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プロローグ

新連載です。

お付き合いいただけたら嬉しいです!

「決めてちょうだい、私と一緒に異世界に行くか。それとも離婚してこちらの世界で新しい幸せを選ぶか!」


「え、えええええええ!?」


 平日の夜、アパートの一室で向かい合う男女の姿がある。

 小さなちゃぶ台の上には、場の緊張感には不似合いなケーキの箱が置かれていた。


 驚かされる男は、吉田ヨシヤ。今年でちょうど四十歳だ。

 あだ名はヨッシー。

 電機会社に勤めるうだつの上がらない、ちょっぴりメタボで愛妻家である。

 虫が苦手で動物好きな、大変穏やかなおじさまであった。


 対する女は、ハナ。今年で三十八歳になる。

 年齢より若く見られると喜ぶ、ちょっぴり虚弱体質なヨシヤの大事な妻だ。

 若干おっちょこちょいで思い切りが良く、おっとりさんでもある。


 二人はこれまで平凡な結婚生活を送ってきた。残念ながら子宝には恵まれなかったが、それでも幸せいっぱいだ。

 身の丈に合った暮らしの中でも二人で支え合っていれば幸せだと毎日お互いに感謝し合う暮らしには何の不満もない。

 少しだけ不満があるとすれば、壁が薄いアパートのせいで夜中の暴走族とかそれを追うパトカーの音に時折悩まされることくらいだろうか。


「ちょ、ちょっと落ち着こう? ね?」


「落ち着いているの。でもこれは大事な話で、もうあんまり時間が無いのよ……私だってこんな突然なこと、いやなんだけど……」


 今朝もいつも通りだったはずだ。

 ゴミ捨てだって忘れなかった。分別だって問題なかったはずだ。

 昼休憩にメールで連絡をした時にも怒っていなかったじゃないか。

 

(なにかやらかしちゃったかもしれない、これは説教タイム突入に間違いない!)


 そう直感したヨシヤがちゃぶ台の前に大人しく座ったところで、冒頭に至るのである。


 意味のわからない妻の決意に満ちたその言葉に、思わず先ほどご近所迷惑も考えずに叫んだヨシヤを誰が咎めることができるだろうか。

 できないはずだ、だって内容が内容なのだし。

 むしろ奥さんどうしたって心配されると思われる。


 そうだ、なにかあったに違いない。

 ヨシヤはすぐにそう考えた。


「……なにかパート先でいやなことでもあった? お前の好きなピーチパイでも食べて元気出して?」


「パート先の人たちは相変わらずいい人たちよ。……ねえ、ヨシヤさん。色々あって唐突で本当に申し訳ないと思うのだけど、時間もあんまりないの。ピーチパイも食べたいし、だから今すぐ選んでほしいのよ」


「え、ピーチパイと離婚が同程度の重みなの?」


「そっち? 異世界は左から右にスルー案件?」


 確かに、妻から飛び出した言葉――『異世界』は相当ぶっ飛んでいると言わざるを得ないとヨシヤも思う。


「……ええと、異世界って?」


「私、本当は異世界の生まれだったの。……そうね、わかりやすくいうと人員過多のリストラもどきで別会社に出向させられたんだけど、人手が足りなくなったから本社に呼び戻されるみたいな?」


「超絶ブラックな予感しかしないたとえ持ち出さないで!?」


「えっ、わかりやすいかなって思ったんだけど……」


「ごめん、ちょっとわかんないかなあ……けど、ハナと別れる気はない」


「ヨシヤさん……!」


 彼にとって、妻はなによりも大事な存在だ。

 彼女が望むことを、ヨシヤはできるかぎり叶えてあげたいと思っている。

 よくはわからないが、きっとストレスが溜まっていて異世界ごっこみたいなことでもしたいのだろうとヨシヤは考える。

 最近流行しているそういったアニメをハナが観ていることを知っていたので、微笑ましいじゃないかと彼は思ったのだ。


「ハナが望んでくれるなら俺も一緒に行くよ。でも会社とかの問題があるから、さすがに急には行けないかな。他の人に迷惑がかかるし……」


「大丈夫! そこはアフターケアが発生するハズだから!」


「アフターケア?」


「あっ、いけない……私が思ってたよりもずっと時間が短いみたい! ねえヨシヤさん必要最低限の着替えとか防災グッズは鞄に詰め込んだんだけど、ほかに絶対手放せない大事なグッズとかあったら忘れずに荷物一緒にこっちに持ってきて!」


「えっ、はい!」


 テキパキ指示を出しつつあわあわするハナのことを、ヨシヤは可愛いなあなんて鼻の下を伸ばしつつ、言われた通りに行動する。


 子供の頃から大事にしている変身ヒーローのフィギュアを一つ掴んで尻ポケットにねじ込み、彼女とペアのマグカップを手に取った。

 そしてハナが用意したのであろう大きめのスーツケースが二つを見て、そういえば新婚旅行で使ったくらいで押し入れに入れっぱなしだったなあなんて彼が思ったところで、ささくれだった古い畳が輝き出したではないか。


 正確には畳が光っているのではなく、まるで模様を描くような光の筋がそう見せている。

 大人二人が入っても少し余裕があるくらいのその円陣は、ヨシヤがよくプレイしていたゲームで見るような魔法陣によく似ていた。


「な、なんだぁ!?」


「ヨシヤさん! 早くこっちこっち!!」


 ハナに手招かれるままにヨシヤは光の円陣に足を踏み入れる。

 光が段々と強まる中。ぎゅぅっとハナがヨシヤに抱きついた。


「ありがとう、ヨシヤさん。私と一緒に行くって言ってくれて」


「な、何言ってるんだよ、俺はハナの夫なんだから当然だろう?」


 目元を潤ませて、嬉しそうにはにかみ笑顔を見せる妻に思わずヨシヤはきゅんとした。

 何年経ってもうちの嫁さん超可愛い。

 そんな思いを噛みしめながら、お揃いのマグカップを胸に抱く中年男性という図柄であるが、微笑ましいので許してあげてほしい。


「ん、あれ?」


 いつの間にか奇妙な光は無くなっていた。

 電灯の明かりとは違う、柔らかな光と頬を撫ぜる風。そして――その風に揺らぐ、青々とした草。


 ヨシヤは、目を見開いた。


「な、なんじゃこりゃーーーーーーーー!?」


 思わず往年の俳優を彷彿とさせる叫び声を上げたヨシヤに、ハナが頬に手を当てて安心したように息を吐き出した。

 そして笑顔で言ったのだ。


「ようこそ異世界へ! そして私の『神域』へ!!」


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