど、痛いのは怖いです。
ドキドキドキドキ……
目を瞑っているせいで心臓の音がうるさい。
足音からしてあの人は今私の目の前に居るはず。
さあ、頭にゴツンと来るのか。それとも張り手が来るのか。
「よく無事で帰ってきてくれたな」
「へ?」
予想に反してぽんぽんっと大きな手が私の頭を優しく撫でていました。
思いがけないその感触に驚いて目を開けると、ちょっと照れくさそうにおっかなびっくり手を伸ばすあの人が居ました。
「ああこら。まだ良いと言ってないぞ」
って怒る所はそこなんですか?
困惑する私に対して、あの人はやさしく笑いかけます。
「俺としては万里が元気な姿で帰ってきてくれた。それだけで十分だよ。
無断外泊って言ってもエルを外さずに居てくれてたし、泊る先もお友達の所だ。
俺に言わなかったのはタイミングが無かったとか言ったら反対されるかもって思っただけだろ。
それに俺が子供の頃は無断外泊どころか家出して何日も帰らなかったこともあったし」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。大雨と空腹で仕方なく戻ってきたら祖父に思いっきり殴り飛ばされたなぁ」
そう語るあの人はあまり見たことの無い顔をしていました。
いつもぼーっとしてたり平和そうに笑っているこの人でも過去を懐かしんだりするんですね。
「あの、私の事は殴らないんですか?」
「女の子を殴る訳にはいかんだろ。
だからその部分を抜いて、あの時祖父が俺にしてくれたことを再現してみたんだけどどうだ?
頭触られるのが嫌だったりしないか?」
あぁなるほど。
距離を測りかねているっていうのはこういう所なのかもしれません。
こうして私の頭を撫でてくれたのがこの人の精一杯の距離の縮め方なのかも。
そしてきっと私から距離を縮めるのも今この時なんだと思います。
私は頭から離そうとするあの人の手を取って再び私の頭の上に置きました。
「えっと、もう少しだけ、撫でていて良いですよ」
「はいよ」
さわさわと私の頭を撫でるあの人の手は大きくて、すごく安心できる気がしました。
その後、3日ぶりにこの家のお風呂に入ってあの人と食卓を共にしました。
ただちょっと気がかりだったのは、あの人がいつもより元気というかテンション高めだったことです。
普段見かけるぼーっとする姿も無くて私の話をちゃんと聞いてくれますし、もしかしたら私が居なかった3日間のうちに何かがあったのかもしれません。
そこでふと恵里香ちゃんのお母さんの言葉が頭を過ぎりました。
『これを伝えるのはルール違反かもしれないけど、もしまだあなたの保護者の事で思う所があるのであれば、夜、嫌な夢を見たと思った後に起きてみると良いわ。
TZMに依頼しておけばそっと起こしてもらえると思うし』
何の事かさっぱり分からなかったのですが、でもやってみる価値はあるかもしれません。
そう思って私はエルちゃんにお願いして深夜に起こしてもらう事にしました。
そうして夜。
布団に入って眠りに就いた私はやはりあの悪夢を見ていました。
数日振りに感じる優しいぬくもり。
なんでしょう。嫌な夢なのにちょっとほっとしてる自分が居ます。
そのまま私は安心して再び深い眠りに就こうとして、左手に感じた振動によって起こされました。
と、そうでした。今日は深夜に起きる為にエルちゃんを左手に着けたまま寝たんでした。
慌てて目を開けた視界の隅で居間に通じる戸が静かに閉められたのが見えました。
(今のってまさか……)
『(お目覚めですか?マイシスター)』
「うん。ねぇエルちゃん。もしかしてさっきまであの人が部屋の中に居たの?」
『(はい)』
え、なにそれ。
私が寝ている隙に何をしていたの?
思わず自分のパジャマの状態を確認して部屋の中を見渡してみました。
良かった。どちらも変なところはないようです。
でもそれなら余計にあの人が何をしていたのかが分かりません。
それに確かエルちゃんは例えあの人であっても私に変なことをしたら許さないって言ってませんでしたっけ。
そのエルちゃんが黙認していたのは何故なんでしょう。
「エルちゃん。あの人は何をしていたの?」
『(子守り、というのが一番近い表現でしょうか。
マイシスターが寝静まった後、夢でうなされ始めたら静かにやって来てマイシスターの手を取り、落ち着いたのを確認したらまた静かに出て行かれます。
それ以外は何もしていません)』
それってもしかして、夢の後半で私を守るように優しく包まれるように感じていたのはあの人だったということでしょうか。
それならこのお泊り会の最中に夢の内容が変わっていたことの説明も付きます。
あれ?でも、あの夢はここに来てからほぼ毎日見てたはずだけど。
「これって今日だけじゃないよね?」
『(私の知る限り、私がここに来てから毎日です)』
「今って何時?」
『(2時23分です)』
ということは、あの人は毎日私の為にこんな遅くまで起きてたってことでしょうか?
そんなことしたら私だった絶対次の日寝不足になるか寝坊してしまいます。
あっ。もしかしてあの人がよくぼーっとしてたのって、仕事がって言ってたけど単に寝不足だっただけなのかもしれません。
それなのに私は、全然話を聞いてくれないって怒っていたんですね。
うわぁどうしよう。
謝った方が良いでしょうか。
私はベッドを抜け出すと居間に通じる戸をそっと開きました。
あの人は真夜中なのにパソコンに向かって作業をしていて、でもすぐに私に気が付いてくれました。
「ん?どうしたんだ?」
その姿には徹夜の苦労とかは微塵も感じさせない穏やかなものです。
多分これ、謝ったりお礼を言ったりするのは違いますよね。
だから私は曖昧にぼかすことにしました。
「あ、ちょっと目が覚めてしまって」
「ふむ。眠れそうにない?」
「いえ、大丈夫です。おやすみなさい」
私は寝室に戻るとそのままベッドに横になりました。
今夜はぐっすり眠れそうです。




