第九十話「それは百合……いや誤解だ」
学級閉鎖が決まった。
できなかった授業や宿題はのちほど連絡をする、と。
「では……気をつけて帰るように。後で連絡をいれるから、ぶえええっつくしょっっ」
最後に副担任の先生は、鼻声。そして盛大にくしゃみ。
さようなら、と挨拶を入れる1組の残った生徒たちも大半は咳とくしゃみだった。
挨拶の後は三々五々散っていった。
凍子と約束をしているので、みんなが帰った後も、人気のない教室にボクは残って一人時間をつぶす羽目になった。
夏美ちゃんもいないし、テニス部もない。
時間を持て余してしまった。
「まさか凍子に修行をつけさせてもらうなんて……」
教室の片隅で呟いていたら、ようやく授業を終えた凍子の奴がきた。
きょろきょろ周囲を伺いながら、後に誰もいないことを確認しながら入ってきた。
「そんなことを言っている場合ではないわ」
おまけにボクのぼやきを聞き漏らしていない。意外に耳もいいんだな。
「で、こっちはなにをすればいいんだ」
「あら積極的ね。普段は怠けてばかりと聞きますけど、結構なことですこと」
どっかでボクの修行光景をみているみたいな言い方だな。
「いいですか? 今からわたしは少しずつ力を放出します」
ボクをみつめる凍子の細い瞳がさらに鋭くなる。
「なるべくあなたと同じくらいに調節します。そして共鳴させて大きなうねりを起こしますので、あなたはそれを感じ取ってください」
「は、はあ……」
言っていることがわかったようなわからんような。
「そこに立って」
窓際に立つように言われたので、やむなくそのとおりにする。
「どうして窓を開けるんだ?」
「この方が……より山からの力を感じやすくなると思います」
説明しながら凍子は窓を開け放つ。途端に冷たい風がひゅうひゅう容赦なく入り込んできた。
お互い雪ん娘だから平気だけどね。
そして凍子は数メートル離れたところに向き合うように立ち、目を閉じた。
何か念じるような仕草である。
「……」
再び目を開いてこっちを見据えた。
「どうですか。力の流れを感じましたか?」
「何も……」
どうやらもう修行は始まっていたらしい。でも何も感じなかった。
凍子はずいっとスカートの足をこちらに踏み出して、50センチほど近づいた。
「どうですか? これなら感じないですか」
「いや……感じない」
再び首を振る。
「結構鈍感なのね」
凍子の方も呆れたとばかりに首を振った。
「うるさい」
さらに50センチ。
「あなたも目を閉じて集中して」
仕方ない。一応むこうはこっちのためにやってくれてるんだ。
言われるままに目を閉じた。
そして意識を集中させる。
やがて凍子の息使いが届く距離まで近づいてきたのがわかる。
「まだ力を感じませんか」
凍子がボクの肩を両手に抱いた。
頬と頬を近寄せる。
「!?」
急に何か新たな感覚がわき起こった。
ゆらぎをかんじる。
体全体から、ゆらゆらと何かが……。
見えないけれど白く凍てつくような流れがある。
「まさかこ、これ……」
体からわき上がってきている。
そしてあふれ出ていく何かがある。
「確かに感じる……」
「これが力よ」
一度感じることができれば、もうはっきりとわかった。
確かにボクの体から溢れ出た何かが、外へと広がっている。
思わず目を閉じていた目を開いた。
目の前には凍子の顔。
頷いた。
「これが……」
「ええ。山からわたしたちに注がれて、さらにそこから溢れ出ずる力ーー」
視線があった。
凍子の黒い瞳の中に混じる銀色のかけらもくっきり見える。
しばらく見つめ合う構図に。
「この感覚を忘れないことよ……」
「ああ……この感じ忘れない」
再び目を閉じて感覚を掴む。
二度と忘れないように。
「あー」
別の声に声に静寂がやぶられた。
ボクも凍子もはっと声をした方を振り向く。
いつの間にか教室の戸が開いた。
学生服が固まっていた。
「とも……のり」
「智則さん!?」
肩をだきあった姿勢のままのボクと凍子。
そしてかちかちになっている智則。
戸ががらっと勢いよく閉まる。
そして走り去る音。
「違う、智則」
智則は走りにはそこそこ自信がある。
「待てって!」
それでも全力で追いつき智則の腕を掴んで捕まえる。
「何か中から気配がするから、気になってみたら、二人が抱き合って感じる感じないとかいってて……いや、みるつもりなかったんだけど」
智則の顔が青ざめている。これは完全な勘違い。しかも結構最初から見ていたっぽい。
「智則、違う」
「いいんだって、別にオレの知らないところで女子たちが何をしてようとさ」
「いろいろと事情があって」
「ああ、事情はわかってるよ。女子の秘密を勝手にみた俺が悪いんだし」
ちなみに智則は男家族である。女子への誤った思い込みが起こりやすい環境でもある。
「二人は本当は仲がいいのは安心したよ。じゃあな、雪耶ちゃん」
そして智則は腕をふりほどいて走り出した。
「だから違うって智則!」
そしてまたボクと智則の追いかけっこが始まった。
翌日には教室はすっかり元通りになっていた。
昨日休んでいた生徒もほぼ同じ登校してきていて朝からガヤガヤ騒がしい。
早退していた夏美ちゃんも元気に復帰。
「皆勤賞、大丈夫かなあ」
夏美ちゃんは、小学校から今日まで学校を一度も休んだことがないんだって
卒業式の皆勤賞を目指していたとか。
「そ、それは凄いね夏美ちゃん」
藤崎さんたちもいつもどおりに登校してきた。
「おはよう! 北原さん」
幸いにも何か怪しい噂になることはありませんでした。
そして。
「おは……よう」
ぎこちなく挨拶してくる智則はボクが近づいても微妙に避けてくる。
不思議そうな夏美ちゃん。
「最近、何かあったの?」
感のいい夏美ちゃんはすぐに何かさぐりをいれてきてそれを躱すのにさんざん苦労した。
それからさらに数日後。
樹氷が立ち並ぶ雪山で、今日も母さんに訓練である。
小さな吹雪を立ち上げたり、冷気を放ったり。
「凄い、雪耶。前よりもずっと力を操れるようになってるわね」
久々に雪ん娘修行で母さんに褒められた。
いつも駄目っぷりに母さんの頭を抱えられたから、結果はよしとするか。
あれからお風呂のお湯に少しくらいあたっても大丈夫になったし。
「う、うん、まあ特別な訓練を受けたからね。凍子にね」
「あの子の母の冷子にもお礼を言わないとね。でも昔からなかなかあたしの心を素直に受け取ってくれなくてね……」
腕を組んで母さんも顔をしかめる。複雑な事情があるみたいです。
「これなら冬が終わっても雪耶は人里でもやっていけそうね」
「本当!?」
お風呂に入ったら氷柱になって消えるとかいう恐ろしいことにはならなくて済みそう。
「ええ、心配いらないわ」
少し母さんの顔が陰ったのが妙に引っかかった。




