09 魔獣退治
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フェルナンド=スカイリーグは、対峙する魔獣の厄介さに頭を抱えていた。
魔獣は普通の獣とは違い、何らかの影響で体内または身体中に魔力が溜まり、放出している獣のことを指す。
そして普通の獣かそれ以上に狂暴で手をつけられない場合が大半だった。
眼前にいる魔獣の種類はイノシシ亜種。
生来かはたまた魔獣化した影響か、成人男性一人分以上あるその巨体は、どす黒い体毛で被われていた。
(奴の魔核はどこだ?)
魔獣の倒し方は普通の獣とほぼ同じで、心臓を止めれば良い。
だが、厄介なのが魔核の存在だった。
魔核とは、体内に蓄積された魔力が塊となって結晶化したもののことだ。言わば、魔獣にとっての第二の心臓でもある。
そして本来の心臓を潰したところで、魔核がまだ機能していれば、魔獣は受けた傷を回復するという報告も受けている。
つまり、魔獣の心臓よりも魔核の破壊を優先すべきなのだ。
しかし眼前の魔獣は既に手負いの状態らしく、左の脇腹からは赤黒い血が地面に流れ落ちていた。
魔獣はただでさえ狂暴であるのに加え、警戒も増して気性も荒くなっているのが見て取れる。
これでは魔核を探すどころか、下手に近づくことすらできない。
対処法を知っているとはいえ予断を許さない状況であることに、フェルナンドは焦燥感に陥りそうになっていた。
その時。
「フェルナンド様っ」
不意に、背後から彼の名を呼ぶ声が聞こえた。それは彼の部下のものではない。
「君は……っ!」
振り向いた先にいたのは、あの赤髪の商人と共に馬車に乗っていたジュリアンという少年だった。
予想外の人物がいたことに内心驚きながらも、フェルナンドは毅然と声をかける。
「ここは危険だ。君は早く避難を――」
「これを使ってください」
しかしジュリアンから差し出された掌には、小瓶が置かれていた。
フェルナンドは眉をひそめながら問いを口にする。
「これは?」
「マラトアの葉を煎じて作った、即興の痺れ薬です。普通より十数倍濃度が濃いので、お使いください」
渡された透明な小瓶には、濃い緑色の液体が注がれていた。
マラトアと聞いて、フェルナンドは彼の意図を理解する。
「ご協力に感謝を。お借りします」
「あ、あと、もしかしたらなのですが――」
フェルナンドは一度深く息を吸い込み、呼吸を整えた。
日頃の鍛練のおかげで、心に動揺は微塵もない。
あとは覚悟のみ。
魔獣へと一本前に踏み出したフェルナンドの手には、先ほどジュリアンから受け取った小瓶が握られていた。
親指で瓶のコルクを抜く。
そしてその中身を自身の愛剣〈断罪の聖人〉の刀身へと垂らした。
脳内では、先ほどのジュリアンの言葉が反芻される。
『あと、もしかしたらなのですが――あの魔獣の右腹にある黒い塊……あれが魔核かもしれません』
そう言われて改めて魔獣の右腹に目を向けると、そこには確かに瘤のような塊がついていた。
魔獣の黒い毛と色が同化していて一見わかりづらいものの、蔦のようなものとともに絡みついているのがわかる。
禍々しい気配。
それは明らかに、魔獣の一部として機能している魔核に違いなかった。
(彼に言われるまで気付かないとは、騎士として不甲斐ない……)
騎士として叙任され、早一年。
いまだ自身の未熟さを痛感するフェルナンドは、否、と首を軽く振った。
今は反省よりも、すべきことがある。
フェルナンドはタイミングを見計らい、周囲の部下たちへ視線を送った。
そして息を深く吸って止め、剣の柄をぐっと深く握り込む。
次に勢いよく踏み込み、魔獣めがけて一気に距離を詰めた。
彼の殺気に呼応するように、魔獣も獣の声におぞましさを足したような鳴き声を響かせ、彼へと突進してくる。
(いまだ……っ!)
フェルナンドは剣を大きく振りかぶり、魔獣と衝突する寸前に左へと身を翻し、すれ違い様に魔獣の右脇腹にある瘤へ向けて振り下ろした。
「……はぁっ!!」
瘤とともに、その中の魔核を切った感触が〈断罪の聖人〉越しに伝わってくる。
魔獣の嘶きが一層強くなった。
それでも、肉を切ったことで多少なりと効果があったようだ。
魔獣の動きが、若干鈍くなっていることを、彼は見逃さなかった。
魔獣は一度身震いをしたかと思うと、再度フェルナンドへ向けて突進してくる。
しかし今度は先ほどとは違い、魔獣は覆い被さるように大きく飛び上がった。
残すは心臓、ただ一つ。
「これでっ、終わりだ……っ!」
フェルナンドは姿勢を低くし、勢いをつけて向かってくる魔獣の胸元へと剣を突き上げた。
その心臓を貫き、鼓動を絶った瞬間、魔獣の断末魔が周囲に響き渡る。
剣に串刺しにされた魔獣は、息も絶え絶えで身悶えるように前足を痙攣させていた。
フェルナンドは魔獣の巨体を串刺した剣からを引き抜き、滴る魔獣の血を払う。
心臓と魔核。
その両方を砕いても、魔獣はまだ息をしている。
それほどまでに、魔獣化は厄介なものだと思い知らされた。