5 『ディヴァイン兄弟』
「君はどうしてここにいるの? ハザマレイ」
輝く笑顔を見るだけで泣けてくる。
話が普通にできる人間がいるということがどんなに幸せだったのかをおれは噛み締めていた。
「えーと……おーい、戻って来てー」
「はっ!?」
我に返るととたんに恥ずかしくなってくる。
「すまない……感動してた」
昨日に遭遇した『彼女』。先ほどのアールといい、問答無用なヤツと立て続けに出会ったおかげで、感覚が狂っている。目の前にいる少女ニルの反応が普通で、おれはそれを求めてたんだ。
ニルは、なんのことだかわからない、という顔をする。
ほんとにすまない。大目に見てくれ。
「おれの名前はレイだよ。ハザマは姓。だからレイでいいよ」
「わかった。レイ、改めて聞くけど、君はどうしてここに?」
うーん、話すのはいいけど、果たして信じてもらえるのか疑問だ。
しかし、嘘をついたとしておれにはメリットがない。すぐつける嘘も思いつかない。ましてや嘘をつく必要も特にはない訳で。
ひとしきりうなった後、おれは腹をくくった。
神にも等しい存在との出会い。世界が滅びに瀕しているということ。混沌と秩序の均衡を保てるかどうかの試験。無作為に選ばれた者達の一人がおれだっていうことなど、自分で話していても誇大妄想としか思えない話をする。
「……レイ」
話を聞き終えたニルの顔は険しかった。
やはり信じてはもらえないようだ。当然だし、しかたがないと思う。だって俺だっていまだに信じられんもの。
だが、次の瞬間には彼女の顔が明るくなった。
「それはすごい話だよ! もっと聞かせて!」
ぐいぐい来る。これはなんというか、予想外だった。
「あ、ああ……って言っても、これ以上はおれもわかってないんだ。で、転送された場所がここ」
「……神にも等しい存在……混沌と秩序……宇宙……太陽……光と闇……」
今度はぶつぶつと呟き出す。表情は真面目そのもので、ちょっと怖い。
不安を覚えたおれは間を空けてから呼びかけてみた。
「ニルさん……?」
「あ、ごめん。ボクってば考えこむと入り込んじゃうんだよね」
あー、なるほど。あの兄にしてこの妹か。変わってるな。
話が一段落して、今度はおれが聞く番だ。こっちも喉から手が出るほど情報は欲しい。
しかし——
「ニル、ここにいたのか」
「あ、兄さん。もしかして時間?」
「ああ、行こう」
尻の土ぼこりを払いながら、ニルが立ち上がる。
どこへ行くのだろうか。できれば一緒に行動したいところだが。
「なあ、おれも連れて行ってくれ」
「断る」
おれのセリフをわかっているかのような即答だった。
「弱いヤツはいらねえよ。足手まといだ」
「に、兄さん……もう少し優しく言ってあげて」
ニルの優しさがいっそ痛いくらいだ。
「拠点には連れていけねえな。軟弱野郎」
くおおおおおおおおおおおお!! また言いやがった!
「……じゃあおまえに勝てば案内してくれるんだな?」
「……ほう?」
互いの眼光が火花を散らす。ほんとうにむかつくヤツだよこいつ。
「やれんのかよ?」
アールの目つきがより険しくなる。
び、びびってなんかないぜ! すげえ怖いけど!
「……勝てば案内してくれんだよな?」
「いいぜ。ほんとうにやれるんならな」
「後で誤魔化すなよ?」
「俺に二言はねえよ」
よーし、やってやる。目ん玉ひんむかせてやるよ。
「この広場はくれてやる。水も飲んでいいぜ。だが覚悟しとけよ」
それはこっちのセリフだ。
「朝にここへ来い。相手してやる。遺書は書いておけ。死ぬかもしれんしな」
かんっぜんに見下してやがる。なんだかやる気になってきた。
まじでムカつくわこいつ。
初めて湧いてくる感情に身が熱くなってくる。
おれってこんな熱血野郎だったか?
