第九十四話・お帰りウィル、そして……
女神様がウィルの亡骸に手を当てて、優しく語りかけている。その手から優しい白い光が溢れ出て、ウィルの中に吸い込まれていく。
「ルカ、よく見ていて下さいね。これは私の最後の力を振り絞ったものです。これからは、貴方がこの力を使うようになるのですから」
私は静かにうなずいた。魔法を使ってる時と同じような雰囲気だから、きっと私もその時が来れば問題無く使えると思う。でも今は、死者を蘇らせられるのは、女神様ただ一人だ。
その時、ウィルのまぶたが揺れて、口が開き、小さく呻き声を漏らした。
「ウィル!!」
私は思わず声を上げて、ウィルの元に駆け寄った。女神様は優しく笑いながら、ふわりと宙に浮いてウィルと私から離れた。
ウィルの上半身を抱き起こし、私にもたれかかるようにして抱きしめる。ちゃんと息をしている!
「う……ん……ルカ、さま?」
「ウィル! 目が覚めた?」
ウィルはゆっくりと目を開けた。水色と金色の瞳がそれぞれに私に焦点を当てている。
じっと見つめ合うと、ウィルはにっこり笑って、手を伸ばして私の頬に触れてきた。
「ルカ様、いつ見ても可愛らしい……ご無事で何よりです。ずっと離れていたから、会いたくて会いたくてたまりませんでした」
優しい笑顔に甘い台詞。いつものウィルだ。こんな風にウィルと会話するのはどのくらい久しぶりだろう。私はウィルの体を強く抱きしめた。
「お帰りなさい、ウィル。私も会いたかったよ」
「わぁ、素直なルカ様って、なんだか不思議……」
ウィルはエヘヘと笑いながら私に抱きしめられていたけれど、たぶんまだ事態を良く飲み込めて無いんだと思う。私はただただ胸がいっぱいで、言葉が出ないまま抱きしめ続けていた。
「ルカ、それにウィリアム。もう未来永劫、貴方達が離れる事は無いのですから、安心して下さいね。もう時間が無くなってしまったので、そろそろ、ルカーーーー忘れているあの者も呼び寄せなさい」
女神様に言われて私ははっと我に帰る。
「キザリハ!」
「そうですよ、猫王国で貴方に呼ばれるのを待っていますから、呼び寄せてあげなさい」
すっかり忘れてた。今日呼ばなかったら置き去りにしてしまうところだった。
「ウィル、もう起きていられる? ごめんね、これからウィルを殺したキザリハを呼び寄せるけれど、もう別人みたいに大人しくなって、自分のした事を後悔し続けているから、責めないであげてほしいの」
私はウィルの体からそっと離れて、立ち上がって少し下がった。ウィルは自分の体を動かして違和感がないか確認した後、よいしょと言って立ち上がる。その動きは軽やかで、とても元気そうだ。
「ルカ様、僕は死んでる間、女神様と少しお話ししたりして過ごしてたんですよ。あなたがキザリハに何をしたのか、これからどうするのかは少しだけ聞いてます。だから僕の事は気にせず、奴を呼び寄せて下さい」
私はウィルの言葉を聞いてホッとした。ここでウィルが、キザリハ?! 僕の仇! 許さない! ってなったら大混乱だわと心配していたのだ。女神様のフォローに感謝して、女神様の方を見ると、にっこり笑いながら「早く呼び寄せてあげなさい」と怒られてしまった。
私は目を閉じて、キザリハの事をしっかり思い浮かべる。すると意識がキザリハのところに伸びて行き、猫王国の、三姉妹と一緒に部屋にいるキザリハを捕まえた。ちょうど三姉妹に何やら捲し立てられて困惑しているところだったみたい。
「お待たせ、キザリハ。こっちへ呼び寄せるよ」
「ルカ様ぁ……待ってたよう。やっとルカ様が迎えに来てくれたから、もうバイバイだよ」
キザリハがそう言い終わるとほぼ同時に、彼の体が私の目の前に現れた。
「あぁ、怖かった。あの女の人達、きついんだもん。……わぁ、ルカ様、ごめんなさい、ごめんなさい! 僕が傷つけた人がそこに……」
キザリハはウィルとルーカスの姿を見て飛び上がって謝り、震えながら私にしがみついて来た。
ウィルは少し眉をひそめてキザリハを見ていたけれど、手を広げて敵意が無い事をキザリハに示す。どちらかといえばルーカスの方がずっと殺意を剥き出しにしてキザリハの事を睨みつけていた。
