第八十一話・女神との会話
私は必死に走り続けて、気付けば破壊された神殿まで辿り着いていた。息苦しさや激しい鼓動もほとんど感じないまま、すごい速さで走って来たようで、村は遥か後方にある。
元はそれなりに大きく立派な神殿だったんだと思う。それが今は無残に破壊され、崩れ落ち、何も残っていない。
「女神様! ファトゥム様!!」
私は壊された神殿の石を掴みながら叫んだ。
たぶん女神像の欠片だと思う、その石を強く強く握り締めた。
「お願い、ファトゥム様。答えて……」
今気づいたけど、私はずっと泣いていたみたいで。どうりで視界がぼんやりしてると思った。手で拭ったけれど、また視界がぼんやりしてしまう。
(ルカ……ルカ。聞こえますか?)
酷く遠くから女神様の声がした。私はハッとしてて耳を澄ませながら大きく返事をした。
「聞こえます!! 私はここに居ます!!」
(ルカ。やっと会えましたね。長い旅でしたね)
「女神様! そんなことよりウィルを助けてください!」
世間話や挨拶なんてどうでもいい。一秒でも早くウィルを助けて欲しい。今はそれしか考えられなかった。
(……ウィリアムは、自らの命をかけて貴方を守ったのですね)
声のする方をじっと見ていると、徐々にぼんやりと女神様の姿が見えてきた。まるで蜃気楼のように揺らいでいるけれど、確かに女神様の姿だ。
「私のために矢を受けて……お願いです、私は代わりに死んでも構わないから、ウィルを助けてください」
(ルカは、ウィリアムのために全てを賭ける事が出来ますか? 一度命の灯火が消えた者を、地上に蘇らせるのは女神の力をもってしても難しいのです。ただ一つ、方法はありますーールカにその覚悟があるのならば)
だんだん女神様の姿が鮮明になり、空中に大きく映し出された女神様の顔が、私を見ている。いつも閉じられてる両の瞳が少しだけ開こうしている気がして、私はそこを食い入るように見つめた。
「ウィルは命をかけて私を守ってくれました。私の全てを捧げます、覚悟はあります」
ウィルーー出会った時からいつも優しくて明るくて、しつこいほどに私を好きだと言ってくれた。常に寄り添って守ってくれた。ひとりぼっちのこの世界で、ウィルのおかげでどれだけ笑顔になれただろう。
(では、もう一つ。貴方はこの者をどうするつもりですか? 今、彼は生き地獄にいて、もうすぐ精神が破壊されてしまうかもしれません)
女神様の顔の前に、いきなりキザリハが現れた。自分の体を抱きしめるように小さくなって、激しく震えながら、目から涙を流し、うわごとのように痛い……と繰り返している。
その姿を見て、私が最初に感じたのは、後悔だ。苦しめと思って魔法をかけたし、彼が今まで他者にしてきた事が自分に返ってきただけなのだから、自業自得のはず。
なのに、胸が痛い。私は数歩前に出て、震えるキザリハの肩に触れた。魔法を解除して、痛みが無くなるように念じた。
キザリハの震えが止まり、すぅっと眠りに落ちて行く。膝を抱いて小さく丸まったまま、穏やかな寝息を立てて、ゆっくりと地面に降りて行った。
女神様を見上げると、ほんの少し開かれた瞳から眩い黄金色の光が漏れ出ていた。瞳がまるで黄金でできた財宝みたいに輝いてるのかな。でも、表情は読めない。
「……無関係の子供の命を盾に、私とコーセイを殺そうとしてきて、許せないと思いました。でもこうして傷ついて怯えている姿を見ると、私がキザリハにかけた魔法はとても残酷だったと後悔しています」
(ルカ。貴方は優しい子。この猫人の哀れな生い立ちを知らずとも、赦せる心を持っているのですね。この猫人の過去に何が起きたのか、貴方に見せてあげましょう)
私はしゃがみ込んでキザリハの肩に手を置いた。
そして女神様の顔が消えて、代わりに別の映像が浮かび上がってくる。まるで古びた映画館のように、ぼんやりと。
そこにはロシアンブルーの特徴的な毛色をした小さな男の子がいた。まだ瞳の色はキトンブルーで、ロシアンブルーの碧色の瞳ではない。
「汚らわしい! 本当にロシアンブルーだったの、相手の女は?! 没落し身売りするしか無かった汚れた女の子供なんてこの伯爵家には相応しくないわ! 馬小屋にでも住まわせなさい」
