第五話・猫人の恋愛事情
サバディアでの二日目の朝。
身動きが取れず、あの猪の化け物に襲われる怖い夢を見た。冷や汗をかいて目を覚ますと、昨日と同じで、ヴァイスが私の体と腕の間で丸くなって寝ていた。
猫と寝るとこうなるから、いつも体が痛くて、でもそのうち慣れちゃったんだよね。懐かしい。猪はもう死んだし、怖い夢は忘れよう、そう思って息を吐くと、いきなり額に手が伸びてきた。
「わっ」
びっくりし過ぎて声が出た。なんとヴァイスと反対側で、コノエがこっちを向いて寝転がっていた。私の額の汗を、そっと手で拭ってくれる。でも、ヴァイスみたいな小さい子なら分かるけど、コノエはどう見ても私より年上で、しかもすごいイケメン。
すごいイケメンが、ある朝起きると添い寝してくれていて、頭を撫でてくれる。これはどんな状況なんでしょうか。私の声でヴァイスがうーんと起き始めると、コノエは少し優しく笑ってから、音もなく起き上がった。
おかげで、起きたヴァイスには、コノエが添い寝していたことは知られずに済んだけど。もし知ってしまったらすごく文句言われそう。
私の心臓の鼓動とか、たぶん赤くなった顔、気付かれてるのかな。二人の表情を見ても全然分からない。
「おはようルカ! 今日から旅に出るぞ!」
元気いっぱいのヴァイスが大きな声で言ってくる。私が同意の言葉を口にしようとした瞬間、ドアが開いた。
「旅に出る? そんなの聞いてないわ」
冷たいような、抑揚のない声だ。声の主は、昨日小川で出会った猫娘の一人。たしか、ナラシャ? 自信がないのでここは黙っておこう。
見ると、不機嫌そうな彼女は、腕を組んで扉の前に立っていた。昨日と同じで髪をポニーテールにして揺らしている。耳は左右を向いて、尻尾は勢い良く床を叩いている。これは、ちょっと怒り気味、または警戒している感じかな。
「コノエ! 旅に出るってどういうこと?」
私の横をすらりとした手足で通り抜けて、キッチンで猫流の洗顔をしていたコノエに絡みつく猫娘。抱きつくというより絡みつく感じで、頬ずりまでしている。ぎょっとしつつも、私は小さな声でヴァイスに、「彼女の名前ってなんだっけ?」と聞いたけど、ヴァイスは私の方は全然見向きもせず、
「ナラシャ! 兄ちゃんにベタベタすんな! 俺の兄ちゃんに!」
と二人の間に無理やり割って入っていった。そんなに広くない家の中で大騒ぎで、私は居場所がないのでとりあえず部屋の隅っこへ避難することにした。
そんな私をチラリと一瞥したナラシャ……良かった名前合ってた。
「ニンゲンを匿って、一緒に旅に出るなんて、どういうこと? 私が誘った時には断ったのに!」
ポニーテールを揺らしながらコノエに文句を言うナラシャの顔は、女の私が見ても綺麗で、こんな綺麗な女の子に絡みつかれたら、私だったら絶対嬉しい。けど、コノエは無表情で、ナラシャの方を見もしない。
「ヴァイス、予備のナイフと毛布は入れたか? 小川に行って、皮袋に水を入れてきてくれ」
「コノエ! 私の話聞いてる!?」
「聞いてない。帰れ」
身も蓋もないってまさにこのことだよね……私がもし好きな男の子にこんな態度取られたら、二度と立ち直れない気がする。けどナラシャはどこ吹く風って感じで、ひたすらコノエの腕に絡みついたり、顔に頬擦りしている。コノエはそんなナラシャを透明人間扱い。ヴァイスは二人の間に割って入るのをやめて、皮袋を片手に、ナラシャのポニーテールを掴んで玄関へ向かう。
「痛い! ヴァイス! ねぇ、コノエ! 私を置いて旅になんて出ないでよ!」
コノエは尻尾でナラシャにバイバイし、ヴァイスはポニーテールを片手に家の外へ消えて行った。静かになった家の中で、居心地が悪い。
「あの子はコノエのことが好きなんだね。もし……もし私を匿ってるせいで関係が悪くなるのなら、迷惑かけてごめんなさい」
私が頭を下げながら謝ると、コノエは目をまん丸にして、心底驚いたような表情で私を見た。何か変なこと言ったかな。
「俺がどう行動しようと、自由だろう。それによって関係が悪くなるならば、それはどうでもいい奴ってことだ。お前はいつも感謝や謝罪を欠かさないが、俺から見たら感情豊かで不思議だよ。誰にでもそうするのか、ニンゲンは?」
そう言ってふわりと私に近づいて、私の顎を掴む。突然何をするのかなと、心臓が朝以上に飛び跳ねる。顎にかかったコノエの手は柔らかくてとても綺麗で。私はそーっと彼のその手を掴んで、顎から外す。
「えっとね、ニンゲンっていろんな性格だから、私みたいなのもいれば、逆のタイプもいるよ! そうだ、ヴァイスのお手伝いしに行って来るね!」
そっとコノエの手を離し、ぎくしゃくと家を出る。早足になってないか、真っ赤な顔は見られていないか、色々不安で、焦りすぎて、足場を踏み外してしまった。
「きゃ!」
「……気を付けて」
