第七十七話・出発前の支度
今日はコーセイと最寄の神殿へ向かう日。昨日それが決まって、不安と焦燥感でほとんど眠れなかった。もしかしたらコノエがまた来て、ウィルとルーカス救出のことで話をしてくれるかもと思っていたのだけれど、コノエは現れなかった。
「あまり寝てないんでしょ? 顔が浮腫んでるわ」
アーリャが髪を梳かしながら話しかけて来る。私はただうなずいた。
「お出掛けが楽しみ過ぎた? ……そんな訳ないわよね。不安で仕方ないって感じでしょ」
アーリャは豚毛のブラシをトントンと自分の掌に打ち付けて、掴み所のない表情で鏡越しに私を見ていた。いつもの調子でコーセイと私を弄るのではなく、ただ私の心中を言い当てて来た。
私が不安な理由を知っているからだろう。私は重い口を開いた。
「マトヴェイから何か言われて来たの?」
マトヴェイは侍女を使って伝える、と言っていたから、三姉妹から何か言われるんだろうなとは思っていた。数日間とはいえ私の世話をしてくれていた三姉妹から、マトヴェイの言葉を聞くのは気が重い。
アーリャは私の髪を編み込んでから、頭に巻き付けてアップにしている。一泊とはいえ旅に出るから、動きやすく手入れが要らないような髪型にしてくれたようだ。
後ろを見ると、ソーニャは扉の傍らに立ってじっとこちらを見ていた。ターニャは私の服と靴を並べ終えて、長椅子に腰掛けてくつろいでいるが、やはり目線はこちらを見ている。
「あのね」
アーリャが口を開いて、鋭い口調で続けた。
「私達もバカでは無いから、誰がこの国を快適にしてくれるのかは分かってるつもり。それでも今は仕方無くクズの言う事を聞いているの。私達が望んでクズに従ってる訳じゃ無いって、ルカには分かっておいて欲しいのよ」
「そう、自分の事しか考えていない上に、他人を顎でこき使う。最低な奴よ」
「私は今の生活が気に入ってる。コーセイ様のことも含めてね。だからコーセイ様に何かあったら嫌だと思うわ」
アーリャに続き、ソーニャ、ターニャも声を上げた。……三姉妹が時折、マトヴェイやファルザームに対して不快感を露わにしているような気はしていたけれど、こうして直接聞くと、驚きと同時に少し嬉しい気持ちになる。私のことを騙してそばに居ようとしていた訳じゃ無いんだった分かって、ホッとした。
「良かった……三人がそう思ってて」
私が涙ぐみながら言うと、三人は少し笑ってくれた。しかしアーリャは真剣な顔になり、私の肩を掴んで、鏡越しではなく面と向かい合うように私の体をくるんと回した。
「それでも、今は逆らえないから、あなたに伝えるわ。ーー魔法は使うな、使えば犬共の命は無いと思え、ですって」
アーリャの口から聞かされたこともショックだけど、魔法まで使わせないつもりだなんて……。
本格的に、私とコーセイの命を狙っているとしか思えない。もし、コノエが現れて居なかったら、二人を助けるって言ってくれなかったら、私はなす術もなくコーセイと一緒に殺されるしか道が無かったんだ。
コノエ、本当にありがとう。ズーアスに来た時も命を助けてくれて、こうしてまた、私にとって命と同じくらい大切な存在を助けようとしてくれている。
「あら、あまり悲観してなさそうね?」
アーリャが不思議そうに言ってきた。私は苦笑いして、目の前にある綺麗なアーリャのあごを撫でる。人間相手にやったら絶対不審がられる行為だけど、猫人にやると効果的面だ。
アーリャは目を細めてゴロゴロ喉を鳴らした。
「私が悲観して無かった、ってマトヴェイに伝えるのかな? アーリャ」
アーリャはうっとりと目を細めながら、首を横に振った。
「そこまで細かく報告なんて、しないわ。ああ、ルカの撫で方、すっごく心地良い」
猫特有のゴロゴロと喉を鳴らす音を響かせて、アーリャはとっても幸せそうだ。たまたま目の前にあるアーリャの顔が、どこか悲しげに見えた気がしたから撫でてみたけれど、すごく喜んでもらえたみたい。
「あー! ずるいわ! 私もやって欲しいのに」
ソーニャがこちらへやってきて、アーリャの後ろで騒ぎ出す。
「私だって。ルカの手って本当に不思議と心地良いのよね。だからルカには元気で居て欲しい……のよ、私達三人皆んなでそう思ってる……」
ターニャがだんだん小さくなる声で、でもたしかに私の耳に届く大きさで呟いた。
三人とも、マトヴェイが私とコーセイを亡き者にしようとしている事は知ってるんだわ。
私はアーリャの頭を撫でてから立ち上がり、用意してあった服に着替え始めた。白いドレスで、肩に綺麗な紺色の帯がかかっている。珍しく丈が長めで、くるぶしまでのロングドレスだ。
私が着ていると、ターニャが来て手伝ってくれた。
「きっと大丈夫。私もコーセイも元気で帰って来るし、あなた達が好きなこの暮らしを守ってみせるから」
私が安心させようと言うと、ターニャは心底嬉しそうに微笑んで目を細めた。耳はふんわり立ち、尻尾が緩やかに巻いている。
マトヴェイのスパイだと思っていた三姉妹は、実は嫌々従っていたんだもん。彼女達も私と同じ被害者なんだろうなと思ったら、自然と安心させようと言葉が出た。
「ルカって不思議な子よね、本当に。意志も弱そうだし内気な子だと思っていたのに、私達を勇気付けてくれて……すっかり好きになってしまったじゃない」
アーリャがそばに来て、私をそっと抱き締めてきた。私はびっくりしたものの、アーリャがそんな風に接してくれることが嬉しくて、回されたアーリャの腕をそっと両手で抱き締めた。
「ルカが王妃になったら、絶対楽しくて幸せな国になるわね」
「私達、その日までルカの侍女を楽しみながら務めたいわ」
私はソーニャとターニャの言葉でハッと我に返った。ごめんなさい、王妃になるフリをしているの……なんて、今言ってしまったら良い雰囲気が台無しになっちゃう。
私はうふふ、と愛想笑いをして誤魔化して、それからはいつもの調子に戻った三姉妹の賑やかなお喋りを聞きながら旅の支度を終えた。




