20 まったく新しい格闘技
「おい待て、逃げるのか?」
俺の一言に、モフモーフの動きが止まる。
「ここまでナメられてるってのに、お前はシッポを巻くのか?」
しかしいくら焚きつけてみたところで、ヤツは燃え上がることはなかった。
湿気たマッチのような頭を、ふるふると振るばかり。
「……犬……戦う……だめ……人間の……ために……」
ああ、そういうことか。
コイツは人間の都合で、犬同士が傷つけあうのを見るのが嫌なんだろう。
「でもお前さんの相棒は、そうは思ってないみたいだぞ」
彼女の足元にいるりんごは、ゴーサインが出れば今すぐにでもおっぱじめそうなくらい、ウーウー唸っている。
「ご主人サマがナメられてるのが我慢できないんだろ。相棒はこんなにやる気だっていうのに、お前ときたら……」
しかし最後まで、モフモーフがやる気を出すことはなかった。
頑なに「……だめ……帰ろう……」と、りんごをなだめ、引きずって連れ帰ろうとする。
「おいっ、逃さねえぞ! 俺と勝負しやがれ!」
下っ端コンビが追いかけようとしていたので、俺はとっさに野郎どもを手で押しとどめた。
「……まぁ、待てよ。やる気のないヤツとやってもしょうがないだろ? えーっとたしか、『拳闘犬』だったよな? 俺がかわりに相手してやるよ」
モフモーフに向かっていたゴーグル男は、俺の一言に「はぁ~?」と振り返った。
ターゲットを俺に移したのか、挑発的に舌を出しながら戻ってくる。
「おいおいおいおい! 『拳闘犬』ってのは、人間と犬がペアになって戦う、まったく新しい格闘技なの! 犬がいなきゃ成り立たないんだよ! そこんとこわかってるぅ?」
こめかみのあたりで指をクルクルやって、「頭おかしいの?」とジェスチャーを取る。
……コイツらのやり方が、だんだんわかってきたような気がする。
わざと挑戦的な態度と言動で『撮られる側』を煽って、ヤツらなりの『ベストショット』を引きだそうとしているんだろう。
写真ってのは音声が入らないし、『撮られる側』しか存在しない。
瞬間しか切り取らないから、その表情に至るまでの経緯なんて、いくらでもデッチあげられる。
もしここで俺が、ヤツに殴りかかりでもしたら……。
その様を撮って、一方的な暴力として書き立てるつもりだったんだろうな。
まったく、俺が今いるのは、前世とはぜんぜん違う世界だってのに……。
新聞屋のやってることだけは、たいして変わらないだなんてな……。
でもそんなのは前世で慣れっこなので、安い挑発に乗る俺じゃない。
「犬ならいるさ、ここにな」と、コートを開いて内ポケットを見せてやった。
すると、そこには……。
ポケットの縁に前足をかけて、ちょこんと顔だけ出した犬のリコリヌが。
りんごと同じくらいやる気じゅうぶんに、ぐるるると唸りまくっていた。
といっても拍子抜けするくらい可愛らしかったので、下っ端コンビは同時に破顔する。
「ぎゃっはっはっはっはっ! そんなちびっこい犬で、俺とやろうってのかよ!」
「やっぱりコイツ、頭おかしい! あっはっはっはっはっはっ!」
「……やっぱりお前らは、お似合いのコンビだな」
俺の言葉に、「「は?」」口を揃える下っ端コンビ。
「自分自身は手を汚さず、犬にやらせて……。自分自身は写ることなく、都合のいい瞬間だけを切り取る……。それで甘い汁だけを吸おうとするなんて、まさにノミとダニのコンビだな」
「「なんだと、テメェっ!?」」
「まあそうカッカするなって。普段は人をさんざん煽ってるくせに、煽られるのには慣れてないんだな。で、どうするんだ? 俺とやるのか、やらないのか?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
もちろん返答はイエスだった。
というわけで俺は、絡んできた下っ端のうち、鋲のついた革ジャン野郎と対峙していた。
周囲には似たような世紀末ファッションの仲間と、彼らが連れている犬。
そしてへんなゴーグルをつけたヤツらが輪になって取り囲んでいる。
人垣のリングは、まさにファイトクラブ状態。
俺の足元には、やる気じゅうぶんのリコリヌ。
背後にはあばれるちゃんと、モフモーフとりんご。
俺は首を捻ってふたりに話しかけた。
「悪いな、巻き込んじまって」
