10 『女子との会話は難しい』
「よし、行くか」
ディヴァイン兄弟との別れを終えたおれは、遺跡の中央部『城』に向かうと決めた。
この場所に用はない。
アールの遺体から革のベルトを拝借して、腰に装着し、受け取った剣を差す。
非常食としてヌルンの種をいくらか準備。苦すぎる食糧だがないよりはいい。
後は水を用意しておこう。都合のいいことに机の上には古ぼけた水筒があった。洗えば十分に使える。
「問題は『彼女』をどうするかだな」
理想としては『彼女』がいない隙に『城』へ忍び込み、地下都市遺跡を脱出する事。正直に言って難しいとは思う。『彼女』はアールとニルが二人がかりでも勝てなかった相手だ。おれ一人では分が悪いとしか言えない。
他にも思いつくプランがない訳じゃない。
だがきっと実現しないだろう。
予感がするんだ。『彼女』とは結局戦う羽目になると。
ディヴァイン兄弟の元拠点から離れていったん水を補給し、それからゆっくりと『城』へ近づく。
カツンカツンという足音は聞こえてこない。
今になって気になるのは、『彼女』が何者なのかという事だ。人間ではないにしても、何故ここにいて、何故襲いかかってくるのか、疑問だ。
「近くで見るとでかいな」
ここまで『城』に近づいたのは初めてだった。
古ぼけていて、他の建造物と同じに朽ちかけている。壁に空いた穴から侵入できそうだった。
「あいつの姿はない……今がチャンスってことか」
塀を越えて、庭へと入る。
驚いたことに芝生と花壇があって、色鮮やかな場所だった。瓦礫や石くれが花壇の横にどかされているのがわかる。周辺の土と砂ばかりな街とは違う風景がそこにあった。
おれは植木に身を隠しながら『城』へと近づき、中へと入る。
開けっ放しの窓に身を乗り出して侵入するのは簡単だった。
「誰もいないな……」
なんというか、人が住んでるような気配はない。庭の手入れ具合から言って『彼女』以外にも誰かいそうなのだが。
『城』は外から見るよりもずっとボロボロで、綺麗なのはごく一部だった。
変わったものは特にない。
二階に上がり、いくつかの部屋を確認する。が、何もなかった。
なにか一つでも手がかりが欲しい、と少し焦った。せっかく侵入できたのに手ぶらじゃ帰れない。
何個目かの部屋に入ると、おれは立ち止まった。
「あ、ええと……ここはアレだな。プライバシーの侵害だ」
思わず独り言を口にしてしまう。
ピンクとかホワイトのカーテン。ぬいぐるみとか、脱ぎ散らかした服とか、要するに誰かの寝室だ。
調べようとは全く思わなかった。
おそらく、個人的な物しかない。
それから別の部屋も調べるものの、特には何もなかった。
まいったな。『城』に何かあると考えたのは間違いだったのか。
だとすると打つ手がない。
途方に暮れて廊下に立ち竦む。どうしたらいいのかわからない。
「……ん?」
キイキイときしむ音がして、ふと窓から下を見る。
聞き覚えのある音の正体はブランコだ。
乗っているのはもちろん『彼女』である。
この世界にもブランコってあるんだねー……ってまずい。隠れないと。
身をかがめて隠れ見る様は正真正銘コソ泥である。
自分で自分に呆れてしまうが、仕方ないと割り切るほかない。
幸い『彼女』には気付かれていないようだった。
このままいったん退避するのが丸いだろうと思う。
だが、一つも収穫がない状況で帰るってのもどうかな。
アフーラとニルに言われたし、アールにも笑われてしまったが、おれの『ずぶとい』ってのは持ち味じゃないか?
試したいこともあるし。
だからおれは、あえて虎の尾を踏んでみたいと、思ってしまった。
「ん……」
手足がぶるっと震える。
恐怖? 違う。
武者震いだ。
もう身を隠す必要はない。
堂々と降りてブランコに近づく。
こう見るとなんだか『彼女』が幼く見えてくる。服装は動きやすいシャツにスカート。そこらを暇そうにぶらつく女子高生だと言われても違和感がない。初めは喋り方からして年上かとも思ったが、同じくらいの歳か、少し下だろうと思う。
表情が見える位置まで近づき、おれは立ち止まってしまった。
憤怒の顔ばかり印象に残っているせいか、今の『彼女』がする物憂げな瞳が気になってしまう。
こういう時、なんて声をかければいいのか。
天気の話題? それとも趣味でも聞くか?
