第三話・人型猫たちの村へ
私は今、コノエの暮らすサバディアという村を目の前にして、言葉を失ってる。コノエみたいな猫耳猫尻尾をつけた人たちが何人もいて、本当に異世界に来たんだって実感してる。
しかも、村っていうと平地に家を想像すると思うんだけど、さすがは猫。切り立った崖の様々なところに、草木や蔓で作ったドアが取り付けられた、高低差のある村なのだ。すごすぎて言葉が出ない。
コノエはさっさと村に入り、すれ違う人と一瞬視線を交わしてから、耳や尻尾だけで挨拶してる。どんな反応をされるかドキドキしたけれど、村の人たちは私のことは見ないようにしている感じがした。
「俺の家は一番低いところだから、お前でも入れるよ」
それは良かった。もし、「あの一番上の家だ」って言われたら、空を飛べでもしない限り、私じゃ絶対辿り着けなかったもの。高校の三階建て校舎よりずっと高いところまで続いている、不思議な断崖の家々。住人たちが登るのに使うのだろう、簡易的な木の足場が所々にある。でもね、人間の身体能力じゃ、クライミングのオリンピック選手でも無理そうだよ。
コノエは崖の前まで来ると、自分の身長より高い足場にひらりと飛び乗った。え? 私そこ無理なんだけど……一番低いって言ってもこれなの? 軽く絶望していると、さっとしゃがんで手を伸ばしてくれる。
「ねぇ、腕一本で私を上げるのはちょっと無理じゃ……」
呟きながらおずおずと手を伸ばすと、いきなり強く掴まれ、次の瞬間にはふんわりと足場に上げられていた。私がすごく軽い体に生まれ変わったのか、コノエがすごい怪力なのか、どっち? 怖くて聞けないけど、ひとまず、ドキドキする胸を押さえて「ありがとう」とお礼を言った。
コノエは私の手を掴んでいた手をじっと見つめてから、口の端を小さく上げて見せた。あ、これ森でも見た、たぶん笑顔。端正な顔に、水色と金色のオッドアイ、さらさらの銀髪、こんな人見たことない、なんて素敵なんだろう。思わず見惚れてしまう。
「……もう家だよ」
コノエはさっきと違って嫌な顔せず私と視線を合わせていた。私の方がはっとして視線を外す。慌てて彼の耳や尻尾を見たけど、耳はこっちを向いているし、尻尾もそんなに揺れていないので、これは、柔らかい態度だわ。
コノエが指し示したのは、もう一段上がったところにある赤い葉っぱで編まれたドアの家。
彼はドアを開けてするりと中に入っていく。私もなるべくそっと入る。だけど。
シャアァ! と、聞き慣れた猫特有の威嚇音がしたと思ったら、意外と広々とした崖をくり抜いた家の中で、白髪の少年が私を見て耳や尻尾の毛を逆立てていた。
「兄ちゃん! なんだそいつ! すごいドタドタうるさいし、臭いも変だし、耳も尻尾もないぞ!」
あきらかに怒っている。私より少し背が低く、ほっそりとしたこの少年が、コノエに向かって甲高い声で叫んだ。
コノエは尻尾を左右に振りながら、少年のそばに行って頬を撫でた。
「落ち着け。こいつはニンゲンだ」
コノエに撫でられると一瞬心地良さそうに目を細めた少年だったけど、ニンゲン、そいう言葉を聞いた途端また目を見開いて声を張り上げた。
「ニンゲン!? 本当に存在したのか! でもなんでうちに連れて来たんだよ! そのまま放っておくか、衛兵に引き渡せば良かったのに」
これはもう歓迎どころか拒否されてる感じね。ニンゲン自体イメージ悪そうだし、たぶん、部外者が嫌そう。猫ってそういう生き物だもんねと1人納得するものの、ここで外に放り出されたらすごく困る。コノエの横顔を見ると、少し困ったような顔をして少年を見ていた。
「ヴァイス。お前が騒ぐと面倒だ。俺はこのニンゲンと話があるから、それが終わるまで寝てろ」
コノエの言葉を聞いて反論するかと思いきや、少年は尻尾を逆立てながらも、後ろに後ずさって、ふわりと奥の葉っぱのカーテンの向こうに消えていった。意外とすんなりいなくなるのね。コノエの言うことには逆らわないんだ。さっき兄ちゃんって呼んでたから、兄弟なんだろうな。銀髪と白髪で色が微妙に違うし、尻尾の毛足の長さも違うけど。
コノエはさっさとブーツを脱ぎ捨てて、柔らかそうな毛皮の敷物の上に座った。私をチラッと見る。これは、同じようにしろってことだろうな。私も履いていた柔らかいブーツを脱いで、敷物の上に座った。
