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作者: 師走

雪の薄く積もった早朝まだ暗い時間に、ある男が歩いていると、向こうから、彼の見知った顔の女の子がやって来た。


「あら、桃太郎じゃん。元気にやってる?前より痩せたみたいだけど」

彼女は頰をかすかに動かして微笑みかける。


「アァ、うん。オラはこの通りピンピンしてるよ。赤ずきんもウォーキングかァ?」

「そうよ。日課なの」


赤ずきんは頷いた。トレードマークの頭巾は被っているものの、それだけでは流石に寒いので焦げ茶色のマフラーも着用している。


「懲りないなァ。殺されかけたってのに、まだ独りで散歩してるんだァ?」

「へへへ。今度はヘマしないって」


無邪気にすきっ歯を見せ、くるりと一回り。「もうあのオオカミいないしさ」と呟きながら。


「でもさァ、そのカッコじゃ目立つだろう?もう赤ずきんなんてみんな知ってるんだから、もっと地味な服装にしたらどうだァ?そのうちパパラッチが駆けつけてくるぞ」

「パパラッチぃ?ははははっ」


彼女は大口を開けて笑う。


「マスコミなんてね。時間が経過すればビックリするくらい波引くものよ。この頃は、とある雑誌の『現在、あの人は。』ってコーナーのインタビュワーが1回来たくらいだわ。みんな忙しくて、もう私のことなんかすっかり忘れちゃってるのね。手紙はちょくちょく届いてるみたいだけど、全部ママが引き受けてるしさ。…確かに当時はうるさかったわよ。それこそ、家から出られないくらいに報道陣が押し寄せて来てたわ。『オオカミの腹の中から奇跡の生還を遂げた女』、なんて、特集が組まれたし。あ、それに、テレビにも出たのよ」

「そうだったのかァ」

「うん。でもね、その内容はあまりに薄かったわ。凄惨な事件だと思って文字に起こしてみれば、短編くらいにしかならなかったんだから。でもね、もう二時間の番組に枠組みを決めちゃってたから、みんな慌てて誇張に誇張を掛け合わせた再現ドラマで時間を稼いでいたの。もうおっかしくて」


だが、恐ろしい事件だったのは確かだろう。なにせ、オオカミが二足歩行をして話しかけてくると言うのだ。オカルト性も十分。


「オラが鬼退治に行った時は、人件費削除のために、人の言葉を話す動物を地の果てまで探し当てて、餌付けしてやろうと努力していたもんだが、よく赤ずきんは見知らぬオオカミと普通に話したよなァ。変だとは思わなかったの」

「へへへ。私の周りは結構不思議なこと多くてさ。こーゆーこともあるんだなぁ、くらいに捉えてたんだけど」


彼女はこう言うが、桃太郎が聞いた話によると、タイミングも悪かったのだろうということだった。いくら鈍感だからと言って、赤ずきんも通常の状態ならば喋るオオカミに警戒しただろうし、着ぐるみなのだろうかと疑ったはずだ。


しかし彼女は、その時にかなり尿意を催していたらしい。

おばあさん宅へ行くということで、外出前に張り切ってガブ飲み水分補給をしたのだろうが、これが裏目に出た。(彼女はこまめに水を飲むことが極度に苦手なのだ。外に出たら倒れるまで喉の渇きやお腹の空き具合に気づかない。だから彼女の母さんは少しでも日射病になるリスクを抑えようと頭巾を手渡したのだそうだ)