地面に転げ落ちそうになった私を、片手で抱き止めたコノエが、耳もとで囁いた。一瞬の出来事すぎて、いつ彼が来たのかも分からなかった。しなやかで力強い腕に抱かれて、もう私の頭は沸騰寸前。
コノエがそっと私を下ろしてくれたので、お礼を言って、小川に向かってふらふらと歩き出した。
色々、心臓に悪い人だわ……。
「ルカ! 何やってんだよ、年寄りみたいな歩き方して」
ヴァイスが皮袋片手に走ってきた。もうナラシャの姿はない。
「さっきのナラシャさんはもう帰ったの?」
「うん、何度も兄ちゃんのところに戻ろうとしてたから、ちょっと意地悪してやったんだ」
「何やったの?」
「小川に落としてやった!」
誇らしげに言う少年ヴァイス。うわあ。猫にとって川に落ちるのは死活問題で、意地悪の範疇を超えているような気がする。私が不安そうにしているのを見てとったのか、
「心配ないぞ。髪のセットがーとかわめいてたけど元気だぞ。村の猫種属はみんな強いから、水の中も平気なんだ」
良かった。それを聞いてほっとした。
「ところでヴァイス、ちょっと聞きたいんだけど。ナラシャさんは、コノエのことがすごく好きそうだよね。私がいるから怒ってたの?」
「うーん、ナラシャは嫉妬深いしわがままだからな。ルカじゃなくても怒ると思うぞ。ナラシャは兄ちゃんの子どもがほしいんだよ。でも兄ちゃんはナラシャに興味ないし」
「こ、子ども? それって、結婚したいってこと?」
結婚、という単語に???な顔のヴァイス。あれ、この世界には結婚っていう概念はないのかな。
「ケッコンって何だ?」
「えと、好きな人同士が一緒に住んで、子供を作って、ずっと愛し合って暮らすこと、かなぁ」
「ふーん」
ヴァイスはつまらなそうに首を傾げ、道の脇に生えた木に体を擦り付けた。
「ニンゲンって変だなやっぱり! 俺たちは、子供を産んで独り立ちまで育てたら、そこで離れて、また次の相手を探すんだ。同じ相手でも良いけど、みんな違う相手を選ぶことのが多いぞ。俺と兄ちゃんみたいに一緒に暮らす兄妹もいるけど、男と女は子育て以外じゃ一緒には暮らさないな」
えーなにそれ! 猫の生活そのままなのかなぁ。それをリアル人間姿でやってるって、なんというか、不思議すぎる。生涯同じ人と暮らさないで過ごすなんて、老後とかどうするんだろう。そういえば村にはあまり高齢の猫種属は見当たらない。
「じゃあ、年取ってからもずっと一人で暮らすの?」
私が聞くと、ヴァイスは驚いてから、そうか、と呟いた。
「お前はニンゲンなんだもんな。あのな、長生きになると、みんな同じところへ行くんだ。雲より上。長生きした猫種属はすごい力を手に入れて、偉い存在になるんだぞ。他に、病気とか死期が近付くと、みんなダスティアーク山へ向かうんだ。あそこが猫種属の死場所なんだよ」
長生き猫人は、仙人にでもなるってこと? そういえば母も、猫は二十歳超えると妖怪になるのよ、なんて言ってたっけ。それから、死ぬときの場所まで決まってるんだ。猫って不思議な生き物だと思ってたけど、やっぱりこの世界の猫人もそうなんだね。
「なんか、ヴァイスの話を聞いてたら、あなたたち猫種属ってすごく神秘的で素敵だなって思ったよ」
たくさん教えてくれてありがとう、とヴァイスの頭を撫でると、ヴァイスの喉からゴロゴロと低い音が聞こえてきた。うっとりと目を閉じる姿は、猫そのものだ。
「これ気に入った、毎日やれよ!」
私の手を掴んでヴァイスは嬉しそうに言う。なんだかんだで懐いてくれたんだなと思うと可愛くて仕方ない。
「私にこの世界のこと、たくさん教えてくれたらね!」
そんなの朝飯前だぜ!とやんちゃ少年は軽い足取りで自宅に小走りに消えていく。
残ったのは、足場を自力では登れない人間の私。しまった、ヴァイスを引き止めるんだった。仕方ないので近くの草むらに腰を下ろし、一息つくことに。
そういえば、ヴァイスが言いかけてた翡翠戦争について聞くのも忘れちゃってるな。たしか十年続いた戦争が半年前に結ばれた和平交渉で終わってて、でも不安定だって言ってた。こんな辺境の村に住むコノエがそこまで知ってるってことは、国内の状況ってしっかり伝わってくるのかな。
考え事をしていたら、風が気持ち良くて、目を閉じた。
心配してもしょうがない。よし、決めた。私を大切にしてくれる周りの人を大切にしよう。そうやって生きていけば、きっと道はひらけるから。
ちょっとした小話を挟みたいなと思って書きました。昔、家庭教師をしていた時、生徒さんの家に21歳の猫さんがいたんです。
その猫さんの周りが、うすぼんやりとして見えるんですよ。びっくりしていると、お家の方に、
猫は二十歳超えると妖怪になるんですよ。
って教えてもらったんです。何度見ても周りがぼんやり光って見えて、それはそれは不思議な光景でした。




