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放置された未来  作者: イトユウ
4/8

3 高齢者待機問題

陽太郎の内閣総理大臣就任記者会見は異様な空気の中で行われた。


陽太郎は慣れるまでは罵詈雑言浴びせられるだろうと思っていたが、今回の記者会見は陽太郎の意気込みや、今後の方針等に終始しとても国のトップの人事会見とは思えない程張り合いの無い会見となっていた。


それには裏でマスコミに制約があったのは陽太郎にも容易に想像できた。


――これじゃあ会見やる意味ないじゃんか。


陽太郎は表情に出ないよう表情を硬くして臨んだ。


会見終了後進藤に労いの言葉をかけられた際に陽太郎は問うた。


「いつもこんな平和なんですか。就任会見って」


「まあ最初から罵詈雑言を浴びせるマスコミの方はいませんからね。今回ばかりは少々我々も骨を折りましたが」


やはり裏で制約があったようだ。


陽太郎は首を傾げるのであった。


陽太郎は元来真面目な性格で、納得できないことは納得できるまでとことん突き詰めるタイプだっただ、陽太郎は思うのであった。


――中途半端で納得することも必要なのかな。


国会会見場からも実は陽太郎たちが住む移住空間へは地下でつながっており、その地下をとおり部屋に戻った。


部屋の前には千絵が待っており「おかえり」といって陽太郎を迎えた。


千絵をと共に部屋に入ると進藤が分厚い封筒を陽太郎に渡した。


「性急に総理に決議してもらわねばならない事案が発生しましたのでこちらを呼んで意見を聞かせてください。期限は今日からちょうど一週間ごとさせていただきます」


陽太郎は受け取るとその場で封筒の封を開け中身を確認した。


千絵も覗き込んできており二人で読み始めた。


『待機高齢者問題』


二〇一〇年代から問題となっていた待機児童問題。


保育園等子供を預ける施設が不足し、共働きが増える中で、中々子供を施設に預けることができなくなると言った問題が発生していた。


それには様々な要因があり、保育園等の施設の数不足はもちろんのこと、保育士等の給与の低さから保育士志望の人が少なくなり、議論を重ねていた。


しかし、少子高齢化が顕著になっていくにつれて子供の数が更に激減し、保育園等の施設が増やせなくても待機児童の問題は解消されていった。


誰でも分かるようにこれはただの偶然で、数々の対策が意味をなさず、これで解消されたとほっとしている担当者が後を絶たず、何の進展も無かった。


そして、今度は老人ホームの少なさ、そして老人ホーム入所するのにかかる費用の高額化等により老人ホームに入所できない高齢者が溢れかえり、その子供も不景気のあおりを受け、一日も仕事を休めない家庭が多く、介護をすることができないでいた。


これは二〇一〇年代の待機児童の問題を偶然の産物にも関わらず解決したと勘違いしていた事へのしわ寄せが来ており、何らかの解決策があれば今回の待機老人の問題も少しは緩和できたであろうが、議論はまた一からすることになった。


しかし、陽太郎も待機児童の問題は国が何らか動いて解決したと思っており重く考えていなかった。


「待機児童の問題の時のようにすれば良いんじゃないかと思ってしまうのですが」


進藤は苦虫をつぶしたような顔をすると「それがですね」といい、二〇一〇年代の待機児童問題がどのようにして解消されたか説明した。


「それって偶然じゃないですか。怪我の功名ってやつですよね」


「その通りです」


「ということは、誰も今回の待機高齢者問題に対する策を持っていないということですか?」


進藤は頷いた。


覚悟はしていたが、陽太郎にとって最初の仕事がよりによってこのような政治のプロでも解決できなかった事案だということに徒労感を覚え始めていた。


「しかし、私共のように常日頃からこういった問題に相対している者と、総理のように専門的な知識を入れてない者とでは根本から考え方が違いますので、何か画期的な案が生まれるかもしれません」


「画期的って……」


直ぐに答えが出るはずもなく、期限まで実際に老人ホーム等に赴き考えをまとめることにした陽太郎は、早速次の日東京都文京区にある老人ホームへと訪問した。


この訪問には千絵も同行していた。


陽太郎の案で一人でも多くいた方が新たな知恵が生まれるだろうということであった。


訪問先は『国営文京区総合老人ホーム』と名乗っており、文京区内では最大の部類に入る老人ホームで、国営にもかかわらず入所費用が近年跳ね上がっており、高級ホテル並みの費用が設定されていた。