コノエが平たいお皿に水差しから水を入れて、自分と私に並べてくれた。コップじゃなくて平たいお皿っていうのがちょっと引っ掛かったけど、気遣いは嬉しい。
「ルカ。お前、女神ファトゥムに会ったのか?」
開口一番に聞かれたのは女神様のこと。「そうだよ」と頷く。私の同意を聞いてから彼は平皿の水を、ちょっと長めの舌で音を立てながら舐め始めた。わー! これ、猫の水の飲み方だ。人型になっても飲み方が同じなのね。私も喉がからからだったから、コノエが飲み始めたのを見てから、こぼさないように両手でお皿を包んで、ぐいっと傾けて喉に流し込んだ。
「はぁ、美味しいお水だね、ありがとう。私ね、別の世界で死んだところを、女神様に助けられて、この世界に転生させられたの。でもこの世界のこと何も教えてもらってなかったから、あなたたちを見てびっくりした。猫種属と、犬種属がいるって言ってたよね?」
私の水の飲み方を見たコノエは、目をまん丸にしていて、その丸さがまた人間離れした丸さで、猫らしいなぁと思って笑いそうになった。コノエは視線をずらして話し始める。
「そう、ここジーアスは、俺たち猫種属と、犬種属の二つが暮らす世界だ。女神ファトゥムが平和を保っていたが、ここ30年、女神が現れたことはない。そのせいで争いが戦争となり、10年も戦争していたんだよ、俺たちは。やっと半年前に和平が結ばれたが、未だ現れない女神のせいで、今も不安定な状況だ」
えー! 戦争!? 私が女神様から話を聞いたときはそんなこと一言も言ってなかったよ。むしろ、穏やかに、のんびり、好きなことして楽しく暮らしてくださいねって笑顔で言ってたのに。
「ねぇ、私は女神様にちょっと前に会って、この世界に来たんだよ。なのに30年も現れてないってどういう……」
「それは俺にも分かりかねる。だが猫王国は仕事をしない女神に呆れて、もう女神抜きで自分たちの好きなようにジーアスを支配しようと考えてるんだ。和平がいつまで持つか。そんな時に、女神の遣いと言われているニンゲンが現れたとなると、世界中が大騒ぎになるだろうな。俺が見つけてお前は幸運だったと思うぞ」
なんか、想像してたのと違う。戦争や不安定な和平って。あ、そういえば、混乱を極めている、とは言ってたような。それにしても混乱のスケールが大きすぎるし、私1人でどうしろって言うの。コノエの言葉にもちょっと引っかかるところがあって、聞き直す。
「女神の遣いって言われてるの、人間が?」
「そうだ。犬王国は女神を唯一の神として信仰していて、ニンゲンは女神の遣いだと言われている」
そうなんだ。神の遣いってまたたいそうな響き。人間なんてちっぽけな生き物なのに! しかもコノエたち猫種属っていう人たちは身体能力が人間よりはるかに優れていそうだし。こんな私が何ができるんだろう。
「ごめんね、ちょっとびっくりしてるし、正直、私これからどうしたら良いか分からないの。あなたが命を救ってくれたことはすごく感謝してるし、こうして説明もして親切にしてもらえて嬉しい。ありがとう。行く宛もないし、できることもないけど、女神様には、穏やかに楽しく暮らしてほしいって言われて来たんだよ」
後半ちょっと涙声になりながら、一生懸命説明する。コノエは私の目をじっと見つめてくれた。本当に綺麗なオッドアイ。優しい色をしている。彼から目を見つめてくれたので、私も見つめ返す。
「お前が困っているのは見てすぐ分かった。放っておくつもりはない。女神の言う通りにするなら、猫王国にいてはダメだ。お前を守り大事にするのは犬種属の連中だろう。明日すぐには無理だが、犬王国の国境の町まで連れて行ってやる。そこまでなら俺も力になれる」
出会って数時間、でもコノエには命を救ってもらった。そして今も親切にしてくれて、こうして、私のために何ができるかを考えてくれている。
ほっとして、涙がこぼれた。いきなり死んだって言われて、何もかも分からない、知らない世界に放り出されて、怖かったんだな、って今実感した。そう思ったら涙が止まらない。
気付くとコノエがすごくそばにいて、私の頬を伝う涙を、きれいな手で拭ってくれた。それから頬を撫でてくれた。これ、さっき弟さんにもしてた仕草だ。