それで、オオカミの「お花を摘んできなさい」という甘言に上手く乗せられて、コスモスをかき分けてションベンに適した場所を探すうち、どんどん離れていってしまったのだ。

どうせならその場ですればいいのに、そこはレディなんだな。自分がオシッコをしたいということさえ、他人に指摘されなければ分からないレディだ。


「ところで」

赤ずきんは両足を揃えて飛び跳ねる。

「桃太郎てば、どうしてこんなトコまで散歩に来たの?結構あなたのウチからは遠いでしょう?」


「あっはァ、それはね…」

桃太郎は斜め上を少し見て、少し間を空けた。


時間が時間だし、しかも今は冬だ。

明るく話しつつも、声は小さい。こんな状況だから時折は、深呼吸も必要なのだろう。


「………懐かしくてさァ」

「懐かしい?…ここが?あんたはあの事件に関わりないのに?」

「いや、事件じゃなくてさァ。赤ずきんがいるからなァ」


桃太郎は赤ずきんを見つめた。彼女は、不思議そうに首を傾げている。


「私がいるから?……ふーん。有名人同士、仲良くやろうってわけか」

「そうそう」

「んー、でも歓迎はできないよ?見ての通り、ここら辺は店とかそうゆーのは一切ないから。建物と言えば、私とママの家にぃ、バァバんちでしょ?あとー、猟師んトコね。本当にそんくらい。……そぉ、タダでさえ人が少なかったのにさぁ、あれがあってからみーんな引っ越しちゃって。残ったのは、お墨付きの無頓着者だけだったのよね。それに私らなんか、もうどこ行ったって風評被害食らうの確実じゃん?だからあんまり変わらないなー、ってね」


赤ずきんはそう言い終えてもまだ飽き足らず、「バァバなんかね、超人変態の域に到達してると思うんだ。『じいさんが造ってくれた家だから』なんて綺麗事言っちゃってさ、一人暮らしをやめようとしないの。かと言って、私達があっちで住むことにも反対するし。私が思うに、あの人、人に言えないようなこと隠してるんじゃないかな」などと喋り続けている。


桃太郎はそんな彼女を目を細めて見守った。

そんなに他人と会話する機会を設けられていないらしいから、これでいて桃太郎の来訪を喜んでいるのかもしれない。別に赤ずきんにそういう意識はないのだろうけど、桃太郎は、そう信じたかった。


と、そこで、不意に後ろから高い声がした。

「うわあっ、桃太郎さんに赤ずきんさんじゃないですか!」


振り向くと、そこには一人の背の低い少女が立っていた。衣服に身を包んではいるものの、唇は紫色で、とても寒そうに見えた。


「あのぅ、どちら様?」

桃太郎が恐る恐る聞くと、彼女は笑って右手を突き出した。


「………?」

小さなマッチ箱だ。

それをカシャカシャ振って、彼女は自分が何者かを教えようとしてくれているらしい。


「…まさか、マッチ売りの少女?」

「当たり!初めましてですね!」

彼女は大きく頷いた。


「本当に?」

「本当です!」

赤ずきんが疑問の声を漏らしたが、マッチ売りの少女は即座に頷いて、おまけに、「だって、この不思議なマッチ箱を持ってるでしょう?」と返した。


「いや、でも、君はずいぶん昔に死んじゃったじゃないかァ」

桃太郎がそう言うと、マッチ売りの少女はいよいよ可笑しそうに目尻にシワを寄せて、「だから、私は残り香です」と言った。


「残り香?」

「そうです。人って言うのは、たとえ死んでもですね、まだ色々残してるんですよ」

「へぇ?」

「……そういうものの一部が集約したら私になったと解釈してくれれば全く大丈夫です」

「君は大丈夫かもしれない、けれど…」


そういうものなんだろうか。どうやら納得するしかないらしい。


「あっは、まぁ、私は、こういうこともあって然るべきだと思うけどね」

赤ずきんは戸惑った表情をすぐに消して笑った。

だが、桃太郎はまだぼんやり考えてこんでいる。


「分かりませんか?残り香。線香が灰になってしまっても、そこに漂うあの独特の甘い空気が、その存在…」

「ああ、分かった、分かったよ!!」


マッチ売りの少女の口を塞ぐように桃太郎は両手を出して左右に小刻みに振った。


それから多少ぶっきらぼうに、

「つまり君は、記憶みたいな物なんだね?オラ達の」

と言ってみたのだが、マッチ売りの少女は首を縦に振らなかった。


「違いますよ。記憶って奴はね、いくらでも変わっていくんです。忘れ去られたり、付け加えられたり。でも、残り香は違う。ずっとどこかに染み付いてて、簡単には剥がれないものをそう言うんです」

