9 『アールとニル』
ちょーっと長いですが、お楽しみくださいませ
その日はいつもと違う朝だった。
何が違うのかはうまく説明できない。空気が震えているとでも言えばいいのだろうか。あるいは俺の体が勝手に震えていたのかも。
アールは先に来ていた。
右手には剣を持ち、静かに佇んでいる。
街灯の光が、抜き身を反射した。
本気でやる、と言っていた意味を理解する。
銀光りする真剣を見て、息を呑んだ。
「レイ、頑張って」
ヤツの隣にいるのはニルだ。見届けるつもりなのだろう。
うなずいて向き合う。
「大荷物だな」
アールはおれを見て、言った。
昨日に用意した装備だ。
手に槍を持ち、腰には剣を。背中に斧を着けている。全て拾ったもので、手入れすら満足にしていない代物。奇妙に映るのも当然だろうな。
「勝つぜ、アール」
「……やってみろよ」
戦いはすぐに始まった。
真剣のプレッシャーが凄まじいことになっている。
当たれば『死』。
打ち込まれたアールの一撃を槍で受ける。
「うぐっ……」
手が痺れた。
槍は折れなかったが、そう何度も受けられない。
アールは昨日まで本気じゃなかったとすぐに直感した。
「まだ終わりじゃねえぞ」
攻勢は止まない。二度、三度と受けているうち、槍がへし折れる。
おれは背中の斧を手に取った。
重量で勝る斧を叩きつける。
アールは受ける角度をずらし、こっちの攻撃を受け流しにかかった。
こりゃまずい。体勢が崩れてしまう。
前方に身を投げ出して、回転。前回り受け身だ。
立ち上がって振り向きざま斧を振る。
「甘ぇよ!」
読まれていたか。
アールの足払いをくらって転倒。
しかし受け身で衝撃を逃がしつつ、横に転がって避ける。
このままじゃ後手を踏む一方だ。
もともと戦技については雲泥の差。一か月や二か月じゃ埋まるはずもないわけで。
「どうした! 守るだけか!」
斧を盾代わりにして防戦。燃え盛る炎のように攻めたててくるアールに対し、何もできない。
アールは油断も隙もなかった。改めて知るのは、ヤツがおれの想像を超える猛者であるということ。
だから、昨日みたいな意表を突くのは通じないだろう。
……しまった。柔らかさを活かすのは昨日じゃなく今日にすれば良かった。
どんどん追い詰められていく。
アールの顔は厳しく、いつもの嫌味な皮肉屋っぽさはない。
諦めそうになる心が、その険しい顔を見るたびに熱さを取り戻す。
「そうら!!」
上段からの斬り技を受けた斧が吹き飛んだ。
すぐさま腰の剣を抜き、切り結ぶ。余裕は一片もない。
三度目の剣撃でひびが入った。
うめいて下がろうとするおれに向かい、横薙ぎの剣が来る。
アールの強み。必殺技ってやつだ。
今日も調子が良い。アールの剣と振るわれる軌道がよく見える。
だからわかる。これは鋭すぎて避けられない。
しかしまだ、終わりじゃない。
持ち味はなんだ、と聞かれた。
ずっとずっと考えていた。
それを今、使う。
おれはドのつく平凡な学生で、大したことができるわけじゃない。ちょっとくらい戦えるくらいになったからといって、イキることさえできない状況だ。
だけどおれには使える能力がある。
忘れてなんてない。
—―ちくわ生成だ。
刹那の間にも満たない時間で発動されたちくわ生成は、足元からおれを上空へと押し上げた。
直後、アールの一閃がばかでかいちくわを真っ二つにする。
食べ物を粗末にするなんて恥もいいとこ。だけど今日は勘弁してくれ。
アールは硬直していた。
最大にして最後の好機。外したら終わりだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
体ごと剣を叩きつける。
アールはおれの一撃を防いだ。が、勢いは殺しきれず、錆びた剣が首の付け根に食い込む。
おれの剣は折れた。
そしてアールは———
「~~~~!! 持ち味……活かしやがったな!!」
膝をついて動かなかった。
愛用の剣を手から落とし、打たれた箇所を押さえている。
勝った……のか?
