7 『避けては通れない彼女』
てめえの持ち味はなんだ?
というアールの問いに対しおれは考え続けた。
ニルとの会話で気付いたこともある。
だけどそれじゃぜんぜん足りない。
「おれの持ち味。持ってるもの……」
そう多くはないと思う。
地球の高校生で、獲得したスキルは最底辺だし、受け身がそれなりに得意ってのと、ニルに言われた体が柔らかいってこと。後は料理や裁縫がちょっとできるとか、そんなもんだ。
そうそう、料理と言えばこっちに来てからまともな食事をしていない。ストレスは溜まる一方だよ。
「そう言えばニル、食べ物はどうしてんの?」
おれには自前のちくわがある。なのでニルたちが何を食べているのか気になった。彼らディヴァイン兄弟は夕刻には拠点に戻ってしまうため、食事しているところを見ていない。
「ああ、レイはそのチクワがあるから間に合ってるんだものね」
「……?」
なんだろう。言い方が少しばかり不穏だ。
「この遺跡じゃ食べられるものは一つしかないんだ。ほら、あれを見て」
ニルが指で差したのは、そこら中に生えてる草で、真ん中の茎に種が成っている。
「ヌルンの霊草。栄養が非常に豊富で、旅人の最後の非常食として価値が高いんだよね。一説によると、種一つで三日は動けるっていう話があって、ちょっと大げさだけど良い食料になるんだよ」
それはすごい。もっと早くに聞くべきだった。
「ただ一つ問題があって」
問題はこの世のものとは思えない『苦さ』だという。
「どのくらい苦いの?」
「うーん……みぞおちに蹴りを入れられて呼吸ができず苦しんでいるところに大岩がのしかかってくる感じ……かな?」
「そんなん死ぬわ!!」
ただ、他に食べるものがない以上はどうしようもない。
「レイはチクワがあるんだし、たまーに食べるだけでいいと思うよ」
素直に頷いておきたいところではあったが、割と切実な問題だった。ちくわって確か塩分高かった気がするし、飽き飽きしているのもあって、最近は食べる気がしない。
おれはニルが帰った後、挑戦してみることにした。
照明が薄くなる夜になってから、ヌルンの霊草とやらを摘んでみる。
種を覆う皮を剥くと、ぬるんとした種が顔を出した。
正直、食欲がわくような見た目だとは思えない。
だが、ここは一つ、試さなくてはならないだろう。
意を決して口に放り込む。
かみ砕き、下の上に転がした刹那——
絶望的な特濃の苦みが脳髄に侵食し、全身を毒に侵されたが如き拒絶反応が駆け抜ける。
「オヴォエェェェェェェェェェェ!!」
ずしん、という幻聴がして、大岩がのしかかってくるイメージ。ニルの言った通りだった。
そこで一度意識が途切れた訳だが、数分後に目覚めた時でもまだ口の中に苦みが残っている。
「うええ……し、しぬ……」
這うようにして水場にたどり着く。
「ぐごご……み、水」
噴水の水をすくって飲んでも、苦みはあまり消えなかった。
「やっべー……三途の川が見えた……」
口を拭って座ったおれは、16年の人生の中で恐らく最も固い決意をする。
絶対にここから脱出して、うまいメシを食う。食って食って食いまくって、食事の大切さを知るのだ。
そして翌日——
目が覚めたおれは、アールが来るのを待った。首を回し、肩をほぐす。口の中にいまだ残っている苦みのせいで気分は悪いのだが、逆に体は軽い。
「アールは……来てないな」
最近は噴水の傍で眠ることが多くなっていたので、やってきたアールに叩き起こされていたのだが……今日は来ていない。
珍しいことだ。
それからしばらく待ったが、来ない。アールだけじゃなくニルもだ。
急に不安が押し寄せてくる。
もしかしておれ、置いて行かれた?
いやいやそんなまさかだよ。アールはともかくニルに限っておれを置いて行くわけない。
だとすると、何かあったと考えるのが自然だろう。
「……もしかして、アレにやられた?」
可能性があるとすれば、『彼女』と遭遇してしまったことだろうか。
おれは気が付けば走っていた。
アールがいつも帰っていく方向へと進む。
用水路の跡を越えて、元は市街地であっただろう場所へと足を踏み入れた。
遺跡中央部にある『城』にだいぶ近づいてきた。
「……入りすぎたかな」
ここまでアールとニルの姿はない。
ほんとにどこ行った? そもそも拠点ってどこだよ?
焦る。
一人でいることがつらい。
「アール! ニル! どこかにいるのか!」
大声で呼びかけるも、返事はなかった。
だめだ、ここにはいない。
おれはすっかり我を見失って、どんどん進む。
建物の残骸が多く、見通しが非常に悪いせいもあってか、焦りばかりが募っていった。
そしてついに、おれは見つけた。
大通りを闊歩する『彼女』を。
最悪だ。
アールとニルが希望だとすれば、『彼女』は絶望そのもの。
おれは急いで物陰に身を隠した。口をふさぎ、わずかな音ですら出さないよう細心の注意を払う。
カツンカツンと、足音を響かせているのはハイヒールだろうか。
石畳から聞こえる何の変哲もない足音が今は死の旋律にしか聞こえない。
邪悪さを隠そうともしない少女は、おれがいる物陰を通り過ぎた。
やり過ごせた——
と思うのも束の間、『彼女』が止まる。
「そこにいるのは誰だ? 姿を見せるがよい」
見つからずに済んだかも、という希望は打ち砕かれた。
どうする?