「………」


桃太郎は、目をつぶって、それを受け入れることにした。そうしなければ、なんだかマッチ売りの少女を自分の頭の中でしか生きさせられないような気がしたのだ。つまり、なんと言うか、今ここにいる少女は、桃太郎が覚えている絵本の中の彼女より、よほどハッキリしていて、確実なのだと思いたかったのだ。


「ところで、マッチ売りの少女さ、なんだか顔色悪いよ?不健康の表れだね。なんか辛いことあった?」

赤ずきんが彼女の肩に手を置きながら言った。


「ううん。マッチがあるから平気。満足してますよ」

「んー、でも、いずれマッチなくなっちゃわない?」

「あははは!そんなことありません。このマッチ、そう簡単に消えたりしないんで」

「復活するの?」

「と言うより、いくら使っても、使ったことにならないんです。そういう気分になるだけで」

「?」


マッチ売りの少女は、分かるか分からないかの瀬戸際くらいの言葉を身につけているようだった。理屈と無理の境界線。


「でも、さぶそうだけど?」

「残り香がこうだったんで、仕方ないです。当時と、容姿はあまり変わらなくって」

「……肌も荒れてるし」

「ははは!私は確かに肌荒れしててガサガサですし、あかぎれもいっぱいあります。でも満足なんです。とても」

「……………ふーん」


赤ずきんは何だかつまらなそうに口を尖らせたまま頷いた。

それは、彼女の全身が茶色く侵されていることにも原因があるのかもしれない。


彼女とそのおばあさんは、猟師に救われた時、既に狼の胃液にやられてしまって酷い火傷状態だった。おばあさんの家のタオルで急いで拭き取り、井戸水で洗い流したけれど、傷んだ肌がすぐに完治するはずもない。また、赤ずきんはその胃酸によって左目の視力さえ失ってしまったのだ。ただその代わりに、その後彼女は笑顔が増えたということである。視力を補うかのように、にこやかになった、と。


「あ、そうだ、赤ずきんさん。それより、あの猟師さんと、まだ仲良くやってます?」

「へ?」

「だーかーらっ、結婚、上手くやったんですか?」


ダハハハハッ!と、突然赤ずきんは大声で笑いだした。その目には涙も浮かんでいる。


「ひひひ!わっ、私がっ、あの人と?……やーね、マッチ売りの少女ってば。嫌よ、いーや。とっくのとぉっくに破談してるわ」


…ということは、やはり一度はそういう話にもなっていたのか。

桃太郎が静かに俯いていると、赤ずきんはその猟師について語りだした。


彼は、とても心遣いの良い人だったのだが、ただ一つ、目立った欠点というのがあった。

それは、自分が狩に行ったとき、生け捕りにできた獲物があれば、必ず縛り付けて解体をするということだった。内臓を手に持って、引っ張ってちぎり取ることもあれば、元に戻して止血を試みてみたり。そういう遊びをずぅっと繰り返していたのだ。


「生きたまま、って…、嘘でしょう?」

「ホントよ」

口元を覆った少女に、赤ずきんは平然と答える。「どうしてそんなことを?」と桃太郎が聞くと、「理由にケチつけないのが趣味ってもんでしょ?」と言った。


頭をわずかに動かす鹿の子供の腹をゴソゴソまさぐる血だらけの手には、赤ずきんも流石に戦慄したそうだ。それはもう、人の言葉を話す狼なんて比にならないくらい。


「それが森でひっそり暮らす彼の生きがいだったのね。生き物の中身に異常な興味を持っていて、しかもそれは心臓が動いている動物限定でね。死体は食べ物だから、って言ってたけど。生きてる動物は芸術だよ、って」


だが、赤ずきんはその性癖に助けられたのだ。考えてみれば、そんな猟師が、とんでもなく大きな狼を目の前にして動かないはずがない。


結果的に救われたってことには感謝もしているが、一緒に暮らすのはまっぴらだと彼女は言った。


「人に対してはそんなことしないように自制している、とは言ってたけどね。でも、もしものことがあったら嫌でしょ?あいつ、なるべく長く生き長らえさせるように処置しながら臓器を抉っていくの。それをさ、私にされたら、たまったもんじゃないっての。痛みはさ、私、あんまし感じたくないタチだから」


