第四十九話・猫傭兵団の団長
「おい、起きろ」「起きろ」「起きろと言っておるのに」
なん度も話かけられ、うるさいなぁ、と頭の中でむっとする。でもまぶたが重くて開かない。神経質そうな耳障りな声だ。甲高い。この声のトーンは犬人ではないような。
そう思ったところで、やっと目が開いた。
どこかの一室なのか、木造の簡素な家の中で、家具はほとんど置いていない。
深い灰色に青が混じったような毛色の頭髪と、立ち耳をした猫人が、尻尾をばんばん床に叩きつけながらこっちを見ている。
それなりに上質そうな服を着ている。丈夫そうな黒い生地に、控えめながら金の刺繍。彫刻入りの革の胸当てもつけていて、腰には細い剣も差さっていた。大きな瞳は深い緑色をしているが、その目はイライラしているようだ。
「やっと起きたか、この寝坊助めが。俺の貴重な時間を奪いおって」
ざらざらした声で、不機嫌さを丸出しにして話している。私に向かって言ってるんだ、と理解するまで少し時間がかかった。
だんだん意識がはっきりしてきて、ここが止まる予定の宿ではないことにようやく気付いた。しかも、私の両手はがっちりと紐で結ばれていた。壁にもたれるようにして、床に座っていた事にも、今初めて気付いた。
「ここはどこ?」
私が声を出すと、先程の神経質そうな猫人が、初めて口の端を上げて笑った。
よく見ると他にも三人の猫人がいる。それぞれ毛色は違うけれど、みんな革の胸当てをつけ、剣を差している。
「ハハハ、呑気なことだ。貴様は我々に拉致されたのだよ、ニンゲン」
「えーと、あなたは誰?」
「俺様は青灰の傭兵団の団長キザリハ」
「猫傭兵団……」
だんだん話が見えてきた。私を宿で拉致したこいつらは、バルトーの町で問題を起こした猫人傭兵団なのではないか? どう見ても問題を起こしそうにしか見えない連中である。
神殿で怪我に苦しんでいる多くの犬人を思い出し、目の前の高慢そうな猫人を見て私の胸はムカムカしてきた。
「あなた達が町で問題を起こしたの?」
「ふふ、そうだ。愚図で鈍間でお人好しな犬共をちょっと痛めつけてやったのだよ」
「何それ! あんなひどい怪我をさせてといて」
「弱いから悪いのだろうが」
そう言い放った猫人は、口元を大きく歪めて笑っている。心底思う、こいつは性格が悪そう。毛色や瞳の色から察するに、たぶん、
「あなたロシアンブルー?」
聞くと、耳がこちらを向き、尻尾はまっすぐにピンとした。しかしすぐまた床をバシバシ叩き始める。気分の移り変わりがすごい早い。
「ニンゲンのくせによく俺様の種類が分かったな。褒めて使わそう」
「すぐ分かったよ。神経質で偉そうなんだもん」
「なんだと……」
私が遠慮せず言うと、目つきが恐ろしいほどにきつくなる。ちょっと言っただけでこれか。周りの三人の猫人がおろおろしているのが見て分かった。部下でも扱いきれない気質らしい。
「馬鹿な犬共を焚きつけ、戦争の火種にしてやろうと思ったが、思わぬ拾い物をしたからな。貴様を痛めつけるのは、王国に戻ってからとしよう。時間がないのでな、またしばらくその生意気な口を閉じておれ」
傭兵の一人が猿ぐつわをしようと布きれを持って近寄って来る。まずい、魔法を使うには声を出さないといけないから、口を封じられるわけにはいかない。こういう時はなんの魔法を使えばいいか、咄嗟に思いついたものを唱えようと急いで口を開ける。
「風よーー」
「おっと! 黙っておれ」
キザリハが何かを私に向かって投げてきた。縛られているのと、あまりの速さに追いつけず、次の瞬間、頭部にすごい衝撃が走った。
「貴様の魔法は調査済みだ、馬鹿め」
その声が聞こえるかどうかというところで、私の意識はぷっつりと途絶えた。
