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第八十話・傷つけること傷つけ合うこと

 自分がこんなに激しい怒りの感情を抱く事があるなんて、考えたこともなかった。


 体が震えるし、頭を殴られたような感覚がする。私はサフィアとコーセイにかけた守りの魔法はそのままに、自分にかけた魔法だけ解いた。夜目はそのままにしたけど。


「私の魔法は解いたわよ! この卑怯者!」


 キザリハは相変わらず怯える子供の首にナイフを当てたまま、私を見てニヤニヤしている。


 子供は涙を流して怯えているけれど、声を出して泣いたり暴れたらいけないのが分かるらしく、じっと耐えているようだ。あんな小さな子供の命を盾に脅すなんて、絶対許せない。


「これから死ぬ奴に卑怯者と言われても、痛くも痒くもないわ! 本当に魔法を解いたか試してやる。もし魔法を使っていたら、分かっておるな?」


「使ってないって言ってるでしょ! 試してみれば良いわ!」


 怒りを込めて叫ぶ私の後ろで、コーセイは私の肩を掴んで離さない。


「ルカ、本当に魔法を解いたのか? そんな事は許さない……君にもしものことがあったら僕は……」


「あんな小さな子供が捕まえられて命の危険に晒されてるんだよ? 魔法は解いたから……コーセイとサフィアはかけたままだから安心して。でもそれをバレないように、私を盾にしてコーセイは攻撃を喰らわないようにして」


 私ができる限りの小声で伝えると、コーセイは反論しようと口を開けたけど、私はすぐキザリハの方を向いてコーセイを無視した。


 自分を守るために小さな子供を犠牲にする? そんなの絶対いや。そんなことするくらいなら死んだ方がましだよ。それに私には女神様の加護があって傷は治るから。いくらでも傷つけてみればいい。


「では、あの生意気な小娘の足を射抜いてしまえ」


 キザリハが隣の弓を持った傭兵に指示を出すと、傭兵は無表情に弓を構えた。


 私の後ろに立つコーセイの体に力が入るのが何故か分かって、私はコーセイが飛び出さないよう手を伸ばして牽制した。


 次の瞬間、弓が空を裂いて飛ぶ音がしたと思ったら、私の太ももにすごい衝撃と痛みが走った。


 あまりの痛みに、骨まで折れたのではないかと思うけど、なんとか立ってはいるので、ただ痛いだけだろう。ゾッとするような衝撃だったし、人生で経験したことの無いような痛みだ。


「ハハハ! やったぞ! 次は頭と心臓を同時に射抜いてやろう」


 弓で太ももを射抜かれた私を見て高らかに笑い、心の底から喜んでいる。


 私は未だかつてない感情が胸の奥から込み上げてくるのを感じた。他者を傷つけてこんな風に喜ぶような奴は今まで周りに居なかったから。


 物語の中だけの存在だと思っていた。平気で人の命を奪うような存在がいるのは。元いた世界にも殺人や犯罪はあったけれど、そういう人達と自分の人生が交わる事は無いだろうと思っていた。


 少なくとも自分の身の周りには、そういう、誰かを傷つけても平気な存在なんて、居て欲しくないって思ってた。


 私はぶるぶる震え、涙をぽろぽろ溢しながら、弓を折ろうと両手で掴んだ。傷口が治癒しようとしてるのに、弓が刺さったままで上手く回復しないから、とにかく弓を抜かないと。


「良い眺めだ! もっと苦しめ、泣き喚け!! 俺様を傷つけた事を後悔しながら死ね」


 自分が傷つけられたから、相手のことはもっと傷つける。それがキザリハの生き方なんだ。どうしてそんな生き方になったんだろう。今はただ彼の汚いやり方に死ぬほど腹が立つし、足は痛くて歯を食いしばってないと痛いって叫んでしまいそうで。


 見ればキザリハの両脇の傭兵は、私に向けて弓を引き絞っている。私はキザリハにナイフを突きつけられた子供の方を見て、大丈夫よ、きっと助けるからね、と呟いた。


「射よ!」


 キザリハの号令と共に弓が飛ぶ。


 頭と心臓を同時に射抜かれたら、もしかしたら、さすがの私でも助からないのかな。手や足の怪我は治るけど、大怪我した事がないから分からない……。


 ドッ。弓が刺さる衝撃が襲ってくるーーと思ったら、ただ目の前でその音がしただけで、私には衝撃は無かった。


 ただ、私の目の前で、血や泥で汚れているウィルが、胸から弓を生えさせて倒れているだけ。


「ウィル……?」


 訳が分からなかった。

 ウィルは今日、無事捕えられていた地下牢から逃げられたって聞いてたんだよ。ハリーが教えてくれて、すごく嬉しかったし、ホッとした。


 そのままルーカスとバルトーへ向かうだろうなって思ってた。なのに、何故、逆方向のこの村にいるの?


 どうして私が受けるはずの矢を受けたの?


 どうして起き上がって、大丈夫ですよ、って笑ってくれないの?