そうか、と桃太郎は思った。狼が、いくら赤ずきんとそのおばあさんを丸呑みにできるほど屈強だったとは言え、胃袋を裂かれて無事なはずがないのだ。それだのに、石を詰め込まれる余裕さえあったのは、猟師が手馴れていたからなのだろう。


「でも、猟師ってまだ森に住んでるんでしょ?怖くないのですか?」

マッチ売りの少女が聞くと、赤ずきんは鼻を鳴らして

「そんなに会わないもん。もし見かけたら逃げればいいでしょ?一緒に暮らしてないなら構わないよ」

と返答した。それほど気にしてないらしい。


「でも、君の母さんは怖がってるだろう?」

そう桃太郎が聞いても、赤ずきんは首を大きく横に振りまくった。


「全然全然!ママって、実は一番肝が座ってるんだから!バァバに育てられたからなんだって」

「んー?」


おばあちゃんの教育って、そんなにショッキングな出来事をバンバン起こしてたんだろうか。

桃太郎はそれを質問しようかどうか迷っていたが、口を閉ざしたままだった。

狼の胃袋の中に石を大量に詰め込んで、針と糸で切り口を閉ざしてしまったおばあさんである。まだ全身が腫れていて、痛みが走る中でその復讐方法を考えついたおばあさんである。やはり、ただ者ではなかったのだろう。


(ちなみに、ネタをとにかく集めたいテレビ局や、功績を挙げたい慈善団体の人々が、赤ずきんとおばあさんの整形をしてみせると名乗りを上げたのだが、二人とも拒否した。理由も同一で、それは、やはり「気にならないから」というものであった)


「いいなぁ。赤ずきんちゃんてさ、家族が鷹揚と、あっけらかんとしてそうで」

マッチ売りの少女がポツリと呟いた。それで、桃太郎もフッと意識を戻す。


「そ…そっかァ。マッチ売りの少女も色々あったんだなァ。最低の待遇を受けてたってなァ」

「いやぁ、あれは私が悪いってのもあるんです」

「ふぇ?」


桃太郎も赤ずきんもマッチ売りの少女の方を向いた。どういうことだろう。


「あの、マッチなんかは、もうどこにでも、そこら中で売られてるわけですよ。わざわざ道端で買ったりなんかしないんです。それにですね、一本ずつバラにして単体で買う人がどこにいるって言うんですか。こすって火をつける肝心のマッチ箱がないようじゃあ、『買って』っていう方が無理な話ですよ。だからですね、もっと箱ごとガンガン、押し売りみたいな感じで、金持ちの玄関へ詰めかけた方が良かったってわけなんです」


少女は淡々と喋る。

「あっ!それより、マッチ一本で豪邸に火をつけて金塊ごっそり奪っちゃった方が早くない?」とか何とか言っちゃってるどこぞの頭巾を完全スルーしているのはさすがだ。


「か細い声で『マッチを売りませんかぁ』って言う、人情に訴えかけるスタイルは通用しなかったってわけかァ」

「社会って汚くて厳しいですからね。お情け頂戴だなんて、所詮無理な話だったのでしょうねぇ。私が死んでから『こんなことになるのならマッチを買ってあげれば良かった』って嘆く人がいたらしいですけど、結局火葬する時も誰も引き取ってくれないから、教会の共同墓地で身寄りのない子供って扱いされましたし」


だが、それでも後悔はしていないらしい。なぜなら、不思議なマッチが健在だからだ。これがあれば、いつでも、どんな暮らしでもできてしまう。


「火が灯ってると感じる数秒間の間だけ、夢の世界に行けるんですよね。肌荒れクリームを塗り込んでスベスベになることだってできるんですよ。…夢から醒めたら終わりですけど」


