3 『滅びの都』
地下都市遺跡編開始です
最初に見たのは光と闇の奔流。
家の壁がぐにゃりと歪んで、こちらに手を振るアフーラとアリマーの姿がかすむ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ…………お?」
弾ける粒子がおれを中心に渦巻いて、そして、試験の舞台とやらが姿を現した。
しんと静まり返った空間。ひんやりとした空気。
座っていた椅子の代わりに、尻の下にあるのは石の柱だった。
怖すぎて叫んでたのが馬鹿みたいで急に恥ずかしくなる。
しょうがないでしょ。死ぬかと思ったんだし。
「ここは……なんだ?」
どこだ、ではなく、なんだ、と呟いたのは、明らかに特異な場所だったからだ。
見上げた天井は果てしなく高い。
上にあるのは空じゃなく、岩だ。
わずかに差し込む陽の光は、かなり高いところから届いている。
初めて見る景色に戸惑いを隠せない。
おれが今いる場所は地下だ。
それも、お決まりの洞窟だとかそんなんじゃない。
神殿、城、砦、街。どれかには該当するだろうが、朽ちているせいではっきりとはわからなかった。
幸運と言っていいのか、照明は生きている。うすぼんやりとした明かりを生み出す街灯があちこちにあり、しっかりと視界を確保できているのがありがたかった。
だが、それのせいで人が住んでいたらしき跡地はより一層物悲しさが漂い、それでいて不気味だ。
ここがスタート地点だとでもいうのか?
てっきりゲームよろしく始まりの街とかの近くに転送されると考えていたが、都合よくはいかないって訳か。
先ほどまで説明を受けていたおれは、やはり実感がなかった。ここまで来ても心のどこかでは夢なんじゃないかと疑っている。
混沌と秩序の均衡を保てるかどうかの試験。
そして試験の内容は『あなたがた次第』。ただそれだけ。曖昧にもほどがあるだろう。
「何をすればいいのかぜんっぜんわからん」
まずは現状を把握するべく、自分の持ち物を確認する。
学校の教室にいた時のままなので、持ち物はかなり少ない。
内側の胸ポケットに突っ込んである学生証。役には立たないだろう。
尻ポケットに入れてある財布。色んな店のメンバーズカードとかが入っている。現金は千円札が三枚と、小銭がいくつか。この世界で通じればいいけど、望み薄だ。
スマートフォンを取り出してみる。当然圏外で、電話も通じない。充電がなくなれば照明にすらならない無用の長物になっちまう。
あとは……手に握ったままの紙。おれが獲得したスキルが書かれている紙が三枚だ。
『吸収(微)』と『ちくわ生成』とよくわからん文字の羅列。
アフーラとアリマーの話では最低ランク『Z』スキルが二つと、手違いのスキルが一つ。
うん、終わった。
おれの物語はここで終了だよね? なんにもできないよこれ。
こういう時は現実逃避に限る。
と、何かをしようにも暇つぶしするものすらない。
「いきなりこれかよ……」
ちょーっとかっこうつけて試験に臨んだけどやっぱり帰りたくなってきた。
魔王とか怪物を退治するわけじゃなく、宝物を取りにいくわけでもない。
なんとなく不信感が募ってくるが、少なくとも今考えることじゃない。
「それは後だ。まずは……出口を探さないとな」
朽ちてはいるが、石で組まれた道が続いている。
果たしてどこまで続いているやら。
閉じられた地下であるというのにかなり広い。空間の端とおぼしき岩壁はだいぶ遠くにあった。
しらみつぶしに当たっていくしかない、とおれは覚悟を決めて地面を踏みしめるのであった。
「広すぎる」
決めた覚悟はすぐに砕け散りそうになった。
とにかく広い。
立っていた場所から周囲を探索し始めたのだが、すでにして挫折しそうだ。
残っている瓦礫とか残骸を見るに、街であるように思う。しかもずいぶんと前に滅んでしまった街だ。
たいしたことは何もしていないのに、どっと疲れが押し寄せてくる。
倒壊した柱の残骸に腰を下ろし、休憩を取ることにした。
深く息を吐くと緊張が薄れ、喉の渇きと空腹が追加される。
よく考えないといけない。
ここを出るために探索をするのは当然だが、どうしたって水と食糧が必要だ。
ここを仮に『地下都市遺跡』、略して遺跡と呼ぶが——ここは広すぎる。一日で回れない大きさだ。
まずは水。小川でも井戸でもなんでもいい。都市であったからには、絶対にあるはず。
そして食糧。石と岩と瓦礫以外になにもなさそうだが……
「って、あるじゃん。食い物」
そうだった。アフーラには笑われてしまったが、おれには『ちくわ生成』がある。
いや待て。どうやって起動する?
