星降る夜に
拙い文章ですが、暇潰しにでもどうぞ~
ある夜、星が降った。
濃紺の天鵞絨が覆う空を、光芒が奔る。
一つ、二つ。三つ、五つ、そして無数に尾を引いて流れていく。
黒いキャンバスに色をのせるように。
真っ暗な空が、光に彩られる。埋め尽くされる。
散りばめられた光が煌めく。
とても美しい、儚い、夜のこと。
死を願う少女と、世界から逸れた奇妙な一座。
遠く、遠く離れ、交わることが無い筈の二つの世界で、その日彼等は同じ光を見ていた。
『…本日は晴天です。夜には、流星群を見ることが出来るでしょう』
(…流星群…)
何時もなら興味すら持たずに聞き流していた、朝のニュース番組から流れた音声に、テレビへと目を向けた。
『この規模の流星群はなんと80年振りで…』
きちんとメイクして、ベージュのスーツを着た女性キャスターが喋る後ろに、画像が映っている。
何年か前の流星群の映像だ。
別に、星が好きな訳では無い。特にどうということも無かったが、唯眺めていた。
不意にかたん、と音がする。
父だとわかっていたが、そちらに目を向けること無く手元に戻し、カップに口を付けた。
父は無言のままリビングに入って来て、何も食べないで出て行った。黒いスーツに、何時もきっちり締めたネクタイ。また今日も、母が贈った“あの”ネクタイをしているのだろう。
飲み終えたカップを洗い、水気を拭き取って棚に直す。
隣の椅子に置いていた鞄を持つと、伏せられた写真立てに手を伸ばした。其は、柔く微笑む母の写真。
「……じゃあね、母さん」
誰も居ない部屋にぽつりと、落とした声は滲んで溶けた。
登校し、自分のクラスに入る。
席に着くまでも、席に着いてからも、話し掛けてくる人間は誰も居ない。無論、此方から話し掛けることも無い。
素行不良な訳でも無いから、一人でいようと特に言われることも無い。
始まった授業担当の教師の話を聞きつつ、視線を外へ移す。
(…なんて、退屈なんだろう)
晴れない内面とは裏腹に、灰色のフレームの外の空は憎たらしい程に蒼く澄み渡っていた。
今日も一日が過ぎて、夕暮れの道を歩く。
よく晴れていたからか、夕焼けの橙に染まる景色は何だか普段よりも綺麗に見えた。
マンションの中に入って、誰も居ない部屋のドアを開ける。
父は遅くまで仕事をするだろうから、きっと帰宅は深夜になる。
…母が亡くなってから、ずっとそう。
母が死んだのは六年前、冬の寒い日だった。
ひらひらと、小さな花弁のような雪が舞う、そんな日だった。
明るく元気だった母は、その一年前に癌が発見され、入院してから、少し痩せた。
性格はちっとも変わらなかった。
『だーいじょうぶ!すぐに治るわ。だって、お医者様が頑張ってくださってるもの。また美味しい料理作ってあげるから、安心なさいな』
そう言って笑っていた母だけど、容態は芳しくなかった。寧ろ、徐々に病は母の体を蝕んでいった。
けれど、自分のことじゃなく、母はあまり家事をしない私と父の食事はどうか、とか、そんなことばかり心配していた。
ある時、母の病室の前で、小さな泣き声が聴こえた。
強いと思っていた母は、強く見えるように振る舞っていただけだと気付いた。
それはそうだ。誰だって、不安にもなるだろう。何故、気が付かなかったのか。
しかし、母が弱いところを見せたのは、その日だけだった。
何時行っても、母の泣く声を聞くことは無かった。
そして、進行した病は遂には母が起き上がることを出来なくさせた。
それでも、母は笑っていた。
夏が過ぎ、秋は暮れ、冬のある日。
不意に苦しみはじめた母は、何も出来ずベッドの傍らにいた私を呼んだ。
痛みに耐えながら手を伸ばして、私の手を握った。
『…体には、気を付けるの、ごはんも、ちゃんと、食べるの、よ?』
『母さん?何でそんなこと言うの?もうすぐ先生来るから…』
『ごめん、ねぇ…また美味しい料理、作ってあげるって、言った、のに…』
『母さん…』
『ごめん、ね…優月、あな、た…先に、待ってる、から、目一杯、遅く、いらっしゃ、い』
