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大学受験を振り返る

作者: みー


中学生のころの私は、揚げパンの粉が口の周りに付いていないかひどく気にする子どもだった。小学生まではそんなことなかったのに、中学に入ってから、男子と女子という性別の隔たりを強く意識するようになり、人にどう見られているかというのを気にしはじめた。給食のおかわりも恥ずかしいと思い、でも食いしん坊なので好きなおかずは周りでいらないと言っている子からもらったりしていた。

小学生や中学生の時に感じていたことは、大人になるにつれて薄れてしまう。あの時感じていたことを忘れないように、あの時の想像力や心の動きがかけがえのないもののように感じて、21歳の今、焦ってここに書き記そうと思い立った。

だが、いざ書こうとすると思い出せないものだ。

小学生の私はとにかくまじめだった。一年生の担任の先生が怖くて、優等生になり怒られるのを避けた。家でもお姉さんだったため怒られることが少なく、怒られ慣れていなかったので今もいいふりをしようとする。少し怒られただけで落ち込んでしまう。

小5になると明るくなった。人を笑わせたいと思っていたし、人生楽しまなきゃそんだと振り切れていた気がする。周りからどう思われようが構わない、と、軸を持って生きていた。

中学に上がると、初めに書いたようになってしまった。みな小学校からの繰り上がりの地域だったため、メンバーは全く変わらなかった。なのに、どことなく大人に変わっていって、ぎこちなくなったり、やんちゃになる人がいたり、部活に入り上と下の関係ができたりして、少しずつ変わっていった。

中2あたりからか、私は早く高校に行きたいと思っていた。閉塞感のあるこの中学にいたくないと思った。自分を解放したいと思って、中3で部活を引退してからは、第一志望の高校に向けて受験勉強に取り組んだ。高校に行きたいという明確な目標があったため、勉強はすごく頑張れたと思う。そして、3月。高校に合格することができ、高校1年生が始まった。

ずっと入りたいと思っていた学校だったため、楽しくて楽しくて仕方なかった。絶対に楽しんでやるという気持ちを持っていると、わたしは強い。小5の時のように、毎日がキラキラしていた。友人にも恵まれ、今思い出しても良かったなと思える高校一年生だった。2年生になると、また目標がなくなり、なんとなく日々を過ごすようになる。自称進学校だったので、勉強はまあまあ大変だった。大学のことはまったくと言っていいほど考えておらず、オープンキャンパスにも行かなかった。

高3になり、高校生活最後の年となった。クラスに恵まれ、とても楽しい毎日だったが、それと同時に毎日先生方から受験勉強のことが話され、みなそのムードに入っていった。わたしは入りたい大学を決めるのが遅く、周りに流されるようにとりあえず勉強をしていた。わたしの友人がとても頑張る人で、お金がないから、国公立に行くしかないという強い意志があり、昼休みも早弁をして図書室で勉強するような子だった。わたしはその姿を見てやばいと思い、目標がきちんと定まっていないのに焦る気持ちが先行して、勉強していた。朝はなるべく早い時間のバスに乗り、図書館に行き、授業の合間は単語帳を見て、放課後も早く図書館に行く、今思うとそんなに焦るな、と言いたくなる。そんな生活をしていると、わたしはだんだん自分のリズムを崩していった。早弁のせいでお腹にガスが溜まり、塾でもお腹の音がなるのが気になって勉強に集中できない。でもやらなくてはならない。でも周りの人に聞かれるのが恥ずかしい。でも家に帰ったらだらけてしまうからだめだ。、、、、


周りは、その当時の私はもう最後のほうとか生きる屍だったよという。アホやなぁ。

それで、私は多くのことを学んだ。

まずは、人は人、自分は自分ということ。

自分の目標をもち、それに向かって頑張るものだ。周りに流されて焦ってもいいことはない。自分の人生だから。自分で決めるのだ。

勉強にも、自分のペースというものがある。時間ではなく、その日にやるべきことができたかということの方が重要だ。


そして、辛かったら人を頼るということ。焦って自分の世界しか見えなくなってしまっていたから。でもひとりじゃない。周りも同じようにがんばっていた。支え合えば良かったのに、、


当時も今も、わたしは周りが見えなくなってしまいがちだ。大学に入ってからも、一年生のときは楽しかった。でも二年生になってバイトバイトの毎日だった。それしか見えなくなってしまう。わたしの良くないところだなぁ。

人を頼るということ

自分を持つということ

その二つを、大学受験で学んだ。

でも、そんなおかしくなりそうだった受験勉強中でも、わたしと仲良くなってくれた人たちがいた。


あのときはだいぶやばい人だったはずなのに、なんで仲良くなってくれたのか不思議だ。自分が思っているより、人には見えていないのかもしれない。

また、そんなわたしを肯定してくれる。大学に入ってなかなか友達ができなかった時に、君は君でいてほしいと言ってくれたのが何より心強かった。今のままのわたしでいいと言ってもらえたことが支えになった。

多分わたしはこれから先もたくさん失敗をして、その度に後悔をして、学んで、あの時こうだったなぁと思って、生きていくんだろう。目の前のことを一生懸命取り組んで、楽しんで、悲しんで、助けを求めて、助けられて、一人では生きていけないと学ぶのだろう。

でもそんなふうに、黒歴史をいっぱい持っている自分は、嫌いじゃない。あのときこうだったって、人に話すエピソードがたくさんあるってことだから。笑

このわたしを好きだって言ってくれる人がいるなら、それでいっかって思って、わたしはわたしで生きていきたいなと思う。



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