あの二人のテキトーさに押されて失念していた。肝心なことを聞けてない。
「呪文……それとも念じるのか? ええと……ちくわ、出ろ」
出ない。
死にたくなってきた。
ちくわとはそもそも何でできているのか。そこから考えよう。
ちくわは確か練り物だったはず。原料は何だろう? かまぼこの一種か? だったら魚だな。味と食感。形状は筒みたいな感じ、と順に思い浮かべる。
すると―—
「おお!?」
一本のちくわが手に握られていた。
つまり、ちくわは手、もしくは手の平付近から生成されることがわかった。
触れている感覚はちくわそのものだ。偽物ではない。
おそるおそる口に入れてみる。
うん、普通にうまい。もっと味が濃ければかなりイケる。
あっという間に一本を食べきると、少し力が湧いてきた。
「一本じゃ足りないな」
さらにもう一本生成しようと試みたが、今度はなにも出なかった。同じ手順を繰り返すも、反応はない。
まさかこれで終わりか?
愕然としつつも、一方ではスキルとやらがちゃんと発動したことに安堵を覚える。
まるで魔法だ。
何もない所から食糧を生成するなんて、とんでもないことだと思う。
まあ、一回だけしか使えないとはさすがに思えないので、時間を置いてまたやってみよう。
それよりも肝心なのは水だ。
おれがいた場所は、遺跡の中心部ではないとわかっている。
高台に建っている大きな建造物がどこからでも見えるからだ。
おれはまずそこを目指した。
水もそうだが、できれば休めるところも欲しい。
不思議なもので壁に囲まれたところじゃないとゆっくり休める気がしない。
結構な距離を歩き回ったが、まともな建物はなかった。どれも朽ちていて穴だらけ。屋根もない。
「あー、やばい。だめだ。投げ出したくなってきた」
つい独り言を口にしてしまうが、大目に見てほしいと思う。
やる、と言ったが、もうだめだ。
おれは大人じゃないし、聖人でもないし、どちらかといえば自己中心的で、良いヤツでは決してない。
むしろ飽きっぽくて、夢も望みもないドがつく平凡な高校生だ。
それがこんな寂れた遺跡でぼっち……救いようがないだろう。
今が何時何分なのか地下では知りようもないし、八方塞がりってヤツかこれ。
なんだか歩くのもおっくうになってきた。
柔らかいベッドで眠りにつきたいと心から願う。
しかし、おれの頭を覆いつつあった眠気は一瞬で吹き飛んだ。
街の中心部、高台に向かう道の先から人影が近づいて来る。
見間違いなんかじゃない。
あれは人だ。
石の道から響いてくる、カツンカツンという足音。
ここには人が住んでいる。
自分でも単純だと思うが、生きる気力が湧いてきた。
近づいて手を振り、声をかけようとして——止まる。
あれは多分、人じゃない。
見た目は人の姿そのもので、変わった服装をしているが、女の子に見える。
しかし、まとっている空気は重く、黒い。
これは生き物の本能だと思った。
むせ返るような死を連想する香りに立ちすくむ。
「ぬしは誰だ? ニンゲン……?」
ひどく顔色の悪い真紅の瞳をした女の子が目を細める。
歓迎はされている風には見えない。
息が苦しい。
嫌な汗がどっと噴き出る。
そして、彼女は姿を消した。
一瞬の間だった。おれがまばたきをしたわずか時間に、彼女の姿は消えていた。
空気が凍りつく。
華奢な姿を探すまでもなかった。
彼女はおれの隣にいて、静かに佇んでいる。
その直後だ。
おれの体が水平に吹き飛ぶ。
一体何をされたのかわからない。
信じ難い出来事の中で意識を失いそうになる。
これ、ダメなやつだ。
試験とやらは早々に終わっちまったかもな。