ウィルは床に突っ伏して倒れていた。こんな情けない姿で倒れ、立ち上がることができないのは学院に通っていた若かりし頃以来、初めてのことだ。
ルーカスも片膝をつき、肩で息をしながら、なんとか倒れずにいた。二人とも着衣は破れ、汚れ、口元や手足からうっすら血が流れていた。大きな怪我ではないが、かすり傷というにはひどい怪我だ。
「腕を上げたな、ウィリアム」
ルーカスが息も絶え絶えに言う。長い黒髪は後ろで一つに束ねてあった紐が切れ、乱れて絡まったり、血がついている。ウィルは顔だけ上げてルーカスを見た。
「よく言う。また僕の負けだろう。もう起き上がれないよ」
「俺も立ち上がれない……勝ち負けなんて関係ないだろう、この状況じゃ」
「確かにそうだね」
ルーカスが笑い出し、つられてウィルも笑った。寡黙で冷静沈着、きつい言葉しか吐かないルーカスの、明るい笑い声をウィルは初めて耳にした。
ウィルは起き上がろうとしたが、ここ数年は経験したことのないほどの痛みに襲われて、「うぅ」と情けない声が出ただけで終わった。
それを聞いたルーカスが、よろよろとウィルの方へ歩み寄って来る。カタツムリのような遅さだ。いつも澄まして整った顔をし、姿勢一つ乱さないルーカスが、情けないほどよろよろと歩く姿を見て、ウィルは盛大に吹き出した。
「笑うな……お前を起こそうと思って、頑張ってるんだぞ」
「だって、ルーカス、お前のそんな情けない姿、初めて見たぞ!」
「家族にもほとんど見せたことはないな、確かに」
「家族といえば」
ルーカスはようやくウィルの下に辿り着き、ウィルに手を差し伸べた。ウィルは躊躇わずにその手を取った。二人の拳がしっかりと握られた瞬間だった。
ルーカスは呻きながらウィルを引っ張り起こし、そのまま二人は床に座り込んだ。
「……アテナ嬢はお元気かい?」
ウィルは目を伏せながら問いかける。ルーカスは綺麗な茶色い瞳でウィルを見つめ、にこっと笑った。この男の笑顔を見るのは今日が初めてのウィルは、戸惑いを隠せない。
「元気だ。噂は聞いているだろう、女性初の辺境伯。アテナは自分から志願して、化け物の多い北方の地へ行き、王国の守りの要であるクラフツ要塞を守り続けている」
「あぁ。噂は本当だったのか。彼女ならやりかねないとは思ったけど、あまりに偉大過ぎて、噂か真実か分からなかったんだ」
「お前に告白された時、アテナは喜んでいたよ。なのに、『やっぱり、兄より強くないとダメ! 恋に障害は付き物よね』って突然言い出して、俺とお前を決闘させたんだから……妹に自分で決闘しろって言わなかったこと、すっと後悔してきた」
「うわぁ、そんなこと言ってたのか。他の女子と違う彼女がとても魅力的に思えたんだけど、今思えば、僕の手には余る女性だったね。でも、告白した女性に負けるよりは、その兄に負ける方がまだカッコ悪くない、そうだろう? だからルーカス、お前を恨んでいたのは間違いだったよ、ごめんな」
「いや、妹に言われて決闘する兄も、言いなりみたいだし、妹を甘やかし過ぎたと思う」
二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。
何年も確執を抱えていたが、ようやくそれが溶けて消えた。ウィルは清々しい笑顔で天井を仰いだ。
「あー、全身がすごく痛い。そうだ、ルカ様に回復魔法をかけたもらおう。……ルカ様は?」
「喧嘩が始まってすぐ、部屋の外に出て行ったが……」
次の瞬間、二人はすごい速さで立ち上がった。体の痛みなど吹き飛んでいき、耳はぴんと張りつめ、尻尾も緊張と警戒からピンと立って揺るぎない。
「宿の女中が案内していたのが一瞬見えたが」
「その女をさがそう」
二人は一糸乱れぬ動作で、互いに衣服を整え、乱れた髪を手櫛で整えると、剣を手に部屋を後にした。




