02 あなたの顔を、忘れられない
(……ごめんなさい。でももう、娘としては、十分だよね?)
村の共同墓地に並ぶ、二つの墓標。
お金もないので、丘の花畑で作った花飾りを一つずつ手向けて、手を合わせる。
父親のラフティンは、数年前に猟の最中、魔獣化した獣に襲われて亡くなった。
母親のリーシャは、昨年病に倒れ、つい先日看病のかいもなく息を引き取った。
両親の娘として生きて、今年の春で十六年。
二人には悪いと思ったけれど、こればかりは譲れない。
「……二人の娘でよかったよ。生んでくれて、育ててくれて、ありがとう」
本当なら、二人にはもっと生きて欲しがった。
そして、生きている時にもっと感謝を伝えたかった。
「一度きりの人生だから、私は悔いのないように生きるね」
誰にでもなく、そう告げる。
ジュリアの心は、もう決まっていた。
ジュリアが〝ハルミア〞としての記憶を思い出したのは、六歳の時。
その頃はまだ両親が健在で、王国の片田舎にあるこのミース村での豊穣の感謝祭に連れて行ってもらい、燃え盛る炎を目に映した時だった。
始めに思い出したのは、四番目の記憶。
聖女を騙ったという罪で魔女と断罪され、最後には火刑に処された、最悪な前世。
それからは、些細なことがきっかけで、次々に前世の記憶を思い出していった。
病弱だった、三番目の記憶。
一児の母となった、五番目の記憶。
あと一歩のところで倒れてしまった、一番目の記憶。
現実に押し潰されてしまった、二番目の記憶。
そして、すべての始まりである、はじまりの記憶。
前世の記憶を思い出す度に、自分には何かしなければならない、という思いがジュリアには募っていた。
それが何か判明したのが、ハルミアとしての記憶を思い出した時だった。
最期の瞬間。
死に行く淵へ向かう彼女の瞳が微かに映した、彼の顔。
彼のその顔は、消えていくハルミアの意識に確かに、そして深く刻まれたのだった。
「……本当に、この村から出て行くの?」
墓参りを終えたその足で、ジュリアは村長ウェンダルの家へと訪れていた。
扉を叩くと、その妻のマリーに出迎えられ、居間へと通される。
ジュリアの前にお茶を出したマリーが、不安げな声を上げて訊ねてきた。
今年で五十とは思えない美貌を持つマリーは、その長く濃い茶髪を片方の肩に結って垂らして、時折手ですいていた。
「はい。長い間、お世話になりました」
頭を下げるジュリアに、マリーは首を横に振る。
「お世話だなんて、それはこっちの台詞よ。ジュリアに薬草の覚えがあって、どれだけこの村が助けられたことか……」
ジュリアは隣村の薬師に弟子入りして、簡単な薬草の調合や見分けを教わっていた。
とはいえ、それはかつての記憶をごまかすための隠れ蓑。
知識の大部分は、医者の娘だったカルエラの記憶が占めていた。
「本当なら、ジュリアにはこの村に残ってほしいんだけど……」
(……それは、安く診察代を済ませようっていう魂胆ですか?)
穿った見方が一番にジュリアの脳裏へと過る。
本当はこのミース村の人たちが、本気で自分のことを心配し、気にかけていることはわかっていたし、それに対して感謝もしていた。
けれど、これまでの六回の人生経験が、素直な感謝を言いたいジュリアの口を妨げるのだ。
「……役に立てたのなら良かったです。でも、ごめんなさい。待たせている人がいるので……」
「……ほんと、いっつもそればかりねえ、あなたは」
マリーは溜め息混じりに言葉を溢した。
小さな村にいれば、年頃になると自然と近所や村の中で縁談話が持ち上がる。
ジュリアにも、同い年や年端の近い青年との縁談話が、これまでに何度も上がっていた。
最近では、村長のウェンダル伝手に隣村の村長の息子との縁談話もあったほどだ。
けれどそんな時、決まって彼女はその言葉を言って、それらの話を遠ざけていた。
「隣村までしか出たことないジュリアに〝待ち人〞がいるなんて……」
嫌味にも聞こえてしまうのは、きっと六回の転生人生のせい。
そう思うことにして、ジュリアは苦笑を返した。
(だって、待たせているのは事実だし……)
けれど、相手は人間ではなく魔王だった。
そして、待たせている歳月は、約千年。
「村長は……もうすぐ、戻ってきますかね?」
ジュリアは話題をそらすために、本題へ入ることにした。
「多分ね……そんなに遅くはならない、って言っていたと思うんだけど……」
マリーが頬に手を宛てて玄関の方に目を向ける。
このミース村の村長を務めるウェンダルには、今日訪問する旨を伝えていた。
しかし急遽、今朝がた隣村での会合に召集されたらしく、ウェンダルは朝から村を離れていたのだ。
とはいえ、今の時刻はまだ夕方前。
魔獣が出ると言われている夜道ではないから、そこまで心配する必要はない……とは思う。
「このお茶をいただいたら、一旦は帰ります。村長には、また後日伺いますと、伝えてもらえますか? マリー伯母さん」
「それは良いけど……」
結局、ジュリアがお茶を飲みきるまでに、ウェンダルが帰ってくることはなかった。
数日後。
「……よし。戸締まりは完璧!」
といっても、大した錠前ではないのだけれど。
「それじゃあ、今度来る新しい方によろしくお伝えください」
「……ああ」
鍵を村長のウェンダルへ渡し、ジュリアはお辞儀した。
彼女が十六年間住んでいた家は、もうじき人手に渡る。
「……いつでも帰ってきなさい。ここは、お前の生まれた村なのだから」
ジュリアの心を知ってか知らずか、ウェンダルが優しく告げた。
その瞳は、どこか潤んでいるようにも見える。
「ありがとうございます。ウェンダル伯父さん」
感謝を述べつつ、ジュリアは心の中で、もうこの村に戻ることは二度とないと考えていた。
帰る場所を売り払ってまでの決心で、彼女はこの村を出るのだ。
「落ち着いたら、手紙でも書きますね」
最後の抱擁のあと、ジュリアは村長でもある伯父にそう告げた。
何度か父の兄でもあるこの人に手紙を出しても、戻りたいという未練が生まれることはないだろう。
記憶を取り戻した時から、ジュリアは今日この日を夢に見ていた。
それがついに叶うのだ。
大切な目的を果たすための、最初の一歩。
ジュリア――否、ハルミアの目的はただ一つ。
それは――この世界のどこかに今も生きている魔王に、もう一度会いに行くこと。
そして、伝えるのだ。
脳裏には、もう何度も夢で視た、彼の最後の顔が浮かんでいた。
(今もまだ、あの時と同じ顔をしているのなら……)
伝えにいかなくては。
もう、あなたは苦しまなくていいのだと。
その為だけに、彼女は六度人生を繰り返していた。