夢じゃない……よな?
「てめえの勝ちだ」
ハッとしてニルを見る。彼は目を見開いて両手を口に当てていた。
ついにやった。
おれはアールに勝った。間違いない。
「……約束は、守らねえとな」
約束? なんだっけそれ。
「おい、何をアホ面してやがる。俺たちの拠点に来るっていう話だろ」
「やべ。趣旨変わってたわ。すっかり忘れてた」
「はあ? おまえ……」
アールは笑った。
とても楽しそうに、涙まで浮かべている。
ひどいな。わざと忘れてた訳じゃないってのに。
おれもつられて笑った。ニルもだ。
「おい、さっそく行くか?」
「待ってくれ、さすがにちょっとだけ休憩したい」
「しょうがねえヤツだな、てめえは」
言われてもしかたがないことだが、全身全霊を込めた一撃が肉体をかなり疲労させている。
むしろアールの方がどうかしてる。錆びていたせいで斬れず食い込んだだけとはいえ、骨がバキバキに折れていても不思議じゃないってのに立ち上がったのだ。
「あそこ、塔が見えるか?」
「鐘のついてるとこ?」
アールが指を差した先には、水路を越えた橋のたもとだった。半壊した低い塔がある。
「あれの隣に俺たちの拠点がある。屋根がついててな。この中じゃ一番マシなとこだ」
なるほどな。水場も一応は近いし、何かあれば塔に登れて周囲を警戒できる。
「先に行ってるぜ。俺もさすがに休む」
「レイ、待ってるからね」
「ああ、すぐに行くよ」
ディヴァイン兄弟は噴水広場から去っていった。
休憩したかったのは本音だ。でもそれ以上に、余韻に浸りたかった。
未だに信じられない。喧嘩に勝ったとかそんな次元じゃない。
震える手を無理やり抑え込んで、水分を補給し、目を覚ます。
アールたちの拠点は遠くない。
おれは軽い足取りで目的地に向かった。
たどり着いた場所は、確かに納得の場所だ。ちゃんと屋根が残っていて、壁もまずまずの面積が残っているし、テーブルや椅子もあった。
微かな風で埃が舞う。
二人の姿はない。
「アール! ニル! どこだ! 来たよー!」
ん? ここで合ってるよな? すぐそこに塔があるし、道に出れば橋と水路。間違えっこないはずだ。
「おーい!」
なんだよ。来いって言っておいて、調査にでも出かけたのか?
探しに行こうかとも考えたが、また『彼女』と出くわすのは避けたいところだったので、待った。
が、五分と立たない内に不安が増してくる。
おれは申し訳ないと思いつつ、彼らディヴァイン兄弟の拠点に無断でお邪魔した。
他の朽ちた建物とは違い、多少の修繕跡が見られる。
「まったく、どこに行ったんだ……」
机の上に置いてある様々な道具や、破られたノートのページ。生活の跡がある。
奥の部屋に進み、彼らの姿を探した。
声をかけても返事はない。
おれはいつ間にか汗をかいていた。
「アール! ニル! いい加減にしろよ! サプライズとかいらないから!」
どこへともしれない呼びかけには当然、返事はない。
「なあ! アール! ニル! いるってさ、言ってくれよ! ここにいるんだろ!」
そして、声が聞こえた。
「そんなに騒ぐんじゃねえよ」
「レイ、やっとここまで来たね」
振り向けばそこに二人が並んで立っている。
穏やかな笑みを浮かべるアールとニル。
「どこに行ってたんだ……ってか、二人とも……透けてない?」
見間違えだろうか? アールとニルの体は薄く発光していて、かつ透けているようにも見える。
「俺たちの役目は終わった」
「……ん? 役目ってなによ」
いきなり何言いだすんだ。おれたちの戦いはこれからだ! な雰囲気だったろう。
「ねえ、レイ。薄々気が付いてたんでしょう?」
「……なんの、話だよ。ニル」
いつもと変わらぬ優しげな笑み。
「ボクたちがすでに死んでるってこと」
気が付いてなんか、ない。死んでるわけがない。
「……」
「レイ、すまなかったな。つらく当たった」
アールが頭を下げてくる。
やめてくれ。
これじゃあまるでもう終わりみたいだ。
「た、確かにさ、食事してるとことか、水を飲んでるところを見なかったし、夜にたき火の明かりも見えなかった。アールは動きまくっても汗一つかかないし……だからって二人が——」
「ふふっ、レイ、そこまでわかってるのなら、それはもう気が付いていたのとおんなじだよ?」
いいや、騙されないぞ。アールもニルもちゃんと足がある。
ほら、足が…………ない!
