09 もふもふりんご
俺は謎の少女から、浮き上がりざまのフライングボディプレイをくらい、再び水中に沈められてしまう。
どっ……ぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!!
そして例によって、俺の唇には、
ぷっ……にゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーんっ!!
という擬音が相応しい触感が、羽毛のような圧力とともに生まれていた。
その感覚にも、そして脳が弾けて視界が明滅する感覚にも、もう慣れてきた気がする。
今世ではじめての……いや、前世をあわせても初めての水中キッスは、リンゴの味がした。
アクロバティックという意味では、あばれるちゃんの時と似たようなものか。
しかし……空中だけでなく、とうとう水中でもしちゃったよ。
あとは地中とか火中とか、そんなのしか残ってないんじゃないか?
そんなどうでもいいことを考えられるくらい、謎の少女は硬直していた。
彼女はおそらく、湖に先客なんていないと思って、ロクに確認せずに飛び込んできたのであろう。
ショックのあまり思考が追いついていないのか、両手を広げたまま、両目をカッと見開いていた。
そして俺のほうはというと、こんなことは初めてではなかったので、だいぶ余裕がある。
お互い、生まれたままの姿で密着していたので、身体の隆起までもを感じとっていた。
……ずいぶん、ぺったんこだなぁ~。
なんて思っていると、相手はようやく考えがまとまったのか、
……どんっ!
と両手で突き飛ばしてきた。
立て続けにドルフィンターンで、
……がすっ、がすっ!
と人の身体をさらに水底へと蹴りやって、自分だけさっさとあがっていく。
俺は胸と腹に理不尽な連続攻撃をくらい、空気を大量に吐き出してしまった。
苦しかったのと、いい加減頭にきたので、小さなお尻を追ってふたたび水中から這い出す。
狼藉少女は振り返りもせずに、岸に戻っているところだった。
「ぷはあっ! おい、待てよ! 人にぶつかっといて、突き飛ばして蹴って……! なにもなしかよ!」
背中から怒鳴りつけてやると、少女は抱いた細い肩をピクンと震わせていた。
グレーのおかっぱ頭から、雫を垂らしながら振り返ると、俺をキッと睨み返す。
「……りんゴーッ!」
彼女が妙なアクセントで叫ぶと、かぶるほどの勢いで茂みを破り、オオカミが飛び出してきた。
……コイツもしかして、調教師かっ!?
テイマーというのは、動物を飼い慣らし、戦闘に使役するという冒険者の職業のひとつだ。
この学園では剣術や魔術という基本的な学科のほかに、調教術などの特殊科目もある。
しかし動物を戦闘用に訓練するというのは、かなりの時間と労力、そして根気と技術を必要とする。
しかもペット動物ならともかく、オオカミのような野生動物を、ここまで馴らすとは……。
コイツは、かなりの凄腕の調教師だ……!
少女の相棒であろうオオカミは、毛皮のコートみたいに立派な毛並みを持ち、かなりデカい。
ちょっとした虎ぐらいあるじゃないか。
そんな灰色の肉食ハンターは、琥珀のような瞳で俺を見据え、前屈みのポーズでグルルと唸っている。
完全に、獲物に襲いかかるときのポーズだ。
こんなに飛びかかられたら、ひとたまりもない……!
俺は焦った。
今は水中にいるから、よけるのも難しいだろう。
それにいくら2周目の人生だからって、犬のエサになって死ぬのはごめんだ。
「おいっ、ちょっと待て! ぶつかってきたのはそっちのクセに、なに逆ギレして……! わあっ!?」
問答無用とばかりに、地を蹴るオオカミ。
大口をぐわあっと開け、鋭い牙をこれでもかと剥きながら……。
ご主人サマと同じように、俺の身体にのしかかってきて……。
どっ……ぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!!
俺はふたたび、水中に沈められてしまった。
首筋に当たる牙の感触に、ああ、ヤラレタ……と負の感情がおこる。
頸動脈を食いちぎられたら、いくら『賢者の石』を持っていても、助からないかもしれないな。
こうなったら、最後の力を振り絞って……。
いよいよの覚悟をしていたら、俺の身体はひょいと持ちあがり、
ざばあっ……!
と岸にあげられる。
俺はまるで仔犬のように、オオカミに首筋を咥えられていた。
どうやら殺そうとしていたわけではなく、助けてくれたらしい。
オオカミは俺の身体をゆっくりと地面におろすと、キュンキュン鳴きながら、噛んでいたところを舐めてくれた。
まるで、「大丈夫? ごめんね、痛くなかった?」と気遣うように。
俺たちが急に親子のように仲睦まじくなったので、少女は裸身を隠すのも忘れてポカーンとしていた。
「なぜ……? 『りんご』……自分以外……懐く……ありえない」
このオオカミは『りんご』ってのか。
見た目のわりに可愛らしい名前だな。
りんごは先ほどまでの態度とはうってかわって、飼い主にするように俺の顔をペロペロなめ回す。
「お、おい、やめろって! もう大丈夫だから! くすぐったいって! ははっ!」
じゃれあう俺たちを見て、少女はさらに衝撃を受けていた。
「なぜ……なぜ……? りんご……初めて会った……人間……こんなに懐く……ありえない……」
まるでNTR現場を目撃した亭主のように、ヒザから崩れ落ち、ワナワナと震えている。
……俺はなんとなくだが、タネがわかったような気がした。
少女とキスしたときに、『賢者の石』の力によって、俺に調教術の能力が備わったんだ。
そしてりんごは、最初は敵意剥き出しだったが……。
俺にとびかかった時に、ご主人サマと同じ匂いを感じとったんだろう。
少女とのキスは不本意な事故だったが、ソレがなかったら俺は、いまごろ湖面を血に染めていたかもしれない。
まぁ……なんにしても助かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……モフモーフ」
服を着終えた少女は、まだ納得がいっていない様子で、自らの名を名乗った。
モフモーフは童話から飛び出してきたみたいな、赤い頭巾がチャームポイント。
しかし、灰色の髪と瞳を覆い隠すように目深に被っているせいで、少し不気味。
本来は瞳もパッチリ大きいはずなのに、半分シャッターを降ろした商店のような、やる気のなさそうな半眼。
しかも、いつも俯き加減なのが、愛想のなさに拍車をかけている。
服装も、まさに赤ずきんちゃんといったカンジなんだが、表情は朴訥というか、むしろ素っ気ない。
せっかくの可愛らしさを自ら台無しにしているという、残念スタイルだった。
しかし今の俺は、人のことは言えない。
なにせ服はぜんぶ新居に置いてきてしまったので、無防備の局地にいるんだ。
「じゃあモフモーフ、俺は家に帰るからな。今まではこの湖は、お前さんの貸し切りだったかもしれないが、俺も使わせてもらうことにしたから。次からはちゃんと先客がいないか確認するんだぞ、いいな?」
俺は噛んで含めるように言ったが、彼女は視線をそらしたままだった。
決して目を合わせようとしないのは、俺の股間を直視したくないからだろう……そう思うことにする。
まーいっか。
とりあえず家に帰ろう。
そろそろ晩飯の用意しなくちゃならないからな。
なんて思いながら歩いていると、背後に変わらぬ気配を感じる。
振り返ると、同じ距離を保ったまま、モフモーフとりんごがそこにいた。
「なんだよ、まだなにか用か?」
と尋ねたところで、ひとりと1匹は答えない。
ひとりはそっぽを向いたまま、1匹は俺をガン見したまま、シッポをパタパタ振っている。
結局そのまま、家にまで着いてきてしまった。