「ありがとう」
小さく呟くと、コノエは私をまっすぐに見て、少し体を揺らしながら、ためらいがちに顔を近づけてきた。綺麗な顔が目の前に迫って来て、心臓が飛び跳ねる。キスされる……と思ったら、わずかに軌道修正されて、彼は私の頬に頬ずりしてきた。頬ずり。
これ猫がやるやつ。自分にそう言い聞かせて、心臓の鼓動を抑えようとする。でも目の前にいるのは猫じゃなくてハリウッド俳優もびっくりのイケメン、でも猫だから、猫。そう思ううちに、私の手が勝手に彼の頭をそっと撫でていた。
私が硬直半分で頭を撫でていると、ハッと我に帰ったコノエは、私を通り過ぎて立ち上がった。
「ニンゲンって不思議な感じがするな。すごく惹き寄せられる」
私の方は見ずに呟いた。尻尾がぴんと立っているので、嬉しいみたいだけど……どうなんだろう。私の猫はいつも私にすりすりした後、尻尾をぴんと立てて通り過ぎって行ったなぁ。そっくり同じ行動みたい。私の猫は大柄でおっとりした子で、甘えん坊だった。懐かしいな。ちゃんとご飯もらって、日課のブラッシングもしてもらってるかな。コノエも、人の姿をしているけど、猫なんだなって思うと、自分の猫に思うように愛しい気持ちがぎゅっと出てくる。
そう思って彼の後ろ姿を見つめていると。
「おい! 話は終わったな! さぁ出て行け!!」
再び少年の甲高い声がしたと同時に、すごい勢いで少年が奥の部屋から飛び出してきた。
私の前に、猫背で耳を倒し、尻尾を膨らませた姿で立ちはだかる。私は座っているから、少年に見下ろされてる感じになる。
「ふん。兄ちゃんは騙せても俺は騙せないぞ。ニンゲンは怪しい術でも使うんだって知ってるからな! 変な目で兄ちゃんを見つめやがって。言っとくけど兄ちゃんは村で一番モテるんだぞ! そして猫種属じゃないお前は、今すぐに! 村を出て行けー!」
なんだか支離滅裂な言いがかりをつけて、大騒ぎする少年。元気が良すぎてどうしよう。扱いに困っってコノエに助けを求めるように目線を送る。するとコノエが音もなく少年の背後に忍び寄り、少年の毛足の短い大きめの耳に、かぷんと牙を立てた。
「ぎゃっ! ごめんなさい!」
条件反射で謝ったみたい。噛まれた耳を手で隠して飛び上がる。それから小さくなって耳を垂らし、尻尾もだらんとなった。分かりやすい子でなんだか可愛くなっちゃう。
「俺が客として招いたんだ。お前もそうしろ。ちゃんと挨拶もしろ」
クールに言い放つコノエに頭が上がらない様子の少年。ふてくされて、視線はどこかへ投げながら、しぶしぶ口を開いた。
「……俺はヴァイス。似てないって言われるけどれっきとしたコノエ兄ちゃんの弟だ!」
「私はルカだよ、よろしくね」
にっこり微笑んでヴァイスの額あたりを見つめて目を細める。猫はこういう仕草なら嫌じゃないはず。
作戦成功で、ヴァイスも一瞬、耳や尻尾の警戒が解けた。でもまたぎゅっと警戒モードになる。この子は慣れるまで時間がかかりそうな猫さんだわ。
「また変な術使いやがって! 俺は騙されないぞー!」
騙されない、ってオレオレ詐欺じゃないんだから。あまりに可愛い反応にくすりと笑ってしまう。変な術って言ってるのは、猫に合わせた仕草をとってるからなのかな。
コノエは無表情で、ヴァイスの顎を撫でながら、
「もう眠い。お前もルカも寝ろ。俺たちは奥の部屋に寝床があるが、ニンゲンはこの敷物の上の方がいいだろう」
ヴァイスはコノエにまとわりついて、一緒に寝る! と甘えた声を出して、2人寝室に連れ添って消えて行く。猫らしい決断と行動の速さだわ。
私も敷物の上で横になる。
今日一日で本当にいろんなことがありすぎて。
もう考えるのも無理……息を吸い込んで、目を閉じると、すぐ睡魔が襲ってきた。
ふわりと暖かい掛け物がかけられる感じがしたが、睡魔に勝てずにそのまま眠りに落ちた。
読んでくださりありがとうございます。
一人称で書くのって難しいですね。感情の部分と状況説明の割合が……。
慣れない小説を書くという作業ですが、今まで読者だった立場なので、楽しい気持ちで書いています。
猫の仕草と人型が上手くかみ合う落とし所はどこ……。




