18 聖女という名の
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もうじき夜明けを迎える。
静謐な空気の中、ヴィオレーヌは朝の参拝を行うため、一人、神殿の最深部にいた。
自身が聖女という立場になってから、早三十余年。
長いようで短く、またただひたすらに目の前の勤めを果たすだけの年月だった。
充足感もあるが、世界の状況はあの頃と何も変わっていない。それどころか、これから動く兆しも見える。
地脈の乱れ。各地で報告される魔物の頻出。そして、異世界からの召喚者。
揃い過ぎた状況に何か大きなものの意図を感じつつ、ヴィオレーヌが取れる選択肢は一つしかなかった。
「ヴィオレーヌ様」
そこにひとりの神官が現れる。
「ご報告いたします。昨晩を持ちまして、選抜試験に参加表明していた候補者すべてが王都に到着いたしました」
「ありがとう。わかりました。それでは今日の試験は定刻通り開始しますので、皆さんにもそう伝えてください」
頷く神官へ、質問を投げた。
「……それはそうと、例の件はいかがですか?」
「はい。瘴気の発生源の噂に関しては、選抜試験の通達を出した際に神殿からの公式見解ではないと各所に伝えております。無用な混乱は防げているかと」
「ありがとう。下がっていいわ」
これで、また少しは時間が稼げそうだ。
数か月前に流れた、北の山脈――つまりは魔族領から瘴気が流れている、という話は貴族たちが流した根も葉もない噂だった。
彼らはそう噂を流すことで民たちの不安を煽り、魔王討伐軍の軍備を方々から募って私腹を肥やそうとしていたのだ。
早い段階で王都の彼らの動きを知った彼女は、その噂が広まりきる前に対策を打ち出した。別の話題で世間の注目を引き、事実無根の噂を打ち消そうとしたのだ。
すなわち、自身の聖女退任による次代聖女の選別試験開始の先触れである。
それと同時に、件の噂は神殿が発表したものではないと声明も出した。それが功を奏したか、国民たちの間の不要な混乱や不安を最小限に抑えることができたはずだ。
「本当に、人間同士で何をやっているのだか……」
思わず溜息とともに本音が口をついて出てしまう。
彼女は聖女として務めを果たす一方で、それと同じだけの労力を、既得権益に固執する貴族たちとの水面下の対立に費やしていた。
《いつもお前たち人間は大変だな》
「大精霊さま」
驚いた。普段は滅多に姿を現さないというのに。
姿と言っても、彼女に見えるのは空間に浮かぶ光の玉のような、触れてしまえば消えてしまいそうな淡い存在だった。そしてその光から中性的な声が静かに放たれている。
「お恥ずかしい限りです。この様な時に」
《それこそ今更だな。それに、お前の様な人間が奇特なのだ》
不意に、初めて大精霊と出会った時のことを思い出した。
あの時は、聖女の血縁者という事実が嫌で仕方なった。
第三者によって、人生すべてを管理されているような不自由さと閉塞感。
けれど、あれだけ嫌悪していた聖女という立場になって、今では少し名残惜しいとさえ感じている。
「……懐かしいですね。私も歳をとりました」
《そうか? お前なぞ、僕の前ではまだ小娘も同然だぞ》
数百年生きているという存在にとってはそうなのかもしれない。
ヴィオレーヌの口元に僅かに笑みが湛えられた。
「ふふふ。そうですか」
《お前の祈りは、ここ数世紀で一番安らいだ。それが訊けなくなるのが口惜しい》
「そう仰って戴けて嬉しゅうございます。私も寂しいですわ」
ヴィオレーヌが視線を投げた先の神殿の窓辺には、朝日が差し込んでいた。
「さて。今日は忙しくなりそうね」
長らく続いたこの生活も、もうじき終わる。
そうであれば、その時までは、聖女という皆の支柱であろう。