「ほんとだよっ、バカセージっ! 本当に見境いなく、喧嘩をバンバン売って……!」
「俺が売らなかったら、2秒後にお前が売ってそうだったからな」
「そんなことないっ!」と片足で地団駄を踏むあばれるちゃん。
モフモーフはうつむいたまま、なおも唸っているりんごを撫でていた。
「……どうして……戦うの……?」
そのつぶやきは、俺に向けられたものだろうと思ったので答える。
「『拳闘犬部』のヤツらが連れてる犬を見て、我慢できなくなったんだよ」
「……?」
伏せた赤ずきんが、少しだけ持ち上がる。
「ヤツらの犬を見てみろよ、不潔で毛もボロボロだ。おそらく四六時中、口輪を嵌められているから毛繕いもできないんだろう。ケガをしてるのもいるのにほったらかしだ。ヤツらにとって犬は相棒どころかペットでもねぇ、完全に使い捨ての奴隷だ。それなのに『拳闘犬』だなんて、犬をパートナーぶった扱いにしているのが許せなかったのさ」
「……!」
クッと持ち上がった顔の下には、持ち上がった瞼。
その下にあるガラスのような眼で、俺を見据えるモフモーフ。
彼女の表情は相変わらず無機質ではあったが、いつもとは違う驚きのようなものを感じさせた。
「……でも……リコリヌ……まだ……仔犬……」
「そうだな。でもコイツも我慢できないんだろうな。俺と同じで身体はちっちゃいのに、負けん気だけは人一倍……いや、犬一倍だ。だったら、やるしかないだろう?」
「……でも……相手は……」
「生徒会役員がバックに付いてるっていうんだろ? でもそんなくだらねぇしがらみに、俺とリコリヌは縛られない。それに安心しろ、たとえどんな結果になったとしても、お前らには手を出させない。この俺が絶対にな」
「か、かっこ……い……!」
そう漏らしたのは、なぜか頬を染めているあばれるちゃんだった。
しかし俺と目が合うと、むくれたような赤みをカッと浮かべ、
「い……いいわけないだろっ! おいバカセージっ! やる以上、負けるのは許さないぞっ! もし負けたら、ボクがボクボクにしてやるからなっ!」
「そりゃ、泣きっ面にスズメバチだな。そうならないように努力するよ」
俺はそこで話を打ち切ると、正面に向き直る。
咥えていたコーンパイプの位置を直すと、
「じゃあ、いきますか……!」
相棒とともに、戦いの一歩を踏み出した。
「らうんど、わぁーんっ! ふぁいっ!」
ふざけた様子で、パパラッチのひとりが叫ぶ。
するとリングサイドに寄りかかるように立っていた、対戦相手の下っ端野郎が軽やかなステップで飛び出してくる。
えーっと、これから戦りあうのは……。
たしか『拳闘犬』だったよな。
字面からするに、『闘犬』と『拳闘』がミックスされた格闘技なんだろう。
下っ端の構えもボクシングっぽい。
ボクシングと仮定すると、立ち技オンリーで、足技はナシってことになるな。
まぁとりあえず、いつものアレをするか。
俺は拳で挨拶をするべく、『風神流武闘術』の構えをとる。
そして、足元に向かってささやきかけた。
「おいリコリヌ、コツを掴むまで、犬のほうを抑えててくれるか? なるべくケガさせないようにな」
「キャンッ!」
「ひゃははははははは! しねぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーー!」
「ワオォォォォォォォォォォオォォォォォォォォーーーーーーーンッ!」
俺めがけて、蛮声と吠え声の二重奏が襲い来る。
なるほど、犬とタイミングをあわせて同時に攻撃するってわけか……!
しかし俺は足元には注意を払わない。
背中すらも預けられる相棒がいるからな。
頭上から降ってくる拳は、ボクシングとも呼べない大根パンチ。
今の俺なら、目を閉じていてもかわせる……!
前世での知識である、見よう見まねのダッキング。
開店ガラガラのような、相手の懐に潜り込むと、
……ズドォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーンッ!!
渾身のボディブローを叩きこんだ。
すると拳闘犬のイロハが拳を通じて、吸血するように腕の中をめぐり、胸からせりあがってきて……。
アドレナリンのごとくドバドバと、脳内に広がった……!