最後は泣き笑いみたいな顔で、私達の心配をして、母は旅立った。
父は、母の最期に間に合わなかった。
それを悔やんで、悔やんで、静かに泣いていた。
それから、父は母を喪った寂しさ、悲しさを紛らわすように仕事に打ち込むようになった。
それに比例して、家に居る時間は短くなった。
朝は今までより早く家を出て、夜は深夜になって帰宅。家は寝る為だけにあるみたいだった。
会話も減った。
元々、口数が多い訳では無かった父だけど、更に少なくなった。
家に居るのは私だけだったから、自分で食事は作る。
母が入院して自分達で作るようになっていたが、尚更以前よりも出来るようになった。
今日も夕食を作ろうと思ったが、食べる気になれないから、それも止めた。
どうせ父は家で食べることは無い。
何もやる気になれなくて、自分のベッドに潜り込んでそのまま眠りに沈んだ。
目が覚めると、もう八時を回っていた。帰宅したのは四時半過ぎだったから、三時間以上寝ていたようだ。
父は勿論、まだ帰っていない。
制服のまま眠ってしまっていたから、部屋着に着替える。
今日は何となく、能天気だった母が生前買ったワンピースみたいなものを着た。
『ふふ、優月には大きいんだけど買っちゃった♪何だったら、私が着てもいいし!でもね、優月は大きくなっても細そうだから、着られると思うの。きっと似合うわ♪』
この白い、控えめなレースや細いリボン、ドレープのワンピースはそう言った母の言葉通り、今でも問題無く着られた。
当時は私の趣味でも無かったから、クローゼットの奥に仕舞い込んでいたのだが、今朝母のことを思い出したせいか、着てみようと思ったのだ。
部屋には縦長の姿見が置いてある。
叔母が「女の子なんだから」と送って来た、それの前に立つ。
映るは、白く可愛らしい雰囲気のワンピースを着た、長い黒髪の少女。
母はきっと似合うと言ったけど、自分ではそうは思えなかった。
そのとき、鏡の中で何かが光った気がした。
それは、少し開いていたカーテンの隙間から見える夜空で光ったものだった。
(あ…流星群…)
今朝、ニュース番組で言っていたのを思い出す。
ふらりと、吸い寄せられるようにベランダに出た。
そして、空を見上げた瞬間、言葉を失った。
其れ程に、美しかった。
今まで見た、どんな景色より綺麗だと思った。
真っ暗な空に、無数の光が尾を引いて降り注ぐ。
光の雨を、見ているみたいだった。
流星は、宇宙からやって来て、発熱し光を放って、燃え尽きて消える。
其れが、こんなにも美しいとは思わなかった。
こんなふうに、消えたいと思った。
(…嗚呼、いつか死ぬなら、今日死にたい)
母が亡くなってから、“死”への願望はあった。
色々なものが変わってしまった。
父も、家の雰囲気も、恐らく私自身も。
毎日が酷く退屈で、好きじゃなくて、死にたかった。
けれど、何だか踏ん切りがつかなくて、それまで“死のう”って思えなかった。
でも。
(最期に見たのがこの景色なら、いいかもしれない)
“80年振りの規模の流星群”。
そんな美しい光で空が満ちたこの夜に、“死にたい”と思った。
父や叔母には、結局何も言わなかった。
一言、メールを打とうと思ったけど、何を言えばいいか、わからなかったから。
台を使って、ベランダの柵の上に腰掛ける。
住んでいるこの部屋はマンションの十階だ。此処から落ちれば、間違いなく死ぬことが出来る。
夜の風は、やはり昼間よりも少し冷たい。
けれど、今日死ぬと決めた自分にとっては、どうでもいいこと。
空を満たす流星群を見上げたまま、ふわりと体を前に倒す。
白いワンピースが風を孕んではためいた。
落ちていく少女の、ゆっくりと目蓋の閉じられた瞳が向かうその先で、一際美しく、優しい星々が光った。
「…え、こっち…?…あれ…誰か、倒れてる?」
『ねぇねぇ、大丈夫?怪我してないかなぁ』
「うーん…見た感じは大きな怪我、無さそうだけど」
『連れて帰る?このままにしとくの、危ないかも』
「そうだね…取り敢えず、僕達の“家”に連れて行って、団長に相談しよう」