先日同様車で向かおうと部屋を出た陽太郎はそこに真っ黒なスーツにサングラスをかけた三人の体格の良い男に出くわした。


その陰に隠れていた進藤が顔をだし「今日総理におつきになるSPです。分かり易く言うとボディーガードですね」といい陽太郎の反応を待った。


陽太郎は納得したのかしないのか判断の付きにくい反応をすると、SPに「よろしくお願いします」と声をかけ駐車場へと向かった。


駐車場へは階段を下り、中央にある扉の対面の出口を利用する。


他にも三つ扉が有り、就任前の説明の際に出入りした元警察庁舎に繋がっている扉には上のプレートが有り『霞が関』と記されていた。


その隣の扉には『日比谷』と記されており、皇居近くにある出入り口に繋がっている。


そのそして次の扉には『国会』と記されていて、予想はつくだろうが国会議事堂と繋がっている。


そして最後の扉には『駐車場』と記されており今回はその扉を利用した。


扉を開け暫く歩くと重厚なシャッターが有り、認証システムで制御されているのであろう、近くまで来たら自動で開いた。


そこはどこの駐車場か分からないが、公用車と思われる黒い車が所狭しと並んでおり二〇台はあるであろうと思われた。


「すごい数の車だと思いでしょうが、これも防犯の為です。ずっと同じ車になっていますと、様々な標的になってしまいます。なので形状やエンジン音、ホイールなど違った車を用意しております」


陽太郎たちは一番近い車に乗り込むとその車を囲い込むようにして車が二台付き計三台で出発した。


老人ホームに着くとまず所長と思われる男性が頭を深く下げ出迎えていた。


「総理、よくいらっしゃいました。心置きなく見学して行ってください」


SPまでもが着いて来たので陽太郎は老人たちが怯えるから外で待っているように要請すると「防犯上そういうわけにはいかないのです」と進藤は譲らなかった。


「ならば、帰りますよ。体調が万全な人ばかりじゃないでしょうからいきなりSPを従えてゾロゾロ入ったら怯えて体に悪いです」


進藤は困ったような顔をすると「では、一般の服装に変えたSPを支給手配しますから、これでご勘弁ください」と言うと渋々陽太郎は納得した。


――なんか俺が我儘な総理みたいだな。


陽太郎は思うのであった。


そんな考えを見越したのか、千絵が話しかけて来て「陽ちゃんは間違ってないよ」と耳元でささやいた。


外に出たらお互いの事は、役職で呼ぶよう言われているが、中々慣れず千絵はお構いなしにいつもの呼び方で読んでいる。


陽太郎は再び車に戻り待つこと数十分。


新たに車が到着し、今度は老人ホーム社員と同様の服装をしたSPが降りて来た。


体格がそもそも良いため、全く似合っていないが、いつものSPのスーツよりはまだましかと納得し老人ホームの中に入った。


入ると異様な静けさに包まれたロビーが広がっており受付には、ホテルさながらの服装をしたスタッフが控えていた。


そのスタッフは頭を丁寧に下げ、ここからして陽太郎と千絵が想像していた老人ホームとはかけ離れていた。


エレベーターで階を登るとある階についいた。


その階はある程度動き回れると判断されている老人が宿泊している階になっており数人の高齢者が共有スペースで談笑していた。


見知らぬ客にこちらを向いた老人たちはすぐに陽太郎の事を認識しパッと顔を明るくした。


「若いのにえらいですね」


「これからの日本頼みますよ」


「やっぱり若い人が日本を引っ張って行かないと、歳とると頭の回転悪くなるからね」


と口々に歓迎の言葉を受けた。


どう反応して良いか分からない陽太郎は愛想悪く軽く頷くと千絵に背中を小突かれた。


「サラリーマンじゃないんだからピシッとしなさいよ。サラリーマンでも失格だよ」


陽太郎は自分の持っている中で最大の笑顔を作るも、高齢者たちは怪訝な表情をしている。


千絵はため息をつき、進藤はどうしたものかと思案顔である。


――言わんこっちゃない。そもそも俺にこういう事向いてないんだよな。


思うも一度乗った船。簡単に降りるわけにはいかず、ぎこちない笑顔を振りまいて先へ進んだ。


スタッフルームに通された陽太郎たちはそこで老人ホームの現状を所長から聞いた。


「正直申し上げまして、介護スタッフがまず足りません。少子高齢化の煽りを受けて、総理と同年代の体が丈夫な人間がそもそも少ないですから。そうすると、賃金を上げるくらいしか手は無いのですが、物価が高く出費が年々ものすごい勢いで増えてまして、賃金を上げるとそもそもの入所費を上げざるをえないのが現状です」


