6 『六魔術』
アールとニル。ディヴァイン兄妹と出会ってから一週間が経った。
朝ボコボコにされ、昼間はニルとお喋り、もとい情報交換を行う。
おれをとりまく状況は変わらないようで、少しずつ変化していっているんだと思う。
例えばこの日は、地球じゃまず聞かない話題になった。
「六魔術? なにそれ」
ニルの口から出た六魔術という聞き慣れない言葉に、思わず聞き返す。
「レイはほんとうに他のところから来たんだね。ボクたちがいる大陸じゃ、六魔術を知らない人はいない」
「魔法ってことか?」
「違うよ。六魔術。魔法とは別のものだよ」
違いがわからない。じゃあ魔法ってなに?
「魔法は失われた技術。使える人はいないんだ。ボクたちが使うのは全く異なる技術体系で、こういうの」
と、ニルが見本を見せてくれる。
伸ばした人差し指に火が灯った。マッチで点けた程度だが、これには驚くしかない。
「すっ……げえな」
改めて違う世界に来たのだと実感する。
待てよ? おれのちくわ生成も六魔術なんだろうか?
ニルへ対抗する訳じゃないが、スキルを発動してみる。
「……ちくわ生成」
「!!?」
毎日使用しているおかげか、今ではかなり滑らかに発動できる。食物として非常にありがたいのだが、毎日同じ味だとさすがに飽きるし、なにより栄養が偏ってしまうのが悩みの種だ。
「ニル、これも六魔術なのかな?」
ニルが石化したみたいに固まっている。
「ニル?」
だめだ。返事がない。
なんかまずいことしてしまったかな。まあ、ちくわを生み出したからってなに? っていう話なんだけど。
「……レイ、いまなにをしたの?」
ああ、そういえばスキル獲得についての経緯を話していなかった。
改めて三つのスキルを得た話になると、ニルの顔がどんどんおかしなことになっていく。
最後は絶叫しそうになっていた。
「か、か、神の恩寵……」
「なにそれ。すごいの?」
「すごいというか、突き抜けてるよ……」
この反応は想像していなかった。
スキルランクZは最低ランク。だからしょうもないものだとばかり思っていたが、そうでもないのか?
「まず食物を生成できることが異常だよ。それは神の御業だ」
ええ!? でもちくわだよ? 練り物だよ? 美味しいけど。
「レイは結構……いや、かなりすごいのかも」
一人の世界に入り込んでぶつぶつ言い始めるニル。そこはかとなく不安になってきた。
すごいはすごいんだろうけど、生成できるのがちくわだけだしな。ありがたみは薄い。
「ねえ、レイも六魔術やってみる?」
「……マジで? おれにもできる?」
「六魔術の習得は誰にでもできるよ。使いこなすのは難しいけどね」
願ってもない提案に興奮が隠せない。例えば火が使えるようになった場合、夜に暖がとれるし、色々と生活が楽になる。
「どうすればいい?」
「そうだね。まずは一番リラックスできる体勢になって目をつむってほしいかな」
ほうほう、一番リラックスっていうと、寝ている体勢だな。
おれは横になってニルの指示を待った。
「レイ、もしかしてふざけてるの?」
「……ごめん」
怒られたので座り直し、あぐらをかく。目をつむり楽な姿勢をとった。
「次はどうする?」
「うん、じゃあ今からボクが触れる場所に意識を集中して」
と、ニルの小さな手がおれの胸からみぞおち、そしてへそへと滑り込む。
「ニ、ニルサン!?」
「レイ、集中が乱れてる」
そりゃ乱れるよ! だってその下は……
「へその下に円を描くイメージだよ。できる?」
ニルの手はへその下で止まった。
残念な気持ちと安心した気持ちが入り混じってジョークをとばしたくなるがぐっと我慢する。ここでふざけたらさすがにマジギレされそうだ。
おれは大きく息を吸って、へその下にあるニルの手を意識した。
彼女の手はとても熱く、エネルギーの塊に思える。
円を描く……
へその下って何だっけ? 丹田とか言ったよな?
しばらくすると、音が消えた。
地下都市でも割れ目から聞こえる風の音は意外と大きい。
今はそれが聞こえない。
感じるのはニルの手と、自分の呼吸音だけだ。
円を描く。人生で一度もしたことのない行為。
ニルの手から伝わる確かなエネルギーが円となる。
「いいよ、その調子。円を描けたら次は線をつなぐ。円から線を伸ばして手へと伝わせるんだ」
言われた通りにする。
円から紡ぎ出された線が指先にまで伸びるイメージ。そこへ力を送り込む。
「レイ、何が見える?」
「……」
なんだろう? ゆらめきのような、波紋のような。名状しがたいなにかだ。
「炎? 水?」
「いや、違うな。火に似てるけど、水のようでもあるし、風にも思える」
「魔力は通じてるね。レイはやっぱりすごいよ。通常じゃ考えられない力の容量がある」
「ほんと? それってすごい?」
「うん、かなりすごい。とりあえず属性を確かめないとね。そのまま炎をイメージできる?」
炎、炎……うーん、できるようでできないな。
それから雷、風、冷気、水、土、六魔術全ての属性を試してみたが、特に変化は起こらなかった。
もしかしておれ、才能なしってことか?