いや、どうでもいい。一泡吹かせないと腹の虫が収まらない。
ふん、と鼻を鳴らして去っていくアールと笑顔で手を振ってくるニル。
おれは左顔面でしかめっ面をすると同時に、右顔面で笑顔を作るという離れ業を習得したのだった。
で、翌日。
おれは広場の石床に転がっている。
アールの姿はもうない。とっくに去っていった。
意気込んで初対戦となったものの、まるで歯が立たなかった訳で。
歳がそう離れているとは思えないのだが、まともに触れることすらできなかった。しかも剣は鞘に入ったまま、子供扱いされる始末。
情けないやら悔しいやら、気を抜くと泣きそうだ。
アールは強い。喧嘩が強いなどというローカルレベルの強さじゃなく、鍛え抜かれた戦士だった。
全身が痛い。
もうボロボロである。
悲しみにうちひしがれているおれの元へ、今度はニルがやってくる。
「レイ、おつかれさま」
「お……おー……ニル」
「ずいぶんとやられたね」
「な、なーに。これからだ……」
と、強がってみるが、冴えない顔しかできなかった。
「兄さんすごく強いからね。勝てなくて当り前だよ」
くっ……慰めが逆につらい。でも癒される。
この日はそれだけで終わった。無理がたたったせいで動けなかったのだ。
次の日もアールは来た。一回で終わりかもと思ったが、チャンスはくれるらしい。
しかし——
「腰が入ってねえぞ! オラ!」
めっちゃ吹き飛ばされた。
その次の日もアールは来た。律義というか、真面目というか、おれよりも先に来ている。
しかし——
「もっと動け! 次の行動を予測させるんじゃねえ!」
しこたま打たれて終了。勝てる気がしない。
「レイ、平気?」
入れ替わりでニルがやってくる。なんか飴と鞭に思えてきた。
「ああ、なんとか」
「へえ、確かに上達してるね」
感心した目を向けられて、困惑する。三日間ボコボコにされただけなんだけど。
「だってほら、今日は起きてる」
「……確かに」
昨日までは負けた後、全く動けなかった。とはいえ半死半生って具合だし、大した向上ではない。
いったい何が足りないのか。
身体能力が大きくかけ離れているとは思えない。おれがネズミならアールは大型犬というところだな。
……例えになってない。圧倒的な差だ。
「なあニル。おまえたちは何者なんだ? なんでここに?」
そういえば聞いてなかった、と思いつき、尋ねる。そもそも情報が欲しいのはこっちだ。
「ボクたちは調査団なんだ」
ニルがおれの隣に腰を下ろした。サラサラの髪がふわりと浮いて少しだけ心臓が鼓動を早くする。
「調査団? 詳しく教えてくれないか?」
「いいよ。ちょっと長くなるけど」
長くなる、というのはむしろ歓迎だ。時間はいくらでもある。
始まりは偶然だった、とニルが語り始めた。
おれたちがいる遺跡の真上。地上には太古の都市跡がある。いつの時代からあるかもわからない都市跡は風化寸前で誰も見向きもしない場所だったそうだ。
しかし、ある時地震が起きて、発見されていなかった入り口が現れた。
地下へと続く扉。そして行きつく場所がここ地下都市遺跡って訳だ。
「最初に派遣された調査団はいつまで経っても戻ってこなかった。二回目の調査団も同じく、誰も帰らない。事態を重く見た政府が三回目の調査で送り込んだのが、軍の一個中隊と考古学者のグループと護衛のボクたちだったんだよね」
話が怪しくなってきた。
調査団が帰らなかった? おいおい、それはまさか。
「まず入り口が罠だったんだよ。盗掘されないようにしたのか、入ったら出られない仕組みだった」
「ああ、それで調査団は……」
「ううん、それが原因じゃない。ボクたちがここへ入った時は驚いたよ。街を埋め尽くすくらい大量の悪霊とか死霊がいてさ。一次と二次の人たちはまあ、その、とり殺されてた」
「へ、へえ……」
ニルが冗談を言っていないのがわかって、冷や汗が止まらない。
「大方は始末したんだけど、どうしても倒せないヤツがいて」
「ええと、素人考えで申し訳ないんだけどさ、応援は呼ばないのか?」
「出る方法が見つからないんだ。ここは入ることができても、出ることはできない」
なあっ!?
嘘だろ?
「恐らくはあそこの『城』に何かヒントがあると睨んでるんだけどね。ただあそこには『あいつ』がいて近づけない。だからボクたちは今も攻略方法を探してる」
あいつ、と聞いて思い起こすのはもちろん『彼女』だ。
紅い瞳の、この世のものとは思えない美しさをした少女。おれを裏拳一発で吹き飛ばしやがったアレだよ。
かち合ったのは一回。そして夜に目撃したのが一回。計二回だ。
「おれも一度……会ったよ。いや、二度か。死にかけたけど」
「……レイは運がいいね」
うっわー。やっぱりそうなのね。会ったら即死なのね。
「そう言えば……ここも危ないんじゃ……」
今さら気付いて恐ろしくなる。
「ううん、ここは平気。『あいつ』は『城』を中心とした狭い範囲でしか動けない。だからこそ、『城』にあるなにかを守っていると考えてる」
「はー、なるほどなー。それはまあ、安心だな」
つまり『彼女』をどうにかして抜き、城を探索するしかないってことだ。だがそれでも城に出口がある保証はない。かといって城以外には出口がない。
難関だ。
送られる時アリマーは心配するなと言ったけど、地獄じゃんここ。
だが、今はニルがいる。一人じゃない。一応アールもいる。
何をするにしても、ここを脱出しなければ始まらないだろう。
おれは脱出する決意を固めた。