「しかし、自分が就職活動をしている際には、正社員の求人が少なく、契約社員やアルバイトという形で働く人が多かったです。人材はいるのではないですか」


「そうなんですが、この仕事は経験してみないと分からないくらいの肉体労働でして、慣れてくると大丈夫なのですが、慣れるまでは運動部出身の学生までも悲鳴を上げています」


「ですが見てると女性のスタッフも大勢いますよね」


「それは世間の煽りを受けてですかね。女性働き化計画が一昔前に国を挙げて実施されたと思いますが、入ってくる女性スタッフの扱いに男性スタッフが疲弊してしまいまして。辞めるスタッフが続出しているのです」


「それは自分も感じておりました。環境が女性に優しくなりすぎてしまったということですよね。一般企業も女性には腫れ物に触るように扱っていますから」


「おっしゃる通りです」


所長と陽太郎は色々と思う処が一致しているようで会話は止まらなかった。


「最終的な問題は実は私共では無く、入所する人相の変化にもあると思っていまして。実はこの階に入所していらっしゃいます約八割のご高齢者の方は私の目から見ますと老人ホームに入所する必要が無いのです」


この所長の言葉に陽太郎を含め、千絵や進藤も驚きを隠せなかった。


「そのご高齢者の方は各大手企業の幹部の父親でありましたり、大手企業の幹部を定年退職された方ばかりでして、ここ数年老人ホームも更なるバリアフリー化と合わせて高級化が進んでおりまして、費用は嵩みますが高級ホテルのような施設に補助するスタッフがいて、高級と言いましても高級ホテル程には入所費用は高くありませんので」


「老後を楽に快適に暮らしたいと思う方々がホテル感覚で入所して来ると」


「その通りでございます。先ほど申し上げました女性働き化計画の副作用ともいうべき男性従業員の働く環境問題と合わせまして、喫緊の対策が重要であると認識しております」


「何か御実行に移されたものは?」


「それが何か行動を起こそうとしましても、日常の業務で手一杯でして。私どもといたしましても、従業員を残業させると色々と問題が起き、シフト制なのですが先ほども申し上げましたように男性従業員が続々と退職されたお陰で、力仕事等に何人もの従業員を費やさなくてはならなくなりまして」


陽太郎は険しい顔をしながら何度も頷いていた。


非常に由々しき事態であるのは政治の素人である陽太郎にも理解できるところで、陽太郎なりに解決策を考えていた。


「どこの企業の従業員も同様だと思うのですが、国が働き化計画を実行されて、その指針には何ら意見は無いのですが、それを盾に従業員たちが行動を起こす事案が続出しまして」


「その事案というのを少しでも良いので教えてください」


「例えば、女性従業員に力仕事を頼みましたら、私は女性なので持てないから男性従業員に言ってくださいと。実は、その女性従業員が原因で男性従業員が数名退職しているのです」


「もう少し詳しく教えていただけますでしょうか」


「従業員同士でグループを組みご高齢者を担当していたのですが、どうも何の仕事もしていなかったようで。排泄処理も女性従業員は汚いからやらないと」


「その男性従業員は、何も言ってこなかったのですか」


「話は聞きました。階ごとに長となる人物が主任という肩書で在中しているのですが、その主任も女性でして、そんな汚い仕事は男の仕事だろうと」


「ひどい話ですね」


「何とか我慢していたようなのですが、先日その男性従業員から私の所に直接来まして、辞めさせてほしいと、一連の話しを聞いて、私も主任とそのグループの女性従業員の話しを聞いたのですが、私が少し強めに注意したところ、パワハラだと。これ以上強く来るならばパワハラとして報告すると」