少し悲しそうに言うマッチ売りの少女に対して、赤ずきんは「ねぇ、じゃあ、パパはどうなったの?」と聞く。彼女なりに気遣って話題を逸らそうとしたらしい。


「お父さん?お父さんはね……。あれから、死んじゃいました」

「え!ホント?!」

「うん。町中の人々に責められたり石をぶつけられたりして、すぐに自殺しちゃったんです」

「うわぁ!やったじゃん!恨み、晴らせたんだね!」


赤ずきんがマッチ売りの少女の手を取っても、彼女は微笑まなかった。


「……どしたの?嬉しくないの?」

「うん。別に私、お父さんを恨んでたわけでもないですし、それに……」


どーせ死ぬんなら、私が生きているうちだったら良かったのに。


「………。そっか、そうだよね…」

「今更死んだって意味ないです。町のみんなは勝手にセイセイしてくれたのかもしれないですけど」


そうだ、マッチ売りの少女は、もう死んだのだ。それより前にお父さんが死んだのなら、家の中に少しでも長くいられただろうに。


「…まっ、私にはマッチがあるから別に良いんですよ。マッチがあるから……………」

少女は消え入るように言い、少し肩をひくつかせた。が、嗚咽は全くなかった。


赤ずきんは、マッチ売りの少女の背中に手を伸ばしかけて止まり、桃太郎と視線を交錯させた。

どうして良いか考えあぐねているのだろう。しかし、桃太郎の黒点はどこを向いているのか定まっていないようで、それを見て赤ずきんは右腕を戻した。

彼の考えが分からなかったので、不安に思えたからである。


この時、桃太郎は密かに思案していた。


……マッチ。死ぬ間際、少女はそれを全て使い切ったはずである。しかし、それは完全には無くなってしまわずに、こうして残り香として存在している。


……都合が良すぎやしないか。

その数本のマッチが、彼女の精神的な支えとなっていることに間違いはないだろう。最後の砦と言うべき大事な物だ。

それらを彼女から奪い取るのはあまりに不憫なので、誰かが残り香として置いといてくれたのだろうか。


それとも、…、そう、もしかすると、死の直前に使い切ったマッチがここにあるのは別段不思議なことではないのかもしれない。


少女自身の体は残り香として復活している。一緒に火葬されたであろう汚れた服も着付けている。

とすると、彼女が肌身離さず持っていたマッチがもう一度出てきたのも当たり前なのか。そういうものだったのだろうか。


「……………」

「……………」


しばらくの沈黙の後、桃太郎が初めにマッチ売りの少女にかけようとした言葉は、慰めでもなんでもなかった。


…君の名前って、何だっけ。


しかし、それは喉の奥で鎮まった。

このタイミングでは、あまりにおかしな質問ではないか。

例えば答えが返ってきて、彼女の名前がリサだと知ったところで何になるだろう。


………………。

桃太郎は、だんだん理解してきた。


なぜ、赤ずきんは赤い頭巾をかぶっているのか。一度は狼の胃酸で漂白されたはずなのに、そして彼女自身はそういったことに対して執着しないはずなのに、いつの間にか新しい赤い頭巾をかぶっている意味。


なぜ、オラは桃のハチマキをつけっぱなしなのか。もう鬼と戦ったのはずっと前の話だから、つけておく必要はないはずなのに。この頃、カビが生えて異臭も漂ってきているのに。


それと同じく、なぜ、マッチ売りの少女がマッチを持っているのか。

その三つは、どれも同じことなのだ。


印象。

オラ達三人は、それぞれトレードマークという物を身につけていて、それがなければ自己を主張することができない。


赤ずきんから頭巾を剥ぎ取れば、それは最早赤ずきんではない。

桃太郎から桃を取れば、みんな大好きどこかの太郎さんだ。

だから、マッチ売りの少女も、マッチをなくせない。そういうことだろう。


やっと納得できた。桃太郎は息を吐く。


実は、彼の名前は桃太郎ではない。鬼退治という大業を成し遂げたのに、そんな安易な名ではマズイということで、彼のおじいさんとおばあさんは新たに『沙弥紋甲大納言』という名を授けていたのだ。だが、やはり誰しも彼のことは桃太郎だと思っていて、彼自身もやはりそうであった。が、どうして桃太郎でなければならないか、その理由までは分からず、ずっと悩みの種だったのだ。