 その時、混乱する私に容赦なく、背後から矢が刺さってきた。背中が焼けるように熱いし、一瞬息が出来なくなる。でも、すぐ落ち着いた。


「チッ、邪魔が入りおったな。あの薄汚い犬どもと一緒に、今度こそ殺してやる」


 キザリハの声がしたけど、すごく遠く感じた。


 私はしゃがみ込んでウィルの顔を両手で包み込んだ。痩せ細って土気色だし、殴られたような痕がたくさんある。頭からどす黒い血が出て乾いているのも見えた。


「ルカ様……」


 微かに聞こえる声で、苦しげにウィルが呟いた。


「ウィル!! どうして……」


 どうしてここに居るの?

 どうして私を庇ったの?

 あなたは、あなただけは私が怪我してもすぐ治るって一番良く知ってるはずなのに。


 こんなボロボロの体で。


「好きな人を……守るのが……騎士の務め……ルカ様。愛しています……」


 そう言ったきり、ウィルの息はどんどん細くなり、そのうち、感じ取れないようになった。


「今だ! 射よ!!」


 ……何が射よ、だ。

 他者を傷つけてそんなに楽しいの。人の命を奪うのが何故平気なの。


 私の中で真っ暗な穴が大きく開くのを感じた。それから、目の前が赤く見えるほどの激しい怒り。


 許せない!! 傷つけ合うのも、傷つけるのも、絶対許さない!!


 私の体から銀色の膜のようなものがぶわっと吹き出して、それが波のようにすごい速さであたり一帯を呑み込んだ。眩いほどの光が迸り、一瞬、炎天下の太陽の下にいるのでは思うほど強烈な明るさになった。そのせいなのか傭兵や騎士達の叫び声が聞こえた。


 光が消えて、また夜闇に戻ると、みんなが手にしていたはずの剣や弓が消え去っていた。


「な、なんだ?」

「何が起きた?」

「武器はどこへ行った?」


 私は動かないウィルの肩を抱きしめながら、キザリハを見上げた。子供に突きつけていたナイフが消え去り、かなり動揺している。もちろん周りの傭兵たちの武器も全て消えていた。


「クソッ! 魔法を使いおったな! ガキを殺してーー」


 私は片手だけウィルから離して、キザリハの方に向けた。

キザリハは見えない何かにつかまれたように体を硬らせ、動かなくなる。


 そこへ長い黒髪の犬人がさっと現れ、子供を抱き上げて私の元へあっという間に降りてきた。


 子供をそっと地面に下ろすと、長い黒髪を流しながら、美しい犬人は目線をウィルに落とした。


「ウィル、お前の愛するルカ様が泣いているぞ。早く起きて、いつものように笑顔にして差し上げないと……」


 いつになく饒舌なルーカス。見ればルーカスも顔色は悪く、痩せて、所々血がついた服、顔も腫れていた。


「離せ! 殺してやるぞ! ニンゲン!!」


 周りは武器が無くなり戦闘が止まっていた。静まり返っている中で、キザリハの耳障りな声だけが響き渡っている。


「ねぇ。私はそんなに恨まれるようなことをした? あなたを傷つけたのだって、自分を守るため必死でした事だよ」


 私の声を聞いてキザリハはすぐ黙った。空中で変な姿で浮いているまま。目に見えない力で押さえつけて掴み上げているからそうなんだけど。


「傷つけられたら相手を殺していいって言うんなら、あなたが今まで傷つけてきた人達の痛みをその身で感じ取ってごらんよ。自分がどれだけ酷いことをしてきたのか、自分がされたらどう思うか、知ってみたらいいわ」


 私はキザリハに魔法をかけた。


 彼が今まで傷つけた人達に与えた傷を、全く同じ形で傷つき、痛みを感じる魔法だ。ただし肉体ではなく精神だけでそう感じるようにした。


 だってそうしないとすぐ死んじゃうと思ったから。ちゃんと今日までしてきた事全ての痛みを我が身で感じ取ってほしい。


 私は手をウィルに戻した。


「治して。女神様、ウィルの傷を治して、お願いだから。私はどうなっても構わないから」


 そういえば私の背中と太ももに刺さっていた矢は、先程の光で消え去っていて、私はすっかり回復していた。


 ウィルのことも回復させる。みるみるうちに顔色が良くなり、傷も閉じていく。


 良かった、やっぱり私の力なら治せるんだ。


「ルーカス、やったよ!……なんでそんな顔してるの?」


 ルーカスの顔は酷く暗いまま、彼は首を左右に振った。ウィルの傷が治ったのを見てなかったのかな?


「ルカ様。ウィルはもう……心臓が動いていません」


「嘘! やめて!!」


 私は自分でも驚くくらいの叫び声を上げて、立ち上がった。辺りをぐるりと見回すと、夜が明けてだんだん空が明るくなっていた。


 空の向こうに崩れ落ちた白い建物が見えて、私はそちらの方向に向かって走り出す。


 ウィルからは離れたくなかったけれど、あの場所から離れたいという気持ちが強くなって訳が分からないうちに走り出していた。


 あの建物はきっと壊された神殿。そこへ行けばきっと会えるはず。

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