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蜘蛛の前足がもぞりと動く。
緩やかな動きで、前足が伸びてくるのをヨシヤは息を止めて見ていた。
だってその足、なんか毛むくじゃらで気持ち悪いのに先っぽは爪だからとんがっているのだ。
あ、俺、今蜘蛛を間近に見ているんだなってヨシヤは改めて思ったのだ。
そんなこたぁそこら辺にいる方々含め、本人だけじゃなくみんな知っている。
だが蜘蛛の前足がヨシヤに届くことはなく、彼が置いた水の筒を引っかけたかと思うと、なんとすごい勢いで飲み干したのである。
ヨシヤは人生で初めて、蜘蛛が水を飲む瞬間を目撃したのだ!
どうでもいいことだけれども。
空になった筒がコロリと転がりヨシヤの足元に戻る。
だが彼はそれをすぐに拾い上げることは出来なかった。
何故なら、目の前の蜘蛛が水を得て落ち着いたのか、ぬぅんと立ち上がった(?)のだ。
その巨躯はまるで小山のごとしで、ヨシヤはただ呆然と見上げるしか出来ない。
八つの目が彼を見ている。
(食われるんだろうか)
そんな悪い予感が脳裏を掠めたところで、なんと蜘蛛はペコペコと頭を下げ始めたではないか。
エッ。
周囲からもヨシヤからもそんな声が出たが、蜘蛛が気にする様子はない。
それどころか声が聞こえてくるではないか。
『ありがとうございます、ありがとうございます! 砂漠を渡る途中で苦しくなって倒れてしまって、人間族とはなかなか相容れぬものですから……ご親切に水を分けていただけたことで助かりました!』
「え、いや……よ、よかった、です、ね……?」
聞けばこの蜘蛛、砂漠のオアシスに居を構えていたらしいのだがどうもそのオアシスに干上がる傾向があったため、一旦こちらに転居しようと考えたのだそうだ。
元々はこの辺りの土地に住んでいたが、人間が多く暮らし始めたので人が居ないところを……と思ったそうだが、思ったよりも砂漠での暮らしは厳しかったらしい。
暑い中を渡り、寒い砂漠の夜を歩き、ここに辿り着いたところで意識が朦朧とした……とのことであった。
(つまり、この蜘蛛は、熱中症みたいな状態だった……?)
ヨシヤの考えはあながち間違いではない。
しかし熱中症であったはずの蜘蛛が何故即時回復したのか?
それについては単純明快であった。
ヨシヤの水筒、アレの中身は神域の清水なのである!
それが良い影響をもたらし、蜘蛛を復活させたのだが……残念ながらヨシヤはそこまで考えが至らず『蜘蛛も熱中症になるんだ……!』と新しい発見に胸を躍らせていたのであった。
いや、これはただ錯乱しているのかもしれないが。
『これ、よろしければ……道中珍しい生き物を捕獲したので、後々食べようと思ってたんですけど……お礼できるものがこれしかなくて! おかげさまで動けるようになりましたし、討伐される前に去りたいと思います! 人間と争う気はないので! ないので!!』
「えっ? はっ? いやいやいや、えぇっ!?」
巨大な繭のようなものがヨシヤの前に置かれたかと思うと、蜘蛛は器用に崖を登って去って行く。
ヨシヤはただそれを見上げるしか出来なかった。
ちなみに腰は抜けているので動けない。
「ど……どうしよう、これ。動物……?」
ヨシヤはへたりこんだまま、目の前の……人間すら入ってしまいそうなサイズの繭玉を前に、途方に暮れるのであった。




