第六十八話・婚約発表
コーセイはいつも飄々としつつも、大事な時には凛と決断をする、そんな王だ。
弱冠十三歳にして猫王国の王となった。コーセイの父である前王が犬王国との戦争中に突然病死したのだ。コーセイは悲嘆に暮れることはせず、王の補佐役達の助力によって戦争を乗り越えて、十年も続いた戦争に終止符を打った。
猫人達は戦争が終わったことに対し半々の反応をした。
まだやり返していない! 戦争を止めるな! という戦争肯定派。
これ以上の死人を出すな。飢えや貧しさなんか御免だ。戦争反対派。
幼い王に対し、猫人達は懐疑的で、かつ幼稚な者と嘲笑った。
だがコーセイは如何なる批判、差別、攻撃にも折れなかった。時に川のように緩やかに受け流し、時に突風のように相手の予想を裏切って行動を起こした。
「僕には、心から信頼できる存在が居なかった……」
ポツリと呟いた。だがその呟きは、今日の宴席の中に吸い込まれて消えて行く。
そう、今日は女神の遣い、ニンゲンのルカとの婚約発表の日。
元々は月に一度の謁見の日で、王宮の高官達、そして各地から貴族が集まる日だ。その日が迫っている中で、ルカが王妃になるフリをすると言い出したので、急遽、婚約発表をする事にした。
もっと時間があれば、広間の装飾も、自分の正装も、ルカのドレスも、料理も、何もかもに拘れたのに。そう思うと少しばかり苛ついている自分がいた。
コーセイのここ二年の生活は孤独と試練の連続だった。そして、せっかくの婚約発表もその場しのぎの準備しかできなかった。憂鬱な気持ちになり、階段の下に広がる広間を見下ろして、酒を片手に談笑する猫人達を見つめた。
王が広間の上にいても、気にする者も居ない。皆、好き勝手に振る舞っている。敬意を払う者もいない。さすがに対峙すれば皆、一応の礼は尽くすが、表面上だけだ。
どんどん虚しくなる。
コーセイが心の痛みで目を閉じようとした時、サフィアがそっとそばに来た。
「ルカ様のお越しです」
その一言で、心の痛みも、憂鬱も、全てが一気に吹き飛んだ。コーセイは目を大きく見開いて、扉を見つめた。
「女神ファトゥム様の遣い、ニンゲンのルカ様の御入来」
扉が開いた。コーセイは扉のそばへ歩み寄り、入ってくる少女に手を差し出した。
白いドレスを着た、深緑のような美しい黒髪の少女が、おずおずと入ってきて、躊躇いがちにコーセイの手を取った。
先程まで好き勝手に騒いでいた猫人達が、驚くほど静まり返っていた。
コーセイは猫人達が固唾を呑んで見守っている事に気付いていなかった。何故なら、自分の心臓の鼓動が煩すぎて他のことが何も分からなくなっていたからだ。
ベアトップのドレスから出ている肩は白くてしなやかで、ドレスの裾から覗く足はカモシカのように健康的で綺麗だ。柔らかくて優しい作りの顔立ちのルカは、今日はゴールドのアイシャドウに、凛として見えるようアイラインを引いている。唇はピンク色でふっくらしていて、頬は紅潮しているのか、チークを塗っているのか、コーセイにはどちらなのかわからなかった。
「綺麗だ」
思わず声が出た。自分でも驚く程真剣な声だった。ルカはぎょっとしてコーセイを見る。艶やかな黒髪は結われていて、うなじがよく見えた。コーセイは口が半開きになりそうなのを必死で堪えた。
二人きりになって、髪に差してある飾りを一つ一つ、丁寧に取って、髪をほどきたい。何故かそんな欲求がすごい強さで襲ってくる。ルカが困ったようにコーセイを見ているのにも、なかなか気付くことができなかった。
「コーセイ……どうすれば?」
小声でルカが聞いてきたのを耳にして、初めてコーセイは我に返った。
今までの人生で感じたことのないような恥ずかしさに襲われて、コーセイは一瞬だけこめかみの辺りを手で押さえた。
それからすぐ、いつものコーセイに戻る。
「堂々として。今日の主役は君なんだから」
いつもの自分らしく、おだてるように笑って囁いてあげた。けれどルカは喜ばずに、少し笑って、
「違うよ、主役はあなたでしょ」
と、優しく囁き返してきた。
コーセイは今度は激しい衝撃を受け、よろめきそうになりながらも、ルカの手をしっかり握り返した。
計算やおべっかではなく、ルカが心から言ってくれた言葉が、コーセイの胸を打った。
