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第五十五話・猫王国の王

 恐る恐る目を開けると、地面から少し高い場所で、私の体はふんわりと浮いていた。

 ぼんやりと優しい光が私の体を包んでいる。すごい! 私、言葉を発さなくても魔法が使えた!


 落ちてる最中、死を覚悟していたら、女神様の声が聞こえてきた。あの声がなかったら地面に叩きつけられてどうなっていたか……でももう女神様の気配はどこにもない。あれはなんだったんだろう。不思議に思いながらも、ゆっくりと地面に降り立った。


 口輪を切って外したい。手枷も同じように取れてほしい。そう念じると、目に見えない刃で切ったかのように口輪も手枷もスパッと外れた。ようやく自由になった口元に、手を運んで痛むところをさすった。


 ふと周りを見ると、あたり一面、犬王国の庭園に負けない美しい花の数々が咲き誇っている。その中に佇む一人の長身の猫人が、じっとこちらを見ていた。彫りの深い顔に大きな翠色の瞳、私が知る限りもっとも大きな切れ長の耳。銀色の濃淡のある縞模様のある髪。


 白くゆったりとしたローブを身につけた大きな猫人は、耳と同様、見たことがないほど見事な尻尾をゆっくりと振っている。尻尾自体かなり長いが、毛足も長い。見事な銀色縞模様が太陽を浴びてキラキラ輝いている。


 猫人はゆっくりした足取りで私のところにやって来た。よく見ると、上質な絹のように美しい光沢のあるローブを着ているし、全身からも高貴なオーラが漂っている。


 この猫人は、ジェントルジャイアントーーメインクーンだわ。他の猫人たちより明らかに大きな体、彫りの深い顔、切れ長の耳の先にはリンクスティップと呼ばれる飾り毛。


 私はさっきまでの状況をすっかり忘れて、目の前の美しい猫人に見惚れていた。


 猫人は私の爪先から天辺までをゆっくりと見た後に、首を大きく動かして私が落ちた窓の方を見た。つられて私もそちらを見ると、血塗れで悪鬼のような恐ろしい顔をしたキザリハが窓辺に立っていた……だけど、私の目の前の猫人の視線に気づいた途端、瞬時に部屋の中に引っ込んで行った。

 この猫人に見られちゃまずいみたい。


「君は、ニンゲンなのかな?」


 とても優しい声で、猫人は私に問いかけてきた。整った顔からは結構年上なのかなと思ったけど、声が若々しい。もしかしたら年はそんなには離れていないのかも。


 私を見る翠色の瞳も優しくて、私はほっとしてうなずいた。


「人間のルカです。あなたは……?」

「僕はコーセイ。猫の王だよ」


 なんと、私の目の前にいるのが、猫王国の王その人なの? 私がイメージしていた、戦争を起こしたり好き勝手するやりたい放題の王様と正反対の佇まいだ。


「とても驚いたよ。身軽な僕らでも、あの高さから落ちれば危ない。しかも、落ちると思ったら宙に浮いて止まったんだから」


 翠色の瞳はまるで宝石のように美しくて、見惚れてしまいそうになる。驚いた、と言ってる割には、おっとりした動作で首を傾げて私を見ている。この猫人は、どこからどう見ても、悪い奴には見えないなあ。


「コーセイ王様。びっくりさせてごめんなさい。というか、あなたの指示で私を捕まえていたのではないんですか?」

「え? どういう事?」


 私とコーセイ王、二人揃って首を傾げた。

 体はとても大きいし、顔も大人びているのに、仕草や話し方はちょっぴり幼い。


 そこへ、猫人らしからぬ大きな物音を立てて、制服を着た兵士の一団と先ほどのマトヴェイが走ってきた。


「なんと、あの高さから落ちて無傷……う、動くな!! 王の暗殺を企てている賊だぞ! お前ら、ひっ捕らえろ!」


 私がちょっと動こうとしたら、兵士を盾に大騒ぎしている。私をぐるりと取り囲んだ兵士達は、細身の剣を片手に私を見て複雑な表情をしている。マトヴェイだけが異常に怯えて、毛を逆立てていた。