「ニル、おれってだめだめなの?」
「うーん……」
「そっかー……才能ないのか……」
「むしろありえないよ。人は必ず六つの属性のどれかに当てはまる。これは自然の絶対的なルール。でもレイは異邦人だし、うーん、これは検証が必要かもしれないね」
「いや、いいよ。こっちはゆっくりやるさ。当面の目的はアール打倒だし」
と、フォローするもニルの顔は曇るばかりだ。もちろん、渋い顔も可愛らしい。
ほんとうにニルはすごいと思う。知識は豊富だし、穏やかで優しい。いっそこのまま身を委ねてしまいたいくらいだ。
おお? これってもしかして……恋ってやつ?
異常な状況だからな。こんな時はなにが起きても不思議じゃない。女の子には全くといっていいほど縁がないおれでも、恋に発展するのはしかたのないことかもしれない。
「いやー、ニルはすごいな。おれより年下だろ? 六魔術には詳しいし、女の子なのに護衛団だっけ? 立派に働いてる」
「レ、レイ?」
「いやいや、ほんとだって。マジで尊敬する。ニルみたいな可愛い子はなかなかいないって」
「いや、あの……」
しどろもどろになって赤くなるニル。
緊張しているのか、髪を手ですいて耳にかける。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど……ボク、男だよ?」
え?
「その……ごめんね。勘違いさせちゃったかな」
な、な、な……なん……だって……
「レイ?」
男の娘だったんかーーーーーーーーーーーーーーい!!
信じられない。容姿は完全に女の子なのに。
だとするとおれは……
いいや、ダメだ。これ以上はなにも考えないでおこう。うん、そうしよう。
こっちの世界に来てから最大の衝撃を受けたおれは、愛想笑いを浮かべて頷くのが精いっぱいだった。
さらに一週間が経った頃。
目に見える変化が起こり始めていた。
数えるのも馬鹿らしくなるくらい殴られた結果が功を奏し、アールとの対決で初めて倒れなかったのだ。
「ふん……ちょっとはやるようになったみてえだな」
「そいつはどーも」
褒められても嫌味にしか聞こえない。
倒されなくなっただけで、こっちの攻撃は当たりもしない。あっちは鞘付きとはいえ剣。こっちは素手だ。リーチの差がありすぎる。
「なんだ? なにか言いたそうだな」
「別に。ただこっちは素手だしな」
「んだと? 武器がありゃあ互角みてえな言い方だな、おい」
アールは剣の先で広場の隅を差した。
そこには剣や槍、斧などの武器が転がっている。
「んなもん、そこら中に転がってるぜ? 使えばいいだろう」
錆びてはいるがまだ使えそうな武器。なんで気付かなかったのおれ。
「んじゃあ遠慮なく使わせてもらうよ。敵に塩を送ったこと後悔すんなよ」
おれは躊躇いなく槍を手にした。
アールの剣よりも間合いは広い。
これで勝つる———
わけもなかった。
改めて戦いを挑んだ結果、槍はへし折られ、結局ボコボコにされてしまった。
「くっそ! なんで勝てないんだ!」
「……調子に乗んなよ。てめえはまだ自分の体の使い方も知らねえガキだ」
言い返したいけど、言い返せない。それほどの差がある。
「てめえは今まで何をしてきた? 持ち味はなんだ?」
持ち味?
と言われてもな。学業成績は真ん中。特にスポーツもたしなんでいないし、ドがつく平凡な高校生がどうしろっていうんだ。
「そいつを考えるんだな」
それだけ言ってアールが去っていく。
なんなんだよあいつ。謎かけだけしてどっか行ってんじゃねえっての。
入れ替わりでニルがやってくる。
女の子ではなく男の娘であったという衝撃の事実があったけど、態度は変わらない。むしろ気兼ねなく話せる関係になっていた。
「レイ、今日もお疲れ様」
と、器に入った水をくれる。ああ、性別なんて関係ないよ。癒されるわ。
「なあ、ニル。おれの持ち味ってなんだと思う?」
「急にどうしたの?」
「いや、アールにさ、持ち味がどうのって言われた」
「へえ……そうだね……レイって結構ずぶといかな」
そうなの? なんか前にも誰かに言われた気がする。
「あとは……そう、体が柔らかいよね」
「柔らかい? そうか、そうだな」
言われて気付く。思い返してみれば、学校の体力測定では周りに驚かれたことがある。自分では普通と思っていたことだ。
「それは受け身のせいだと思う」
「受け身……?」
「ああ、なんつーか、おれのおふくろがさ、柔道の選手だったんだよ」
「?」
こっちの世界にはスポーツがないのか、あるいは競技や娯楽ではないのかもしれない。
「どう言えばいいかな。柔道は格闘技で、おふくろがそれのタツジン? そこまでじゃないか……まずまずやる人だったんだ」
「そうなんだ。レイもジュードーを?」
おふくろは柔道のオリンピック選手候補だったと聞いている。あくまで候補だから知名度はないし、とっくに現役を退いているから今じゃ普通の主婦だが。
七歳くらいの時、健康な体がどうたらとか言って最初に受け身を習った。おふくろは『受け身七年』よ、と言ったので、おれはその言葉を真に受けて十四の年まで受け身を練習し続けたのだ。
しかし、初めてスマートフォンを買ってもらった後、誰しもがそうであるように、気になることを片っ端から調べていたおれは、受け身のことを調べた。たまたまで、特に理由があったわけじゃない。
その時、ちょっとした衝撃を受けた。受け身のことを解説するページには『受け身七年』ではなく『受け身三年』と書いてあったんだ。
おれはその日から受け身の練習をやめた。
だが蓄積された修練の成果はあったってことだな。
持ち味、か。
どうやら、しっかりと考えていく必要がある。