二人の足元に転がっているのは、人骨だ。彼らと同じ衣服に身を包んだ遺体が、そこにある。
「嘘だろ? なあ、嘘だって言ってくれよ! これから三人で……脱出しようぜ! なあ!」
「レイ、おまえは強くなった。俺よりも、ニルよりも」
「やめろよ……アールにはまだ稽古をつけてほしいんだよ! ニルにだってこの世界のこととか教えてほしいんだ! だからっ……」
食い下がるおれに対し、ニルは静かに首を振った。
「レイ、初めて会った時、言ったでしょう? ここには数えきれないくらいの死霊や悪霊がいたって」
「俺たちも死霊として彷徨っていた。志半ばで倒れた無念がそうさせたのか、あるいはこの場所が狂ってやがるのかは知らないがな」
「ボクたちは『あいつ』に勝てなかったんだ。深手を負った兄さんとボクはここで死んだんだよ。その後、意思もなくただ彷徨ってた。そこへ、レイ。君が来たんだ」
「俺たちは何故か、意識と体を取り戻した。そしておまえを見て思ったんだ」
「死なせないようにしなきゃってね」
あり得ない、という言葉は口から出なかった。黙って聞くしかない自分に腹が立つ。
「……でも、おれ一人じゃ無理だ」
「なに言ってんだ。さっきも言っただろ? おまえはもう俺たちより強い。今度はこっちが足手まといってことだ」
「レイ、ボクたちには時間がないんだよ。こうしている今も力が薄れていくのがわかる。ボクたちがレイにもらったエネルギーが尽きかけているんだよ」
おれにもらった? 何の話だ?
「レイの能力ってチクワと吸収(微)だったよね。どうしてそうなったかまではわからないけど、君から力が流れ込んできているんだ。恐らくだけど、吸収(微)されたエネルギーの余剰分がボクたちの目を覚ました」
「おいニル、初耳だぞ」
「説明したら兄さん、消えたでしょ」
そんなことがあるのか? だったらおれがエネルギーを分け続ければ二人はずっと姿を保てる。
「レイ、ボクたちはもう行くよ。君が起こした奇跡だって限界があるんだ」
時間制限付きだったとでも言いたいのか? 奇跡とかそんな言葉がなんになる? おれはただ、二人に消えてほしくないだけなのに。
「おれは……二人がいなくなったら……何をしていいかわかんねえよ。ここを出られるかどうかだって」
「レイ、それは違う。君が強くなったのは君自身の力だよ」
「俺を打ち負かしたヤツが暗い顔してんじゃねえ」
「アール……ニル……」
アールが手に持った剣を床に突き立てる。
「受け取れ」
ふざけんな! 形見なんて受け取れるか!
「こいつは結構な業物なんだぜ? ちと重いが、すぐに慣れるさ」
「ボクたちが教えられることは大体教えたし、レイならやれる。ボクが保証する」
くそっ!? なんでそんなこと言うんだよ!