いやいや、多分これから戦うんだろうし、聞いても答えてはくれない。
「よ」
おれが知る中で最も短い声掛けをすると、『彼女』の体がびくんと跳ねた。
こちらに向けられた顔は怒りや憎しみではなく、ぽかんとした間抜けなものだ。
「……」
「……」
き、気まずい……
「ま、また会った、な」
やっべー、口が上手く回らん。
「……何故?」
何に対しての『何故』だろう?
「……まだ生きていたか。しぶとい」
「そりゃどーも」
「褒めていないぞ、下郎」
今度は下郎だ? ま、まあ、虫とかゴミとか言われるのよりはマシかもな。
「なあ、ここから出る方法を教えて欲しいんだ」
「……」
「ちょっとくらい教えてくれてもいいんじゃない? 減るもんでもなし」
「……ニンゲンと口を聞くのは汚らわしい上にわらわの貴重な時間が潰れる。つまりは減るな」
おれは今どんな顔をしているのか、すぐに想像できる。きっと引きつってる。めっちゃ引きつってる。
「と言いつつ、今喋ってるよね?」
「黙れ、殺す」
話が通じなーーーーーーーーーーーーい! もうだめだこれ! さすがにおれが怒る番ですよね!
頭に血がのぼるのをこらえるので必死だ。
まだギリギリ耐えられる。
「どうすれば教えてくれる?」
「……」
烈火の如く怒り狂って襲いかかってくると思ったが、予想と違う。『彼女』はブランコに乗ったまま動こうとしない。
数度しか会っていないものの、調子が狂う。
「なあ、答えてくれ——」
「黙れ! ニンゲンになど……教える必要はない!」
やっぱり怒ってる。
さっきまでの顔はいったいなんなんだ。ぜんぜんわからん。
しかし——おれだって退けない。ここから出るのは望みじゃなくて、とっくに確定事項になってるしな。
「そう言わずに教えてくれ。そうしたら勝手に出てく。ニンゲンと関わりたくないんだろ? それでいいじゃん」
「ぬしはわらわの領域に土足で入りこんだ。その罪、万死に値する」
「じゃあさ、これでどうだ?」
破れかけた学校指定の上履きを脱ぐ。これなら揚げ足を取れないはず。
「……ぬしは馬鹿か? なんという厚顔無恥……なんという愚劣……」
うん、呆れさせてしまった。
「わらわをからかっているのなら許さない……」
「からかってなんてねえよ。こっちも必死だ」
「なに……?」
「詳しい説明は省くけど、いきなりここに放り込まれたんだよ。おれは——この世界の人間じゃない」
「世迷言を」
ブランコを降りて戦闘態勢を取る『彼女』の姿は、以前会った時の恐ろしい存在へと変わった。ちょっとは強くなったと思うんだけど、やはり対峙しただけで冷や汗が出てくる。
「おまえはなんでここにいるんだ? 地上には出ないのか?」
『彼女』は無言だ。だが、聞かれたのが意外だったのだろう。わずかに眉をひそめた。
「……問答は無用」
「力で示せって?」
「ねじ伏せてみよ。できるはずもないがな」
ぞくりとした。
楽器を思わせる音色に似た澄んだ声が耳に響く。周囲に音がないから余計に美しく思ってしまった。
「結局こうなるのか」
話している途中から説得できると、少しだけ思った。
完全な思い違いとは感じない。しかし、今となってはもうごちゃごちゃ考えたところでどうしようもなさそうだ。
「わかったよ」
腰に差したアールの剣を鞘から引き抜く。
朽ちかけた剣などとは比べようもない頼もしさだ。
「いい加減に死ね! ニンゲン!」
「うおおおおおおおおおおおお!」
おれたちは同時に地面を蹴った。