これには千絵も「ひどい…」と呟き陽太郎同様、今の日本を取り巻く問題に思いをはせていた。


「正直申し上げまして、こういった環境はどこの企業も陥っているわけではないのでしょうが、確実に増えています。私の友人が経営している会社では深刻な状況でして、男性従業員がここ数年で大多数退職しましたようで、全体の一割も満たないようです。そこは運送会社で間違いなく力のいる仕事です。私のこの話し方も男女差別だと言われればそれまでですがね。その運送会社では男性従業員が退職するのと比例して業績が急激に悪化しているようです。仕事の効率が悪くなり、仕事が遅くなり、残業させようにも先ほども話にありましたように、残業となると問題がありますので」


陽太郎は怒りを通り越してあきれてしまっていた。


日本という国が陥っている沼は思いの外深そうである。


政治素人の陽太郎に何が出来るのかと、陽太郎は憂鬱になりつつあった。


老人ホームで一連の話しを聞き、現状を見回った陽太郎は帰りの車の中で押し黙ってしまっていた。


陽太郎が内閣総理大臣に任命された理由が少し分かるような気がした。


誰もやりたがらないわけである。


そして、こういう問題には正攻法だけでは解決の糸口も見いだせないであろうというのは陽太郎にも分かることであり、自分みたいな素人である陽太郎の斬新な案が必要であると陽太郎は思うのであった。


移住区に戻った陽太郎は関係者を会議室に呼ぶことを提案した。


陽太郎に考えはまとまってはいないが、内閣総理大臣として問題提議はしておかなければいけないのではないか。


そう思い皆に説明をするためであった。


会議室に集まった関係者に開口一番こう発言した。


「私みたいな素人がこんなことを言うのは納得しないかもしれませんが、日本の現状をどこまで把握しているのでしょうか。先ほど国営の老人ホームを訪問しましたが、ひどいものでした。国営であの状態なのです。民間の老人ホームの実情を考えるだけで震え上がります。これから報告書を描きますが、素人の自分が見てひどいと思う状態まで放っておいた理由が分かりません」


この言葉に顔を険しく歪める者が多数いた。


政治素人である陽太郎が内閣総理大臣に就任することに皆が納得しているわけもなく、いまこの会議室に充満している空気がそれを物語っていた。


「総理、失礼ですが表の面のみご覧になっているだけではないでしょうか。政治というものはそう簡単ではないのです。その老人ホームの責任者は同情をかって国から更なる額をもらおうと画策しているように思えるのですが」


陽太郎はこの言葉に驚いてしまった。


これがこの国の現状か。


表しか見ていないのは誰か。


国から更なる金を受け取るを得ない状況まで放置していたのは他ならぬこの国なのだ。


よりによって今回の訪問先は国営なのだ。


国が管理している老人ホーム、更に言うと企業に対してあまりにひどい話である。


「そう思われる根拠は何なのですか。その老人ホームに限らずです。先ほど調べて分かったことなのですが、ある運送会社の従業員の男女比が九対一で圧倒的に女性が多いのです。運送会社は皆が分かるように力仕事です。その運送会社は男性従業員の低下に比例して業績が悪化しています。残業させようにも数十年前の働き方改革の名残で残業させられないのです。この状況を考えてもまだそんなことが言えますか」


これには先ほど発言した人もぐうの音も出ないようであった。


「私たちの国日本の経済はこの十数年で世界のトップに肩を並べるまでに回復しました。そんなことは自分にも分かります。しかし、これは更に昔のバブル崩壊といわれる時代にと同じ道を辿っているような気がしてなりません。しかも、現状は目に見えるほど深刻です。目に見えているのです」


千絵は思うのであった。


陽太郎のこういう性格を進藤を含めた人達が評価し陽太郎に内閣総理大臣就任の要請をしたのだろうと。


そのことは千絵が一番よく分かっていた。


陽太郎はトーンダウンしたかのように冷静に言った。


「自分はこういった現状を踏まえて新たな法案を提案するつもりです。もう考えはまとまっています。次回の会議までに報告できるかと」


陽太郎の言葉に皆口を閉ざし会議は終了した。


政治素人の陽太郎が政治のプロ達を言い負かしたのである。


これには進藤も驚きを隠せなかったようで移住区に通じる通路で陽太郎を評した。


「まさか、ここまで考えているとは驚きでした。そしてその行動力。陽太郎さんを総理に据えるよう要請して大正解でした」


陽太郎は照れたように頭を搔くと衝撃的な一言を発した。


「何の考えもないですよ。しかも、法案なんて何も思いついてません。ただ、イラッとして。素人って馬鹿にするけど、政治のプロなら何で分からないんだって」


「総理、それは確かですか。何の法案の案も無いというのは」


「確かですよ。ただイラッと来たから言った事です」


これには千絵も進藤と顔を見合わせてしまった。


「陽ちゃんまずいよ。あんな啖呵切って何の案もありませんて皆に言ったら、一気に辞任に追い込まれるよ」


「その辞任っていうのも気に入らないんだよな。何かあったら辞任。野球でエラーした選手がその度交代させられていたら、選手が委縮するってファンからひんしゅくかうと思うけどな」