男の子と同じ深い灰色のロングヘアーをした、豪華なドレスに宝石をこれでもかと身につけた女が、神経質そうに叫んでいた。
男の子はただ目を逸らして小さく震えている。
「あなたはロシアンブルーでも汚れた血筋なの、分かる? この伯爵様の物は何一つ、あなたの物にはならないのよ。あなたは一生、馬小屋で下男として生きるの」
女は最後に、手に持っていた扇子で男の子の頭を殴って、満足したようにその場を去って行った。
なんと、同じ部屋にもう一人、窓から外を眺めているロシアンブルーがいた。こちらは割腹の良い中年男性で、上品な身なりをしている。
「キザリハ。母を亡くし行き場のないお前を引き取ったのは、せめてもの情けだ。だがこれからの人生は自分の力で切り拓くが良い。馬小屋で雨水をすすって生きるも良し、この伯爵様を飛び出し自分の力で生きるも良し。お前は我が伯爵家の一員ではないのだから」
(父親なのに……僕の事は他人だって言うのか。勝手に連れてきておいて、伯爵様の一員じゃないから馬小屋に住めって言うのか)
男の子の傷ついた暗い感情が私の心の中に流れ込んできた。亡くなった母親にも大切にされず、伯爵との唯一の繋がりだからと捨てられずにいたのに、結局繋がりなんて無かった。
男の子は翌日には屋敷を逃げ出すが、何度逃げても伯爵家から追っ手がかかり連れ戻された。伯爵の妻とその子供達にはひどい虐めを受け、伯爵はそれに無関心だった。好きに生きろと言ったくせに、それが実は嘘で、妻と子供達にとってのストレス発散のはけ口にされていたのだ。
(誰にも俺を傷つけさせない……強い男になるんだ。俺の言いなりになる兵隊を連れて……この伯爵家を俺が乗っ取るんだ)
だんだん成長して行くキザリハだが、幼少期からの栄養失調により体が小さかった。それでも剣や弓の腕を鍛え、ついに伯爵家を出て傭兵になった。
傭兵として強いわけでは無かった。ただ人一倍用心深く狡猾で、どんな卑怯なやり方も辞さなかった。それによりキザリハはみるみるうちに功績を挙げ、ついに自分の傭兵団を持つに至った。
自分を否定し傷つけ続けた伯爵家に復讐しようとしていたところで、キザリハは叔父であるマトヴェイ宰相に呼びつけられる。
「お前がキザリハか。愚弟から話は聞いておる。儂の力を以ってすれば、お前の望みを叶える事も容易いぞ」
(俺様の望み……それは、俺様を迫害し続けた憎き伯爵家を乗っ取る事だ。俺様が伯爵となり、父やあの醜い女、そのガキどもを苦しめて苦しめて、一生下働きさせてやるんだ)
キザリハはマトヴェイの話に乗った。マトヴェイも自分の言うことを聞かず好き勝手している弟が気に食わなかったらしく、キザリハに恩を売り自分の手足として使うつもりでいたのだ。
それからマトヴェイに言われ、各地で神殿を破壊したり、コーセイ王派の貴族を闇討ちしたり、他にも様々な汚れ仕事をこなしてきた。報酬は多く、キザリハは貴族のような華やかな装いが出来る様になり、傭兵団も潤った。
(あと少し……あと少しで俺様が伯爵になる)
そしてバルトーの街で騒ぎを起こし、私と出会った。
……私は足元で丸くなって眠るキザリハの髪を撫でた。彼の生い立ちを知った後だと、あんなに憎たらしいと思われた彼の顔が、幼い子供のように見えた。
「ごめんね。もうたくさん傷ついていたんだね。でも、自分が酷い目に遭ったからって、他の人を酷い目に遭わせていいわけじゃないんだよ……」
キザリハに言いながら、その言葉が自分にそのまま返って来た。怒りに任せて、キザリハを後悔させたくてやったけれど。今となっては自分が間違っていた事に痛いほど気付いた。
(ルカはこの猫人の過去を知らずとも、赦す事を決め、自らが犯した過ちも後悔していますね。貴方を選んで良かった。貴方の願い、ウィリアムを助ける事ですが、貴方がーーーーことを決めるならば、ウィリアムと再び出逢う事が叶うでしょう)
私はただ静かにうなずいた。
キザリハの不遇な幼少期、マトヴェイとの関係は最初から考えていました。とにかく爵位欲しさに必死に頑張る悪どい猫傭兵、という設定でした。