猫人にはない、柔らかくて優しい美しさを備えたルカが、自分の隣に立ってくれている。そばにいるだけで穏やかな気持ちになれるし、甘えたくなるような不思議な魅力を持っている。
コーセイは自信に満ち溢れた顔つきで、ルカに注目して静かになっていた高官と貴族たちに向かって声を上げた。
「今日、僕とルカは女神ファトゥムの名の下に、婚約をする」
その言葉に広間は大きなざわめきに包まれた。見上げてくる猫人達の宝石のような瞳の煌めきが、今日はとても特別なものに思えた。コーセイは自分が王であることがこれ程までに誇らしく感じるのは初めてのことだった。
「僕とルカが出逢ったのは、女神ファトゥムが定めた運命だ。皆、今日という素晴らしい日を共に楽しんで欲しい」
コーセイの言葉に合わせて、給仕達が食べ物や飲み物を運んできた。貴族達は喜びの声を上げて次々と運ばれてきたグラスを手にする。
コーセイとルカの下にも、サフィアがグラスを運んできた。サフィアからでないと安心して受け取れないんだろうな、とルカはコーセイの境遇を悲しく思いながら、グラスを受け取る。
「猫王国と皆の多幸と歓喜を祈って」
ちょっと独特な言い回しは、猫人ならではのようだ。コーセイの声と共に「乾杯」と貴族や高官達がグラスを掲げた。
コーセイは満足そうに笑いながらグラスの中身を一気に飲み干した。
ルカは少し唇に付けてから、
「ねぇ、これってお酒? コーセイはお酒飲んでいいの?」
と少し不機嫌そうに聞いてきた。コーセイはルカの言葉の意味が分からずに、笑いながら、
「最高級の木天蓼入りの酒だよ。僕はもちろん酒は飲むけど……」
「まだ十五歳なのに! さすが猫の国だわ。あ、私はお酒は飲めないから、ジュースかお水をもらってくるね」
「何で酒が飲めないんだ?」
せっかく最高級の木天蓼酒を振る舞っているのに。ルカにも美味しく飲んで酔って欲しいと願っているコーセイがいた。だがルカはコーセイの胸に手を当てて断る仕草をする。
「ニンゲンは二十を越えないとお酒は飲んじゃダメなの。体に合わないらしいよ」
「そうなのか……」
がっかりしているコーセイを見ると、年相応の可愛らしさがある、とルカは感じ、微笑んだ。
宴も始まり、主役の二人、特にルカに話しかけたい猫人達がうずうずしながら階段の下で待ち構えている。ルカは一夜漬けで暗記した貴族名鑑を思い出す。
「コーセイ、貴族名鑑は覚えたから、相手の名前だけ紹介して。それで分かるから」
「頼もしいね、僕の美しい婚約者は。では早速、メルロー子爵に挨拶に行こう」
コーセイが優雅に私の手を引いて、階段を降りて行く。目指すはメルロー子爵だが、子爵はルカと話したい貴族達の輪から少し離れた場所で何故か元気無く立っていた。
「メルロー子爵!」
コーセイが大きな声で呼びかけると、周囲の猫人たちはサッと身を引いてメルロー子爵までの道を開けた。ルカは初めてメルロー子爵を見たが、柔和そうな丸い輪郭に小さな耳、可愛らしい丸眼鏡、どちらかと云えば丸っこい体型、すぐにスコティッシュフォールドだと分かった。
メルロー子爵はルカを見た途端、哀れなほどに毛を逆立てて怯えていた。こんな反応をされたのは初めてで、ルカもどうして良いか分からずコーセイの顔を見る。
コーセイも何故メルロー子爵が不安そうにしているのか分からなかった。恐らく、ファルザーム公爵からなんらかの圧力をかけられているのではないかと予想する。
「メルロー子爵。そなたに僕の可愛い婚約者を紹介したいのだけれど」
「は、はい。取り乱して申し訳ございません」
メルロー子爵は何故かルカとは顔を合わせようとせず、コーセイだけを見ている。
「あの、メルロー子爵。貴方が素晴らしい博識な方だと王から伺いました。私に猫王国の歴史やしきたりを教えていただきたいんです」
ルカが不審がって無理やり話しかけると、メルロー子爵はこめかみを撫で、自分を落ち着かせようとしている。
「わ、わたくしのような地位も低い者に、そのような大任は務まりません。どうか他を当たって下さいませんか……」
「僕が、そなたを勧めたのだ。未来の王妃の家庭教師になって欲しいが、頼めるかな?」
コーセイの言葉に、ビクッと怯えるメルロー子爵。一体何故こんなに怯えているのか、コーセイもルカも訳が分からず、顔を見合わせた。
ブックマーク・評価、ありがとうございます。励みになります。毎日なるべく更新できるのは、読んでくださる方々のおかげです。