何をすればいい?
おれは、どうすれば切り抜けられる?
そうだ!
物真似だ!
「にゃ、にゃ~……にゃ~」
「猫か?」
そうそうネコだよネコ。
「まぎらわしい獣め……と言ってやりたいところだが、出て来い」
うっ……ダメか。途中まで乗ったくせにこいつ。手強い。
「ちょろちょろと這いまわる薄汚いどぶネズミが。出てこないのなら引きずり出してくれよう」
どぶネズミ……? ちょっと言い過ぎじゃない?
なんでそこまで言われなきゃならんのだ。
ああ、わかったよ。どうせ見つかるんなら、聞きたいことを聞かせてもらう。んで、逃げる。どうにかして逃げてやる。
おれは物陰から飛び出し、『彼女』と対峙した。
初めて遭遇した時とは恰好が違う。
お姫様を彷彿とさせる歩きにくそうなドレス姿ではなく、日本の着物に似た仕様の、艶やかな姿だ。
「ほう、ぬし、生きていたか。とっくに野垂れ死んだと思ったが」
「心配してくれてありがとうよ、大きなお世話だけど」
ぴくり、と『彼女』の眉が動く。
怒ってるなー……
「アールとニルをどこへやった?」
「知らぬな。誰だそれは」
しらばっくれやがって。
「もうよい。死ね、ニンゲン」
少女の姿がかき消える。前回と同様に常軌を逸したスピードだ。
『彼女』が繰り出そうとしているのは手刀。
鞭のようにしなる『彼女』の腕が、おれの左上方から襲いかかってくる。
おれは驚いていた。
見える。
速すぎて見えなかったはずの動作が、今ははっきりと見えた。
身をよじってかわし、後ろに下がる。
「……なぜ当たらない」
おれに聞くなよ。
「ぬしはなんだ? ニンゲンではないのか?」
少女からの問いかけを聞いて、おれは少し考えた。どうやらまるきり話が通じないわけでもないらしい。
「おまえこそなんだよ。人間じゃないよな?」
「質問に質問で返すな。たわけもの」
ごもっとも。でも聞くのをやめないけどね。
「おまえ、ここから出る方法を知ってるんだろ? 教えてくれよ」
ダメもとで聞いてみる。しかし、返答は最悪だった。
「ぬしは虫けらの問いに答えるのか? 虫けらは見つけたら踏み潰す。そうであろう?」
ぬぐぐ……信じられないくらい嫌なヤツだ。ドブネズミだの虫けらだのとなんて口の悪さ。一寸にも五分の魂って言葉を知らないのか。
「言葉を交わしているだけでも虫唾が走る。さっさと————死ね!」
目にも止まらぬ速さの突進。身長の割に長い足がおれの首を狙ってくる。
しかしそれもきっちりと見えている。
「ちょこまかと!」
今度は真正面からの突き。
烈風が生み出され、赤く塗られた爪がおれの肩をかすった。
「どうなっている? なぜだ。なぜかわせる?」
不思議そうに己の手を見つめる『彼女』。
おれだって不思議に思わないでもない。
一つ言えるのは、『彼女』の攻撃が単調だってことだ。驚異的な速さだが、大振りでわかりやすい。
アールの攻撃に比べるとひねりがないし、いやらしさもないんだよな。かといって一瞬のゆるみが死につながる一撃には変わりない。かわしているだけではなんの意味もない。
このままじゃ埒が明かなそうだ。アールとニルはいないし、さっさととんずらしたいところだな。
「……あの城に秘密があるんだろ?」
「!?」
顔色が変わった。
ニルが睨んでいる通り、『城』がカギになっていると直感する。
「いいのか? おれの仲間がもう侵入しているかもな」
「……はったりを」
おっしゃる通りです。はったりもはったり。
内心では心臓が張り裂けそうなくらい緊張しているが、おれはにやりと笑う演技をしてみせる。
『彼女』は白い肌に血管を浮かび上がらせて激怒していた。吐く息は荒く、目が血走っている。
……怒らせすぎたかな? 向かい合ってるだけなのに漏らしそうなくらい怖い。
「ぬしは殺す。必ずな」
『彼女』は超スピードで『城』に引き返していった。
ほっ、と息を吐く。
あいつはやばい。ほんとうにやばい。今回生き延びられたのも偶然に過ぎない。
もしも『彼女』を倒さなければ脱出できないとしたら、今のおれでは無理にすぎる。
アールとニルはいったいどこへ行ったのか。
「とりあえずはここから離れないと」
『彼女』がまた戻って来てはかなわない——
おれはすぐさま退散した。