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賢者の胆石  作者: 佐藤謙羊
第2章
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09 もふもふりんご

 俺は謎の少女から、浮き上がりざまのフライングボディプレイをくらい、再び水中に沈められてしまう。



 どっ……ぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!!



 そして例によって、俺の唇には、



 ぷっ……にゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーんっ!!



 という擬音が相応しい触感が、羽毛のような圧力とともに生まれていた。

 その感覚にも、そして脳が弾けて視界が明滅する感覚にも、もう慣れてきた気がする。


 今世ではじめての……いや、前世をあわせても初めての水中キッスは、リンゴの味がした。

 アクロバティックという意味では、あばれるちゃんの時と似たようなものか。


 しかし……空中だけでなく、とうとう水中でもしちゃったよ。

 あとは地中とか火中とか、そんなのしか残ってないんじゃないか?


 そんなどうでもいいことを考えられるくらい、謎の少女は硬直していた。


 彼女はおそらく、湖に先客なんていないと思って、ロクに確認せずに飛び込んできたのであろう。

 ショックのあまり思考が追いついていないのか、両手を広げたまま、両目をカッと見開いていた。


 そして俺のほうはというと、こんなことは初めてではなかったので、だいぶ余裕がある。

 お互い、生まれたままの姿で密着していたので、身体の隆起までもを感じとっていた。


 ……ずいぶん、ぺったんこだなぁ~。


 なんて思っていると、相手はようやく考えがまとまったのか、



 ……どんっ!



 と両手で突き飛ばしてきた。

 立て続けにドルフィンターンで、



 ……がすっ、がすっ!



 と人の身体をさらに水底へと蹴りやって、自分だけさっさとあがっていく。


 俺は胸と腹に理不尽な連続攻撃をくらい、空気を大量に吐き出してしまった。

 苦しかったのと、いい加減頭にきたので、小さなお尻を追ってふたたび水中から這い出す。


 狼藉少女は振り返りもせずに、岸に戻っているところだった。



「ぷはあっ! おい、待てよ! 人にぶつかっといて、突き飛ばして蹴って……! なにもなしかよ!」



 背中から怒鳴りつけてやると、少女は抱いた細い肩をピクンと震わせていた。

 グレーのおかっぱ頭から、雫を垂らしながら振り返ると、俺をキッと睨み返す。



「……りんゴーッ!」



 彼女が妙なアクセントで叫ぶと、かぶるほどの勢いで茂みを破り、オオカミが飛び出してきた。


 ……コイツもしかして、調教師(テイマー)かっ!?


 テイマーというのは、動物を飼い慣らし、戦闘に使役するという冒険者の職業のひとつだ。

 この学園では剣術や魔術という基本的な学科のほかに、調教術(テイミング)などの特殊科目もある。


 しかし動物を戦闘用に訓練するというのは、かなりの時間と労力、そして根気と技術を必要とする。

 しかもペット動物ならともかく、オオカミのような野生動物を、ここまで馴らすとは……。


 コイツは、かなりの凄腕の調教師(テイマー)だ……!


 少女の相棒であろうオオカミは、毛皮のコートみたいに立派な毛並みを持ち、かなりデカい。

 ちょっとした虎ぐらいあるじゃないか。


 そんな灰色の肉食ハンターは、琥珀のような瞳で俺を見据え、前屈みのポーズでグルルと唸っている。

 完全に、獲物に襲いかかるときのポーズだ。


 こんなに飛びかかられたら、ひとたまりもない……!


 俺は焦った。


 今は水中にいるから、よけるのも難しいだろう。

 それにいくら2周目の人生だからって、犬のエサになって死ぬのはごめんだ。



「おいっ、ちょっと待て! ぶつかってきたのはそっちのクセに、なに逆ギレして……! わあっ!?」



 問答無用とばかりに、地を蹴るオオカミ。


 大口をぐわあっと開け、鋭い牙をこれでもかと剥きながら……。

 ご主人サマと同じように、俺の身体にのしかかってきて……。



 どっ……ぱぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーんっ!!



