第五十四話・猫王国の王都モンティグリース
少しだけ暴力的な言葉が出てきます。苦手な方、すみません。
馬に二つ折りになって運ばれる、大変貴重な経験がようやく終わった。
私が着ている服は馬の鞍の摩擦でぼろぼろになり、所々に血が滲んでいる。すぐ治るとはいえ、ずっと擦れ続けていたからやっぱり多少は痛かった。
「このくらい弱っておる方が可愛げがあるなぁ、フハハ」
この耳障りな声はキザリハだわ。顔を上げると目の前に奴がいた。最後に見た時と違って、高そうな洋服に身を包んでいる。濃紺の艶やかな服には贅沢な金の刺繍があり、腰に下げている剣は柄に宝石が散りばめられている。これから舞踏会でも行くの? と突っ込みたくなるような装いだ。
「おっと失敬。喋りたくても何も言えぬのだったな」
「うー!!」
ニヤニヤと笑いながら私を見下ろしている姿があまりに腹立たしいので、声を出して抗議したけれど、うーしか言えなかった。
周りは傭兵達が騒がしく何かの準備をしている。馬車が数台止まっているのも見える。
「これから王都モンティグリースへ入るのだ。貴様の処遇を決める方も首を長くしてお待ちしておるところよ」
私を拉致しろって言った黒幕に、もうすぐ会えるんだ。痛い思いして馬に運ばれたり、お腹ペコペコになっても我慢した甲斐があった!
キザリハは部下に呼ばれてそのままどこかへ消えて行った。ふぅ、あの神経質の塊みたいな猫人がいるとやたらと疲れるんだよね。居なくなってほっとする。
私は馬車の荷台に入れと指示され、その中に入る。荷台には幌が張られているので周りからは見えないようになっていた。猫王国の首都、モンティグリースって言ってた、どんなところか気になるのに、これじゃ何も見えなそう。
しばらくして馬車が動き出す。もう朝も過ぎたけれど、昨夜の寝不足があるので、薄暗い荷台の中は心地良かった。馬に乗って移動している時はずっとしんどかったし、休憩の時はコノエに会えて興奮してあまり眠れなかったんだよね。
そういえばコノエはそばにいるって言ってくれたけど、今も近くにいるのかな。昨日は聞けなかったけど、ヴァイスはどうしてるんだろう。元気が取り柄みたいな子だから元気なんだろうけど。
そんなことを考えているうちに、馬車の荷台の居心地の良さと、ほどよい暗さで、どんどん瞼が重くなり、吸い込まれるように眠りに落ちて行った。
「おい、起きろ! いつも寝起きの悪い奴だ」
またしても、デジャビュだ。キザリハのザラザラとした声で起こされる。あれ、拉致されたばっかりだったっけ、と寝ぼけて目を開けると、想像とは全く異なる状況が目の前に広がっていた。
豪華絢爛な調度品に囲まれた部屋。光が差し込む窓の窓枠や格子は美しい彫刻が施され、金色のテーブルと椅子のセットは触れてはいけないような輝きを放っている。壁には絵画や鹿の剥製! それにふかふかの赤い絨毯。その絨毯の上に私は横になっているところだった。
ゆっくりと起き上がる。両手は相変わらず縛られたままだし、口輪もされたまま。ただ布切れが新しく、ちょっと高そうな布に変わっていた。寝ているうちに交換されたみたい。
顔を上げると舞踏会仕様のキザリハがいて、その隣にも猫人がいた。キザリハより少し背が高い、同じ灰色がかった青い頭髪と耳、同色の尻尾。すらっとした体型が多い猫人の中では、少しどっしりした感じがする体型で、顔も年齢を感じる。私の父親ほどではないから、四十前後くらいに見える。
「お前がファトゥムの遣わしたニンゲンか」
その猫人の声は、キザリハと違って低かった。女神様を呼び捨てにする存在に初めて出会ったので、じっと顔を見ると、あからさまに不快そうな顔をしている。
あ、そうだ、目をじっと見るのは嫌よね、猫だもの。すっかり忘れていた。
「ふん、こんな何の能も無さそうな、頭も悪い、人生の経験もない、こんな小娘を送り込んで来ただと? 儂達をどこまで愚弄すれば気が済むのだ」
