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賢者の胆石  作者: 佐藤謙羊
第1章
48/119

48 アイドルスキャンダル

 水の妖精2体を身体に取り込んだシトロンベルは、俺に熱いベーゼをかましたあと、そのまま気を失ってしまった。

 その日はチャン兄妹が、彼女を保健室まで運んでお開きとなったんだが……。


 次の日の朝、俺がログハウスから出ると、



「ありがとうでごわすぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーっ!!!」



 肉襦袢のような脂肪の塊がフライングボディプレスしてきたので、俺は素早くかわした。

 べちょっ、と床に落ちたソフトクリームのようになったのは……昨日俺が、教育的指導をしてやったズングリムックだった。



「なんだ、もしかしてお礼参りか?」



 ヤツは俺の足にすがりついて、おいおい泣きはじめる。

 俺の張り手の跡が鮮明に残った顔を、醜く歪めながら。



「違うでごわす! お礼を言いに来たでごわす! 昨日おんしに貰った石鹸……すごいでごわす! おいどんの体臭が、嘘みたいに抑えられて……!」



「そういえば昨日に比べたら臭くないな」



「そうでごわす! 今朝、ここに来る途中も……女性(にょしょう)にすれ違っても、避けられなかったでごわす! こんな事、生まれて初めてでごわす!」



「そうか、よかったな」



「クラスメイトはもちろん、母親にまで嫌な顔をされ……! おいどんが生まれた時から十何年も、本当に悩み、苦しんできたでごわすっ! その苦悩を、たった1日で取り除くとは……! セージっ! おんしは本当に、本当にっ……とんでもない男子(おのこ)でごわすっ! 鼻クソだなんて言って悪かったでごわすっ! うおおおおおーーーーーーんっ!!」



「わかったから離せよ。これ以上まとわりつかれたら、朝から胸焼けしそうだ」



「いやっ、この感謝の気持ちが伝わるまで、決して離さないでごわすっ! セージっ、セージっ! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーんっ!!」



「やっほー、来たよ、セージちゃん」



 洗い立ての髪を風になびかせ、爽香を振りまきながらシトロンベルが現れる。

 俺は熊に襲われている真っ最中だったので、近くに来るまで気付かなかった。


 お嬢様は昨日あんなに乱れていたというのに、まるでそれが幻であったかのように楚々としている。



「あっ、ズングリムック先輩、おはようございます」



 ペコリと頭を下げた先には、気取った様子で木にもたれかかるズングリムックが。

 いつの間に移動したんだ。



「ああ、シトロンベルさん、良い朝でごわすな!」



 こちらもさっきまでの泣きつきっぷりが幻であるかのように、暑苦しい顔に精一杯の爽やか笑顔を浮かべていた。



「どうした幕下。拾い食いでもしたのか?」



 ズングリムックは俺には笑顔ではなく、鬼瓦のような厳しい顔を向けてくる。



「幕下ではないでごわす! おいどんは相撲部(そうぼくぶ)副キャプテンにして、大関でごわす! 世界最強の格闘技といわれる『相撲(そうぼく)』でのナンバー2! いわばこの学園で2番目に強い男でごわす!」



 怒鳴りながら、チラチラ横目でシトロンベルの様子を伺っている。

 それで俺は気付いた。


 ははぁ……。

 さてはコイツ、色気づいたな……!


 いままではコンプレックスのせいで、女に避けられ続けていたから、恋愛どころではなかったんだろう。

 でもその障壁が、ついに取り除かれたから……相撲(そうぼく)で押さえつけていた女への憧れが、一気に溢れ出したんだろう。


 でも、まーいっか。

 俺にとっては、山で暮らしてる熊の発情期が来たのと同じくらいどうでもいいことだ。


 熊の独演は続く。



「本来であれば、おんしのその幕下発言は、おいどんに対する挑戦だと受け取るでごわすが……。おんしには借りがあるでごわす! 今日はその礼をしに来ただけでごわす! しかし次に会うことがあれば……今度こそ、本気の立ち会いでごわすっ!!」



 最後にビシイッ! と俺を指さし、のっしのっしと去って行くズングリムック。

 俺とシトロンベルは、ポカーンとその背中を見送った。



「……セージちゃん、ズングリムック先輩と、朝から何してたの?」



「さぁな、俺が聞きたいくらいだ。……ところで、身体のほうはもういいのか?」



 俺が話題を変えると、お嬢様は弾ける笑顔でガッツポーズをとる。



「うん、もうバッチリ! 変な夢は見ちゃったけど!」



「変な夢?」



「それがね、おかしいの! セージちゃんが『天地の塔』で妖精を4体も捕まえて、そのうち2体を私にくれるの! 妖精なんて普通は1体捕まえるのも大変なのに、4体もいっぺんにだよ!? しかもそのうちの2体は捕まえるどころか、セージちゃんの肩に乗ってたの! それにセージちゃん、妖精に命令してたんだよ!? 妖精に言うことを聞かせるだなんて、精霊大師(エレメンタルマスター)でもやっとのことなのに! ねっ、おかしいでしょ!? おかしいよね、あははっ!」



 一気にまくしたてるお嬢様は、しきりに俺に賛同を求めてくる。


 ……コイツ……!

 昨日あったことを、夢だと思ってる……?


 いや、夢だと思い込もうとしてる……!?


 きっと昨日、俺を抱きすくめてディープキスをしたのを、信じたくないんだろう。

 まぁ、あんなに大勢に見られたんだから、無理もないか……。


 シトロンベルもその時のことを思い出しているのか、顔が真っ赤っかだ。

 「夢だと言って!」と目で訴えかけてきている。


 もし否定したら、大爆発してしまいそうな迫力があったので……。

 俺はお茶を濁す。



「まあ……そうかもな」



 しかしその気遣いも、ほんの一時の気休めにしかならなかった。


 それから、ふたりして天地の塔に向かったのだが、通りがかった掲示板……。

 そこには、今朝刷り上がったばかりの新しい学園新聞が、ちょうど貼り出されようとしていて、人だかりができていた。


 俺たちも何の気なしに立ち寄って、チラ見してみたところ……。



『学園のアイドル、シトロンベル! 天地の塔で、無宿生(ノーラン)と熱烈公開キッス!』



『シトロンベルと無宿生(ノーラン)は、すでにパートナー以上の関係!?』



『大好きセージちゃん! もう離さない! これは公開プロポーズ!?』



 どの新聞も、昨日の狂宴を一面どころか、全面でデカデカと扱っていた。


 しかも、鮮明な写真つき。

 たぶん、妖精騒ぎをしていた生徒の中に新聞部員がいて、激写したんだろう。


 紅色に染まった恍惚の表情で、タコのように俺の唇に吸い付く、お嬢様の痴態が……。

 これでもかと、ドアップで……。


 生徒たちの衆目に、晒されていたのだ……!


 お嬢様の現実逃避は、わずかなひと時で、終わりを告げ……。

 そしてとうとう、爆発してしまった。



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」



 ばびゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーんっ!!



 人だかりが振り向いた時には、シトロンベルは撃ち出された銃弾のようにカッ飛んでいて……。

 尾を引くような悲鳴とともに、どこかに走り去っているところだった。

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