「ち……違うんだよ! おれは! 二人に……いなくなってほしくないんだよ! なんで二人が消えて、おれが残るんだ! アールとニルの方がずっとすごいのに!」
「レイ……」
「おれなんか、なんにもないただの人間だ。食って寝て死ぬだけの、ただの人間なんだ! そうだろ! アール、おまえの指にはめてある指輪は? こっちの世界じゃわからないけど、おれの故郷じゃそれは結婚指輪だ! 帰るところがあるんだろ! ニルだってこれから色んなことを知って、研究とかしたいんじゃないのかよ!」
おれは叫んだ。みっともなくて情けなくて、でもそうしたかったんだ。
「ちっ……霊体だからなあ……外せねえんだよ、これ」
「兄さん、外したら義姉さんに言いつけるよ?」
「そりゃあ……死んでんのに殺されそうだ」
「……なんでそんなに明るいんだよ……もう消えるんだろ……」
アールとニルは笑った。
「なあレイ、おまえはほんとうにしょうがねえヤツだ。だから頼みを聞いてもらう」
「頼み?」
「ああ、おまえは俺たちの分まで生きてくれ。生きて生きて、家族に囲まれて死ぬんだ」
「……アール」
「そうだよ、レイ。ボクたちは君に託す。勝手な言い分だけど、聞いてくれるよね?」
ニルはとてもお茶目だ。アールはなんか面倒見の良いヤツだし、これが本来の彼らなんだろうと思う。
「そろそろ時間だ。あばよ、レイ。教えたこと忘れんなよ」
「君ならきっと外に出られる。だから……頑張って」
行くなと言いたかった。だけどそれは無理だ。彼らはもう消えかかっていて———
「さよなら、レイ。風邪を引かないようにね」
「こっちには来るなよ。来るのはずっと後にしろ」
二人は消えた。
「……なんだよ。せつねーじゃん……」
二つの人骨が手を取り合って倒れているのがわかる。
彼らはもうずっととっくの昔に亡くなっていたのだと、やっと理解した。
「アール、ニル……」
「あ、そうそう、言い忘れてた」
はあう!?
「に、ニル……? 逝ったんじゃないのかよ!?」
「ごめんごめん、驚かせちゃった」
再びあらわれたニルに思いっきりびびった。すごく恥ずかしい。
「レイ、君から聞かされた試験の話なんだけど」
混沌と秩序の均衡を保つための審査。おれがここにいるのはそれのせいだ。
「どうかしたのか?」
「やっぱりどう考えてもおかしいんだ」
何がおかしいと言うのだろうか。そりゃあ違和感ありまくりの、どうかしてるぜ状態な訳で。とは言っても世界や宇宙は一個の人間に知りようがない。無理にでも納得するしかないだろう。
しかし、後に続いたニルの言葉はおれの心を見透かしているようだった。
「世界とか宇宙なんてボクらには知りようがない。だからなんとでも言える」
「何が言いたいんだよ、ニル」
「ボクは神さまが何か企んでいるとしか思えないんだよね。審査する暇があったら世界ごと作り直せばいい。ボクならそうするし、考えてない訳ない」
爆弾発言だな……
神が嘘をついていると?
そうは見えなかったが。
「レイ、どうか気を付けて」
「……ああ、最後までありがとう、ニル」
「うん、じゃあね」
軽ぅい!
らしいと言えばらしい気がするけど。
ニルは手を振りながら消えた。
おれは一息ついて、アールの遺した剣を手に取る。
重い。
とんでもないもん置いていきやがった。
あいつは初めからおれを鍛えるつもりだったんだな。
言ってくれればいいのに、と思ったが、たぶんそれは無理だったのだ。
飛ばされた直後の状況で説明を受けたところで、おれは信じなかったと思うし、アールへの敵愾心がなければ途中で折れていた。
「どこまでできるかはわからないけど……」
やってみるか。
おれはアールとニルに黙祷を捧げて、その場を後にした。