「お前はもう自分のした事の罰を受けたんだろう? それなら僕も文句は無いよ。感謝するならルカ様と女神様にするんだな。それより、僕のルカ様にべたべたする方が許し難い」
「ひぃっ、ごめんなさい!」
キザリハはウィルの言葉を聞いて、謝りながら私から離れて、どこか隠れるところはないかと必死に周りを探している。ルゥがそんなキザリハに、おいでおいでをしている。
ルゥは孤児院の子供達の面倒を見てるから、キザリハみたいな臆病な子の扱いも慣れてるみたい。キザリハよりずっと幼いルゥなのに、キザリハは小さなルゥの背中に隠れようと必死に小さくなっていて、どっちが年上なのか分からない状況になってる。
「さぁ、ルカ。約束の時ですね」
私は女神様の言葉にうなずいた。
ウィルがそっと隣に来て、私の手を握り締めてくれる。一人じゃないことが何よりの救いだわ。
「では、これから、女神ファトゥムから、女神の力をルカに移し、新たな女神を創造します」
私は覚悟を決めて、唇を引き締めながらうなずく。そうーーーーウィルを蘇らせる代償として、女神様に要求されたのは、私が新しい女神になるという条件だった。
別の世界で死んで、ズーアスに唯一の人間として転生して。のんびり楽しく暮らすはずが、ズーアスを守り導く女神になって欲しいと言われた。
魔法を使えるようになったのも、ズーアスに住む人々を助けるために奔走したのも、女神になるための勉強だったんじゃないかと思ってる。女神様は最初っからそのつもりで私をズーアスに呼んだのだと。
ウィルを助けたい一心で引き受けたけれど、ウィルの事が無くても、遅かれ早かれ、こうなる運命だったんだろう。私のことだから、よほどの事が無ければ断り続けていただろうけど。だって、女神になるって何よ? 想像もできないよ。
「畏れながら……ファトゥム様、それを為さると、ファトゥム様はどうなってしまうのですか?」
ずっと成り行きを見守っていたマゼラ大司教が、これだけは黙っていられないと言わんばかりに口を開いた。私はその答えを知っていたけれど、ファトゥム様の口から直接言うべきだと思い、じっと様子を見ることにした。
女神様は焦点の合わない瞳を瞬きしながら、笑顔でゆっくりと口を開いた。
「マゼラ大司教、貴方の献身的な崇拝にいつも感謝して来ました。ありがとう。貴方の祈りは私にとって大きな力になってくれていましたよ。ですが、女神としての私の役目は、そろそろ終わりを迎えます。女神の仕事を補佐してくれていた私の愛する者達も皆、消えて行き、今はもう私一人が残るだけとなりました。長い間、ズーアスを守り導いて来ましたが、私にはもうその力は残されていません。本当ならば、三十年ほど前にこうして新たな女神の選出を行うべきだったのですが、適任が見つからず、長引いてしまいました。その間、力が足りずズーアスを混乱させてしまい、申し訳ない事をしたと思っております」
ファトゥム様はずっと次の女神を探していたんだね。それが私って、三十年もかけて見つけたのが私でいいの? って気持ちはあるけど……。
そんな私の気持ちを見抜いたのか、ファトゥム様は私の方を振り向いてニコッと笑った。
「マゼラ大司教、ルカのことをーーーー新しい女神ルカのことを、頼みます。私は愛する者達のところへ還るので、ルカの力になって下さいね」
ファトゥム様は、女神の力を私に移すと、消えてしまう。本人はそうなりたいようだし、もう思い残す事は無いと言わんばかりに穏やかな笑顔を浮かべている。
マゼラ大司教は涙をポロポロ溢しながら、
「分かりました……それが女神ファトゥム様の願いならば、必ずや、このマゼラ、新しい女神ルカ様のお役に立ってみせます」
と決意を口にしている。そんなマゼラ大司教のそばに、女神様はふんわりと降り立ち、彼の方に手を置いた。
それから私のところへやってきて、私の両手を掴んで来る。女神様の不思議な燃え盛る赤髪は、今はもう燃えておらず、ただ美しい赤髪が揺れているだけだ。
「行きますよ、ルカ」
ルゥ、それにキザリハ、ルーカスにウィル、マゼラ大司教が見守る中、私と女神ファトゥム様は両手を取り合って目を閉じた。
キザリハのことを危うく忘れるところだったのはこの私です。




