第六十三話・作戦失敗
ウィルとルーカスは猫王国の王都モンティグリースの中にある、メルロー子爵の屋敷にいた。
ウィルは和平交渉締結後の視察で来たことがあるので、落ち着いた様子でソファに座っている。ルーカスは窓辺に立って周辺の様子を警戒していた。
「あの門番は、お前が買収済みだったとはな。ウィリアム、お前は何も考えていないようで、実は頭の切れる奴だな」
「それ、褒めてるの? 貶してるの?」
ルーカスはカーテンの隙間から外の様子を伺いながら、かすかに笑っている。
ルーカスが冗談を言う日が来るなんて。ウィルは驚きと共に嬉しい気持ちになり、自然と尻尾が揺れた。口を開けばギスギスした会話しかしなかった日々が、遠い昔のように感じる。
「瓶入りの黒光虫をたくさん持ち歩いていたんだよ、前回来た時にね。猫人はそれで懐柔しやすくなるって聞いていたから。そのおかげでここまで来れただろう? 感謝してくれよ」
「確かに。感謝する、と言いたいところだが、メルロー子爵次第だな。信用できるのか?」
「うーん。僕が会った猫人の貴族の中では一番大人しかったよ」
ウィルは記憶の中でメルロー子爵と会った時のことを思い出していた。
あれはルカと出会うより数日前。和平締結後の視察と、猫王国に残された犬人の返還についての交渉で、ここ王都モンティグリースに来ていた時のことだ。
意地の悪そうな白髪のペルシャの貴族を筆頭に、十人の猫人貴族が集まっていた。対するは犬王国の使者団、イエーツ宰相の部下、それに王族の一人ガルファル、緋騎士団の団長にウィル。他にも護衛のための騎士が数人いたが、話し合いの場には参加していなかった。
ペルシャの貴族はファルザーム公爵と名乗っていた。実質、その場で一番の権力者であり支配者なのは明らかだった。従っていた猫人貴族の中で、穏やかで知性的に振る舞っていたのがメルロー子爵だ。
子爵という立場から、発言権はあまり無さそうなものだが、貴族の中でも博識らしく、度々意見を求められていた。
綺麗な灰色の髪に、小さな耳はぺたんとお辞儀をしているような不思議な形をしている猫人だった。ウィルがメルロー子爵の姿を思い浮かべている時に、ちょうど扉がノックされた。
「大変お待たせ致しました、ウィリアム・クロスフリー卿。お久しぶりです」
扉を開けて入ってきたのは、メルロー子爵その人だ。柔らかい雰囲気で童顔の猫人は、礼儀正しく挨拶してからソファに座った。ウィルも胸に手を当ててお辞儀をする。
「突然の訪問、大変失礼しました」
「驚きました。事前通達無しで王都モンティグリースに来られるとは。何か緊急事態が起きているのではありませんか?」
ウィルと歳はあまり変わらないであろうメルロー子爵は、小さな丸眼鏡を鼻の上に乗せて、そのレンズの向こうにある丸い瞳でウィルをじっと見ている。
しなやかな体型の多い猫人の中で、メルロー子爵はすらっとしているわけでなく、どちらかと言えばまるっとしている。どうやら彼の種類がそういう猫人のようだが、ウィルは彼の種類が何かまでは知らなかった。
ウィルはちらりとルーカスを見た。ルーカスは依然として窓の外を警戒している。
交渉はお前がやれ、と態度で言っているようだ。ウィルはそっとため息をついてから話し始めた。
「メルロー子爵は犬王国の国境にあるバルトーという町をご存知ですか?」
「……ええ、知っています」
バルトー、と聞いてメルロー子爵の顔が一瞬曇ったのをウィルは見逃さなかった。これは、バルトーで起きた戦闘を知っているのか、それとも問題を起こした猫傭兵団や、その指示をした黒幕を知っているのか。ウィルはじっとメルロー子爵の顔を見つめた。
猫人にとって真っ直ぐに見つめる行為は失礼に当たる。メルロー子爵は揉め事を嫌うかのように、自分から目を逸らした。耳が倒れているし尻尾も力なく垂れ下がっている。
「僕たちはバルトーの町で起きた問題に対処するために来ていたんです。とても身分の高い特別な方と共に」
ウィルの言葉を、目を伏せて聞いているメルロー子爵。ウィルは畳み掛けるように話を続けた。
「その特別なお方が、バルトーの町で揉め事を起こした猫傭兵団に連れ去られてしまい、僕たちは急ぎ追ってここに参りました。……この事が我が王国に伝われば、大問題になります。再び戦争が起こる可能性もあります。ですから、聡明なメルロー子爵のお力を貸して頂きたく、ここに参りました」
ウィルの声は淡々としていて、部屋に響き渡った。
その時、窓辺に居たルーカスがすごい速さでへの扉へと走った。
「伏兵だ!」
ウィルも弾かれたように立ち上がり、剣を抜いてメルロー子爵に向き合った。
メルロー子爵は小さく震えながら両手を上げて武器がないことを示している。
ルーカスは扉が開かないように押さえ込んで立っていたが、危険を察知したのか、次の瞬間、扉の前から真横に飛び跳ねた。長い四肢で一瞬で移動する術は、アフガン・ハウンドである彼だからこそ可能な芸当だ。
その瞬間、木製の扉をクロスボウの矢が突き抜けた。
矢はそのままメルロー子爵目がけて一直線に飛んだが、ウィルが剣で叩き折って止めた。
「何故メルロー子爵に当たるような打ち方を……」
ウィルとルーカスは困惑して顔を見合わせたが、今はそれどころではない。
扉が蹴破られ、部屋に兵士が雪崩れ込んでくる。
「薄汚い犬共め! ひっ捕らえろ!」
細剣を振り上げて、兵士その数十人が、ウィルとルーカスを取り囲んだ。
ウィルはメルロー子爵を盾にしようと、子爵の背後に立つ。だが、そんなウィルを見て兵士はせせら笑った。
「メルロー子爵を人質にしようとしても無駄だ。我々はもっと偉い方の命令で動いているのだからな」
ウィルは兵士の言葉を聞いてメルロー子爵の顔を伺った。子爵は力なく首を横に振り、自分には感の価値もないことを伝えて来た。
「クロスフリー卿、どうか投降してください。私の力不足で申し訳ないのですが、公爵様に逆らう事はできないのです」
メルロー子爵が小声で言ってきた。
ウィルはため息をつき、ルーカスにも目配せをした。
そして二人は剣を置いて投降した。