「ーーーーー」


彼は新たな発見でふつふつと興奮していた。

だから、最初は、赤ずきんの言葉がわからなかった。


「ーーーーー。………桃太郎?」

「えっ。あっ、あァ、ごめん。考え事してたァ。何?」


頭をブルブル振って、桃太郎は聞き返した。


「だーかーらっ。桃太郎は、助けた姫と仲良くしてんの?って聞いてんの」

「え」


赤ずきんがこれでもかというくらいの笑顔を顔に咲かせながら聞いてくる。また話題を強制的に変えようとしているらしい。


「う、え……、っと」

桃太郎は返答に詰まる。


「どうしたの?早く言ってよ」

赤ずきんの喋るスピードが速くなった。

笑顔を見せてはいるが、焦っているらしい。嫌な予感がしているのだろう。


「え。ん………と」

桃太郎は、ようやく話し始めた。


「離婚……したァ」

「何で?!」


赤ずきんが悲壮な声を上げた。これでは全滅だ。


「そ、それが……。あ、あの。姫ってば、実は凄い凶暴だったんだァ。それで家庭内暴力が酷くて、オラから離婚を申し出たら、『精神的ダメージを受けたから慰謝料を請求するわ!!』って言われて…、それで、あっさり敗訴したもんで、鬼から没収した金銀財宝も全部なくなって……」

「そ、……そうだったの……」


赤ずきんの唇の端に力がこもる。だが、桃太郎は怒られる筋合いもないのだ。逆に、必死にファインプレーをしたと言っても良いくらいだ。


実際は、もっと残念なことになっていた。

持って帰った金銀財宝は、「本来は俺の持ち物だったんだ」という人が多数名乗り出てきて、全てどこかへ持って行ってしまっている。

猿やキジや犬は帰還直後に捕獲されて見世物になっているそうだ。


また、助けた姫は、桃太郎の妻となって数日すると、自殺してしまった。

近くの竹藪で首を吊っていたのだが、桃太郎は自分の身に何も覚えがないのでかなり狼狽していた。


その後、鬼にさらわれる前に姫が住んでいた城から、大量の文書が出たという報告があった。

どこかの貴族と親しい仲だったらしいのだ。

桃太郎は、自分がその貴族を差し置いて姫と結婚したせいで姫が自殺したのだと確信し、自分を責めた。(本当のところはそうではない。姫はもともと恋人だった貴族のことはきっぱり諦めをつけていたのだが、周りの人々にある隠し事をしていた。そのことで誰にも顔向けできないと思い自殺したのだ。それは鬼たちが姫に対して行った仕打ちに原因があるのだが、桃太郎にそんなことが分かるはずもない)


姫が死んだことは外部に漏らさないように気をつけていたのだが、そんなことは無理に等しかった。たちまち話題になり、「桃太郎が姫を殺した」「やはりあいつは人でなしだったんだ。そうさ、人が鬼に立ち向かえるわけがなかったんだ」などとそこかしこで言われるようになっていき、更に、姫の恋人だったという貴族まで自殺したという知らせが入る頃には、桃太郎の人気は地に落ちていた。


それで、桃太郎は今日、人里離れた場所で自分も死んでしまおうと思ってやってきたのである。

赤ずきんの住む森は、人がほとんどどこかへ行ったと聞いていたから、夜闇に紛れてやって来たのだ。最後に彼女に出会うことができるかも、という期待も手伝っていた。


「……みんな、良いようにはならないものなんですね………」

マッチ売りの少女が乾いた声で言い、引きつるように笑った。


その次の瞬間のことである。

突然、背中から何かが突き抜けるように気がして、彼らは振り返った。


日の出だ。太陽が顔をのぞかせたのだ。

下からせり上がってくる細い銀の刃が、無数に肌を貫いていく。


「……………っ」

桃太郎は目を細めながらその光景を見つめた。

この時ばかりは、赤ずきんの表情からも、笑みは完全に消え去っていたようである。





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