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賢者の胆石  作者: 佐藤謙羊
第2章
81/119

20 まったく新しい格闘技

「おい待て、逃げるのか?」



 俺の一言に、モフモーフの動きが止まる。



「ここまでナメられてるってのに、お前はシッポを巻くのか?」



 しかしいくら焚きつけてみたところで、ヤツは燃え上がることはなかった。

 湿気たマッチのような頭を、ふるふると振るばかり。



「……犬……戦う……だめ……人間の……ために……」



 ああ、そういうことか。

 コイツは人間の都合で、犬同士が傷つけあうのを見るのが嫌なんだろう。



「でもお前さんの相棒は、そうは思ってないみたいだぞ」



 彼女の足元にいるりんごは、ゴーサインが出れば今すぐにでもおっぱじめそうなくらい、ウーウー唸っている。



「ご主人サマがナメられてるのが我慢できないんだろ。相棒はこんなにやる気だっていうのに、お前ときたら……」



 しかし最後まで、モフモーフがやる気を出すことはなかった。

 頑なに「……だめ……帰ろう……」と、りんごをなだめ、引きずって連れ帰ろうとする。



「おいっ、逃さねえぞ! 俺と勝負しやがれ!」



 下っ端コンビが追いかけようとしていたので、俺はとっさに野郎どもを手で押しとどめた。



「……まぁ、待てよ。やる気のないヤツとやってもしょうがないだろ? えーっとたしか、『拳闘犬(けんとうけん)』だったよな? 俺がかわりに相手してやるよ」



 モフモーフに向かっていたゴーグル男は、俺の一言に「はぁ~?」と振り返った。

 ターゲットを俺に移したのか、挑発的に舌を出しながら戻ってくる。



「おいおいおいおい! 『拳闘犬(けんとうけん)』ってのは、人間と犬がペアになって戦う、まったく新しい格闘技なの! 犬がいなきゃ成り立たないんだよ! そこんとこわかってるぅ?」



 こめかみのあたりで指をクルクルやって、「頭おかしいの?」とジェスチャーを取る。


 ……コイツらのやり方が、だんだんわかってきたような気がする。

 わざと挑戦的な態度と言動で『撮られる側』を煽って、ヤツらなりの『ベストショット』を引きだそうとしているんだろう。


 写真ってのは音声が入らないし、『撮られる側』しか存在しない。

 瞬間しか切り取らないから、その表情に至るまでの経緯なんて、いくらでもデッチあげられる。


 もしここで俺が、ヤツに殴りかかりでもしたら……。

 その様を撮って、一方的な暴力として書き立てるつもりだったんだろうな。


 まったく、俺が今いるのは、前世とはぜんぜん違う世界だってのに……。

 新聞(ブン)屋のやってることだけは、たいして変わらないだなんてな……。


 でもそんなのは前世で慣れっこなので、安い挑発に乗る俺じゃない。

 「犬ならいるさ、ここにな」と、コートを開いて内ポケットを見せてやった。


 すると、そこには……。

 ポケットの縁に前足をかけて、ちょこんと顔だけ出した犬のリコリヌが。


 りんごと同じくらいやる気じゅうぶんに、ぐるるると唸りまくっていた。


 といっても拍子抜けするくらい可愛らしかったので、下っ端コンビは同時に破顔する。



「ぎゃっはっはっはっはっ! そんなちびっこい犬で、俺とやろうってのかよ!」



「やっぱりコイツ、頭おかしい! あっはっはっはっはっはっ!」



「……やっぱりお前らは、お似合いのコンビだな」



 俺の言葉に、「「は?」」口を揃える下っ端コンビ。



「自分自身は手を汚さず、犬にやらせて……。自分自身は写ることなく、都合のいい瞬間だけを切り取る……。それで甘い汁だけを吸おうとするなんて、まさにノミとダニのコンビだな」