 俺はふたたび、水中に沈められてしまった。


 首筋に当たる牙の感触に、ああ、ヤラレタ……と負の感情がおこる。


 頸動脈を食いちぎられたら、いくら『賢者の石』を持っていても、助からないかもしれないな。

 こうなったら、最後の力を振り絞って……。


 いよいよの覚悟をしていたら、俺の身体はひょいと持ちあがり、



 ざばあっ……!



 と岸にあげられる。


 俺はまるで仔犬のように、オオカミに首筋を咥えられていた。

 どうやら殺そうとしていたわけではなく、助けてくれたらしい。


 オオカミは俺の身体をゆっくりと地面におろすと、キュンキュン鳴きながら、噛んでいたところを舐めてくれた。

 まるで、「大丈夫? ごめんね、痛くなかった?」と気遣うように。


 俺たちが急に親子のように仲睦まじくなったので、少女は裸身を隠すのも忘れてポカーンとしていた。



「なぜ……? 『りんご』……自分以外……懐く……ありえない」



 このオオカミは『りんご』ってのか。

 見た目のわりに可愛らしい名前だな。


 りんごは先ほどまでの態度とはうってかわって、飼い主にするように俺の顔をペロペロなめ回す。



「お、おい、やめろって! もう大丈夫だから! くすぐったいって! ははっ!」



 じゃれあう俺たちを見て、少女はさらに衝撃を受けていた。



「なぜ……なぜ……? りんご……初めて会った……人間……こんなに懐く……ありえない……」



 まるでNTR現場を目撃した亭主のように、ヒザから崩れ落ち、ワナワナと震えている。


 ……俺はなんとなくだが、タネがわかったような気がした。


 少女とキスしたときに、『賢者の石』の力によって、俺に調教術(テイミング)の能力が備わったんだ。


 そしてりんごは、最初は敵意剥き出しだったが……。

 俺にとびかかった時に、ご主人サマと同じ匂いを感じとったんだろう。


 少女とのキスは不本意な事故だったが、ソレがなかったら俺は、いまごろ湖面を血に染めていたかもしれない。


 まぁ……なんにしても助かった。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



「……モフモーフ」



 服を着終えた少女は、まだ納得がいっていない様子で、自らの名を名乗った。


 モフモーフは童話から飛び出してきたみたいな、赤い頭巾がチャームポイント。

 しかし、灰色の髪と瞳を覆い隠すように目深に被っているせいで、少し不気味。


 本来は瞳もパッチリ大きいはずなのに、半分シャッターを降ろした商店のような、やる気のなさそうな半眼。

 しかも、いつも俯き加減なのが、愛想のなさに拍車をかけている。


 服装も、まさに赤ずきんちゃんといったカンジなんだが、表情は朴訥というか、むしろ素っ気ない。

 せっかくの可愛らしさを自ら台無しにしているという、残念スタイルだった。


 しかし今の俺は、人のことは言えない。

 なにせ服はぜんぶ新居に置いてきてしまったので、無防備の局地にいるんだ。



「じゃあモフモーフ、俺は家に帰るからな。今まではこの湖は、お前さんの貸し切りだったかもしれないが、俺も使わせてもらうことにしたから。次からはちゃんと先客がいないか確認するんだぞ、いいな?」



 俺は噛んで含めるように言ったが、彼女は視線をそらしたままだった。

 決して目を合わせようとしないのは、俺の股間を直視したくないからだろう……そう思うことにする。


 まーいっか。

 とりあえず家に帰ろう。


 そろそろ晩飯の用意しなくちゃならないからな。

 なんて思いながら歩いていると、背後に変わらぬ気配を感じる。


 振り返ると、同じ距離を保ったまま、モフモーフとりんごがそこにいた。



「なんだよ、まだなにか用か?」



 と尋ねたところで、ひとりと1匹は答えない。

 ひとりはそっぽを向いたまま、1匹は俺をガン見したまま、シッポをパタパタ振っている。


 結局そのまま、家にまで着いてきてしまった。

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