「そりゃそうだけど」


「総理、そういった事を一つの法案として発表したらいかがでは」


「どういうことです?」


「ですから、総理が日本に対して思った事をどんどん法律にしてしまうんですよ。もちろんその案が通るかは分かりませんが、あまりにひどかった時には調整する。それが私たちの役目です」


陽太郎は腕を組んで何事か考えていた。


「じゃあ自分が一番思っていたことを言っても良いですか?」




その一週間後一つの法案が陽太郎の口から発表された。


『定年後義務教育』


これには誰もが自分の耳を疑った。


――何を言ってんだこの素人は。


――定年を過ぎた人達が教育なんて受けられるわけがないだろう。


――国民が黙ってないぞ。


会議室に集まった面々はそれぞれ心の中で思っていた。


陽太郎はそんなことお構いなしに説明を続けた。


「先週自分が老人ホームで説明を受けたことは皆さんもご存じだと思いますが、その中で一つどうしても気になることがあったのです。約八割の人達が老人ホームに入所する必要が無いとのことです。これは報告書にも上げましたが、何故こういうことが起きているのでしょう。それは、人として大事なものが欠けているのでないかと思うのです」


先週と同様異様な雰囲気に包まれた。


それもそのはず、ここにいるのは陽太郎と千絵、そして進藤を除けば大半があと数年で定年を迎える人ばかりで、定年後も日本のために尽くすのか、それぞれ考えている中での陽太郎の発現である。


「その八割の方は、大手企業の会長職であったり、幹部の父親だったり、金銭的に裕福な人達です。言葉が悪いのですが、金にものをいわせて入所しているということです。その人達も、少なからず下積みはあったはずで、その頃から定年後は老人ホームを永久に住めるホテルだなんて思っていたのでしょうか」


「今入所しているご高齢者もそんなこと思っているのでしょうか。そこまで上り詰めるには相当な努力を要したはずで、老後を幸せに暮らしたいと考えることのどこが悪いのでしょうか」


先週も陽太郎に発言した人物で、狩野聡という名で、日本における経済関係をまとめる重鎮である。


肩書は日本銀行の幹部なので、政治的な肩書は無いが、日本の経済面のアドバイザー的役割として前任の総理大臣の時代から会議には出席している。


「悪いとは言っていません。自分が言いたいのは本当に老人ホームを利用しなければ生活が困難な人を差し置いてまでも入所する考えがおかしいと言っているのです」


「しかし、私達としましては、入所するのは自由と言わざるをえないと思います。そこにまで我々が感知してしまっては、ますます待機高齢者問題が国家問題となってしまいます」


「もうすでに問題になっているんですよ。そんなことも分かんないんですか」


陽太郎は狩野に掴みかかるとするかのような勢いでまくしたてる。


「一時期介護問題が深刻化しました。しかし、いつの間にか聞こえなくなりました。それは当たり前になってしまったからです。そうなってからは遅いんですよ。介護している人達がどれだけ苦労しているか、一般企業で働いていた自分には痛いほどわかります」


「だからと言って、定年後の人間に教育を受けさせるのは、人権侵害と言われてもおかしくないです」


「高齢者を敬えっていうことですか。では、今現在義務教育である小学校や中学校に通っている生徒たちはどうなのですか。人権侵害ですか」


これには狩野は言葉が無いようで、苦虫をつぶしたような表情で陽太郎の言葉を聞くしかないようであった。


「自分が総理大臣に就任する前、スーパーでレジを待っていたら横のレジで、ご高齢者が自分くらいの年代の人に言ってました。私老人なんだから順番代わりなさいよと。そしてその人はレジで店員に言っていました。私老人でお金ないんだから少し安くしなさいよと。これが現状なんです」