「「なんだと、テメェっ!?」」



「まあそうカッカするなって。普段は人をさんざん煽ってるくせに、煽られるのには慣れてないんだな。で、どうするんだ? 俺とやるのか、やらないのか?」



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 もちろん返答はイエスだった。

 というわけで俺は、絡んできた下っ端のうち、鋲のついた革ジャン野郎と対峙していた。


 周囲には似たような世紀末ファッションの仲間と、彼らが連れている犬。

 そしてへんなゴーグルをつけたヤツらが輪になって取り囲んでいる。


 人垣のリングは、まさにファイトクラブ状態。


 俺の足元には、やる気じゅうぶんのリコリヌ。

 背後にはあばれるちゃんと、モフモーフとりんご。


 俺は首を捻ってふたりに話しかけた。



「悪いな、巻き込んじまって」



「ほんとだよっ、バカセージっ! 本当に見境いなく、喧嘩をバンバン売って……!」



「俺が売らなかったら、2秒後にお前が売ってそうだったからな」



 「そんなことないっ!」と片足で地団駄を踏むあばれるちゃん。

 モフモーフはうつむいたまま、なおも唸っているりんごを撫でていた。



「……どうして……戦うの……?」



 そのつぶやきは、俺に向けられたものだろうと思ったので答える。



「『拳闘犬(けんとうけん)部』のヤツらが連れてる犬を見て、我慢できなくなったんだよ」



「……?」



 伏せた赤ずきんが、少しだけ持ち上がる。



「ヤツらの犬を見てみろよ、不潔で毛もボロボロだ。おそらく四六時中、口輪を嵌められているから毛繕いもできないんだろう。ケガをしてるのもいるのにほったらかしだ。ヤツらにとって犬は相棒どころかペットでもねぇ、完全に使い捨ての奴隷だ。それなのに『拳闘犬(けんとうけん)』だなんて、犬をパートナーぶった扱いにしているのが許せなかったのさ」



「……!」



 クッと持ち上がった顔の下には、持ち上がった瞼。

 その下にあるガラスのような眼で、俺を見据えるモフモーフ。


 彼女の表情は相変わらず無機質ではあったが、いつもとは違う驚きのようなものを感じさせた。



「……でも……リコリヌ……まだ……仔犬……」



「そうだな。でもコイツも我慢できないんだろうな。俺と同じで身体はちっちゃいのに、負けん気だけは人一倍……いや、犬一倍だ。だったら、やるしかないだろう?」



「……でも……相手は……」



「生徒会役員がバックに付いてるっていうんだろ? でもそんなくだらねぇしがらみに、俺とリコリヌは縛られない。それに安心しろ、たとえどんな結果になったとしても、お前らには手を出させない。この俺が絶対にな」



「か、かっこ……い……!」



 そう漏らしたのは、なぜか頬を染めているあばれるちゃんだった。

 しかし俺と目が合うと、むくれたような赤みをカッと浮かべ、



「い……いいわけないだろっ! おいバカセージっ! やる以上、負けるのは許さないぞっ! もし負けたら、ボクがボクボクにしてやるからなっ!」



「そりゃ、泣きっ面にスズメバチだな。そうならないように努力するよ」



 俺はそこで話を打ち切ると、正面に向き直る。

 咥えていたコーンパイプの位置を直すと、



「じゃあ、いきますか……!」



 相棒とともに、戦いの一歩を踏み出した。



「らうんど、わぁーんっ! ふぁいっ!」



 ふざけた様子で、パパラッチのひとりが叫ぶ。

 するとリングサイドに寄りかかるように立っていた、対戦相手の下っ端野郎が軽やかなステップで飛び出してくる。


 えーっと、これから()りあうのは……。

 たしか『拳闘犬(けんとうけん)』だったよな。


 字面からするに、『闘犬(とうけん)』と『拳闘(けんとう)』がミックスされた格闘技なんだろう。

 下っ端の構えもボクシングっぽい。


 ボクシングと仮定すると、立ち技オンリーで、足技はナシってことになるな。

 まぁとりあえず、いつものアレ(●●)をするか。


 俺は拳で挨拶をするべく、『風神流武闘術』の構えをとる。

 そして、足元に向かってささやきかけた。



「おいリコリヌ、コツ(●●)を掴むまで、犬のほうを抑えててくれるか? なるべくケガさせないようにな」



「キャンッ!」



「ひゃははははははは! しねぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーー!」



「ワオォォォォォォォォォォオォォォォォォォォーーーーーーーンッ!」



 俺めがけて、蛮声と吠え声の二重奏が襲い来る。


 なるほど、犬とタイミングをあわせて同時に攻撃するってわけか……!


 しかし俺は足元には注意を払わない。

 背中すらも預けられる相棒がいるからな。


 頭上から降ってくる拳は、ボクシングとも呼べない大根パンチ。

 今の俺なら、目を閉じていてもかわせる……!


 前世での知識である、見よう見まねのダッキング。

 開店ガラガラのような、相手の懐に潜り込むと、



 ……ズドォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーンッ!!



 渾身のボディブローを叩きこんだ。


 すると拳闘犬(けんとうけん)のイロハが拳を通じて、吸血するように腕の中をめぐり、胸からせりあがってきて……。

 アドレナリンのごとくドバドバと、脳内に広がった……!

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