「この方はニンゲンのルカだよ。僕たちの敵ではないから、みんな剣を下ろして」


 なんと、コーセイ王が私の傍らに立ち、私を擁護してくれた。嬉しすぎてコーセイ王の横顔を見つめる。ああ、あの肉厚なお耳や、ふさふさのリンクスティップに触れたい。


「王! 何を仰るのですか! その者は危険ですぞ! 先ほども儂を殺そうとし、かばった従者が大怪我をしたのです!」


 マトヴェイ、さすが悪代官。すらすらと嘘を言ってる。しかもキザリハが従者? どうせお金で雇った傭兵でしょう。いや、汚い金で雇った、って付け加えよう。

 私が反論しようと口を開きかけた時、スッとコーセイ王が手を出して私を静止してきた。


「マトヴェイ。この方は女神ファトゥム様が遣わしたニンゲンでしょう?」

「そ、そうでございますが……しかし、だからと言って」

「女神様はこの世界ジーアスの守り神だ。ジーアスに住む僕らに害を成したことは一度も無いよね」

「しかし、かれこれ三十年も姿をくらませ、世界を混沌に陥れているではありませんか」

「だから、ニンゲンのルカが遣わされたんだよね? 混沌に陥れているかどうか聞いてみよう」


 頭を下げて汗をひたすらに拭っているマトヴェイ……と思いきや、さすが猫人の中年男性。拭っているのは汗ではなく、ストレスによる体量の抜け毛だった。

 コーセイ王はにこりとして私を見てくる。


「ルカ、女神様はジーアスを混沌に陥れてようとしているの?」

「……いいえ、そんな事は絶対にありません。女神様はあなた方の平和や幸せを願っていました。それを実現するために私がここに居るんです」


 私がおずおずと喋ると、コーセイ王はニッコリとしてマトヴェイを見た。


「ほらね。女神様が僕らに仇なすなんてありえない事だと思うよ」

「王は! 儂よりこのニンゲンを信じるのですか!?」


 マトヴェイは顔を真っ赤にして毛を逆立てて怒鳴り散らす。対してコーセイ王は穏やかで自分のペースを乱さない。幼い感じもする猫人だと思ったけど、相当肝が座っているというか、こういう感情的なやり取りに慣れているのかしら。


「マトヴェイ。僕たちの祖先がずっと信奉してきた女神様の、その遣いが嘘をついて僕らを貶めようとするとでも思っているの? それは祖先に対する冒涜ではないのかな?」

「!! ……王がそこまで仰るのであれば、好きなように御解釈下さい。儂は忠告はしましたぞ」

「忠告ありがとう。では、ルカと話したいから席を外してもらえるかな?」


 柔らかい物腰なのに、実際はすごい圧だ。私はただ呆気に取られてコーセイ王の横顔を見た。マトヴェイの方が狡猾そうなのに、付け入る隙を全く与えない。


 マトヴェイは毛を目一杯逆立てて、今にも「シャー!」と威嚇しそうな尻尾をしながらも、数歩下がった。


「その者は儂が王宮にお連れしたので、お話が終わったら儂のところへお返し願いたいのですが」

「それはルカ本人に決めてもらおうね。じゃあね、バイバイ」


 にこやかに手を振るコーセイ王。あからさまな侮辱に、怒りで震えながらマトヴェイは消えて行った。取り巻きの兵士たちも顔を見合わせながら後をついて行く。


 私はほっとして深い息を吐いた。すると、コーセイ王が私の顔を覗き込んでニコニコしている。


「大丈夫? 僕が君を見つけて本当に良かったね」

「そうですね、庇ってくださりありがとうございました」

「ふふ、僕の暗殺を企てているだなんて、マトヴェイはまるで自分の事を言っているようだったね、可笑しくて笑いを堪えるのが大変だったんだから」


 え? マトヴェイってあれでも一応、コーセイ王の配下、なんだよね? それが暗殺を企てている? このおっとりした王様の、辛辣な言い回しに理解が追いつかなくて、私はただ茫然とするしかなかった。

念願の猫王との出会いです。ここから猫王国編が始まります。キザリハはしばらく病気療養中です。

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