「しかし、それは一部の人達で…」


狩野が意見する途中で陽太郎は言い放った。


「その一部を放っておいたから今の日本の状況に陥ったのではないですか。何故、政治素人の自分が総理大臣に就任したのか考えれば誰にでも分かることでしょう」


すると、陽太郎の隣に座っていた人物が口を開いた。


「総理の言う通りですな。私ももうすぐ定年の年だが、どうも自分勝手な考えが頭によぎってしまう。老化で子供の頭に戻ってしまっているのではないかと思ってしまうよ。科学的には何の根拠もないのは確かだが、総理の言っていることは正しいとは思わないか」


狩野は足を組み直し、イラつきが伝わってきたが、何も言い返せないようで黙っていた。


「では、この法案を国会で提案しますが、異論はないでしょうか」


反対意見はなく、こうしてあらたな法律が出来上がった。


本来ならば正式なルートを通して法案は提案されるはずであるが、何とも陽太郎らしい政治素人の法案の通し方であった。


ある日、会議中に陽太郎の考えに賛同した人物と二人になる機会があった。


「以前はありがとうございました。自分も頭に血が上っていて」


「構わんよ。あんたのそういう考えが日本を変えてくれるのかもしれん」


「失礼を承知で伺いますが、どういった役職におつきですか」


その人物は目を丸くして陽太郎を見ると笑いだし「参ったな」として続けた。


「これでも何年も総理大臣を務めたんだがな。総理の二代前の総理だよ。そしてあなたを総理にと提案したのもこのわしだ」


自分の無知を恥じた陽太郎は頭を何度も下げ謝った。


「付け足すと総理の父親の同級生だ」


次に目を丸くするのは陽太郎の番であった。


その人物の名前は原田要蔵といい、陽太郎の父親は陽介という。


要蔵と陽介は小学生時代から高校まで一貫しエレベーター式に進学できる有名学校に通っていた。


陽太郎も話には聞いたことがあった。


陽介の父である正太郎は大手企業の会長まで上り詰めた人物で、経済的に裕福な生活が出来ていた陽介は子供の頃から英才教育を施され、名門の私学小学校に入学。


そして要蔵と出会うわけだが、そのころ丁度バブルがはじけ正太郎が会長を務める会社も影響を受け、経営が立ち行かなくなり会社をたたまざるを得なくなった。


突然の事で、途方にくれた正太郎らは、陽太郎の現在の実家に引っ越し、同業種の会社が新たに設立。


しかし、上手くいかず、金銭的な余裕が亡くなった正太郎はなけなしの金で農業用の畑を購入し、今に至る。


その要蔵と陽介は今までずっと交流があったようで、総理大臣と言う立場の要蔵を慮って、陽介は要蔵との関係を隠し通していたようであった。


「総理の事は、総理が小さい頃から陽介から聞かされていたんだ。私が総理大臣の時代に、私は悟ってしまった。このままでは日本は駄目になる。抜本的な改革が必要で、政治に精通している人物ではとても何の案も出ないだろうとね」


「そうだったんですか。始めて聞きましたよ。父はそういった素振りは何も見せなかったですから。苦労してきたとしか聞いてなかったので」


「こんなこと言ったら陽介に起こられるだろうが運が悪かったんだろう。正太郎さんも日本の景気が数年のうちに後退するだろうとは予測していたようだが、あそこまで急激に悪くなるとは」


「誰も予測できなかったんですよね」


「私の知る限りはな。当時の閣僚が何を掴んでいたかは今となってはな。そしてその時代と同じ道を辿っているような気がしてならんのだよ。今の日本が」


陽太郎は深刻な顔をして話を聞いていた。


「だから、総理に目をつけたんだがね。当初は政治に精通していない人物で二十歳前後と考えていたが、ここまで身近な人物を総理大臣に据えるなんて思ってもみなかったがね」


そういって要蔵は陽太郎の肩を愛情をこめて数度叩き去って行った。


この『定年後義務教育』の成果がいつ成果として現れるか誰にも分からない。


一生分らないかもしれない。


しかし、行動に移さないと深刻さを増すだけだ。


高齢ドライバーによる交通事故、そして各種の詐欺にかかってしまう被害者のますますの高齢化。


そして高齢者という立場を利用してのマナー違反や犯罪。


少子高齢化が深刻になる中で、高齢者の人間性を疑問視した陽太郎を提案は、プラスになるのかマイナスになるのか。


それは、誰しもが知る由もないことである。


しかし、この法律を通して、介護問題が画期的に解決に近づいたのは、言うまでも無いことであった。


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