「マトヴェイ様、このような小娘、恐るるに足りません。ただ、女神が与えた厄介な能力があるようでして、それだけはお気をつけ下さい」
思わず吹き出しそうになったのは、キザリハが、めちゃくちゃゴマスリながら話しているのだ。年齢も上だけど、立場も相当上なんだろう。それにしても、傭兵団の中では俺様が一番偉い! って態度だったのに、今はこの猫人の従者ですか? って突っ込みたいくらいおとなしくしてる。
「魔法とやらか。厄介なことを……」
「それだけではございません。なんと、この小娘、怪我も自然に治るようなのです」
「なんだと! それは、いかなる怪我でもか?」
「今のところは、そのようです」
「では毒はどうだ?」
「まだ試していないのでなんとも言えないのですが、ちょうどこちらにダチュラの毒がございます」
「キザリハ、お前はなかなかに気が利くな」
「ありがとうございます」
この会話、前いた世界でやってた悪代官となんとか屋の会話、つまり、典型的な悪役のやりとりそのままだよね? しかも私に毒を使おうとしてる。「お主も悪よのう」とか言って毒を飲ませる気じゃないでしょうね。
飲ませようと口輪を取ったら、その瞬間に魔法を使おう。できるだけ短い言葉で魔法を発動させたい。
「では試してみましょう。これで致死量になります」
「もし死んだら、随分とあっけない最期だったと思うが、それもまた一興だな。ファトゥムや犬共の悔しがる顔が楽しみだ」
大人しく聞いてれば、なんて事を。キザリハに出会うまで、この世界にそんな悪人がいるなんて考えられなかった。でも今は分かる。この二人は悪人って分類だわ。
キザリハが近寄ってきた。手に持つ丸薬みたいなのを、飲ませようとしている。私の口輪に手をかけて、一瞬ずらし、そこから丸薬を入れてきた。
その瞬間、私は叫んだ。
「吹き飛え!」
べ、が言えなかったけど。
瞬間、キザリハの体が宙を舞い、壁に掛けてあった絵画にぶつかった。絵画は瞬時に壊れ、キザリハも床に落ちて倒れた。
「なんという! 誰か! 誰かおらぬか!」
マトヴェイと呼ばれた年寄りの猫人が大声を上げた。私は立ち上がってキザリハから距離を取る。口輪はついたままで、もう魔法は使えない。
ゆらりとキザリハが立ち上がった。頭から血を流している。その顔は恐ろしいほど瞳孔が窄まって、獲物を見るような目つきをしていた。手が宝石が散りばめられた剣の柄にかかる。
やばい。絶体絶命だ。
私は壁を背に急いで窓の方へ移動した。
「小娘が、切り刻んでやる!」
キザリハが甲高い声で叫ぶ。頭から流れる血が迸った。
回復魔法で治すから許して? って言うのはどうかなって脳裏をよぎったけど、その馬鹿げた考えを頭から追い払い、私は覚悟を決めて背中から窓に体当たりした。
バン! と大きな音を立てて窓が開き、私の体はあっという間に落下して行く。
「死ぬ気か!」
どちらかの猫人の驚きの声も遠くに聞こえた。
もしかしたら死ぬかも。せっかくここまで来たのに、何もできないまま死ぬのは嫌だなぁ。
コノエはどうしてるだろう。
ヴァイスにももう一度会って抱きしめたかったな。
ウィルにはまだ返事してないのに。
ルーカスはウィルと仲直りできたかな。
ルゥはベークとヒルデと笑顔で過ごせてるといいな。
イエーツ宰相は自分に釣り合う素敵なお嫁さんを見つけてほしい。
ガウディ王にも、王妃にはなれませんって言わないまま出てきちゃった。
ファトゥム様。あなたが思うほど私は穏やかには暮らせていませんよ。魔法もうまく使えないまま、二度目の死を迎えそうです。
『あなたは死にませんよ。それから、声を出さないと魔法が使えないなんて、誰が決めたのですか。可能性は無限大にありますよ、ルカ』
脳裏に確かにファトゥム様の声が響いた。
同時に私は目をぎゅっと瞑り、頭の中で叫ぶ。
落ちたくない!
その瞬間、私の体にかかっていた落下感がフッと消えた。




