第九話「修行開始?」
翌朝。
いつもの時間に目が覚めた。
窓からは今日も日の光がカーテンからチラチラ漏れている。
さっとカーテンを開けて外の空を眺めると、雲がところどころはあるが、晴れていた。
眩しい――。
心が躍る。
この朝は今までの朝とは違う。
ボクと父さん、もう一人。母さんと一緒にこの家で迎えた朝だ。
部屋を出て階段を降り、一階のキッチンへと向かう。
既に階下から気配を感じる。
トントンというまな板と包丁で、野菜を切っている音がする。
果たして母さんは既に調理場で朝ご飯の支度をしていた。
コンロの上では味噌汁を作っている香りがする。
もうすぐご飯も炊き上がりそうだ。
「おはよう、母さん」
ボクの声に包丁の手を止めた。そして振り返った。
「おはよう、雪哉。早いのね」
母さんは、驚いたような顔をしたが、すぐに優しい微笑みに変わった。
うん、綺麗な母さんだ――。
幸せな気持ちになった。朝起きると母さんがいて御飯を用意している。そのことに胸がいっぱいになった。
「えっと……お醤油はどこだっけ? 十年も離れてたら忘れちゃうわね――」
「ここだよ、母さん」
後ろからすっと戸棚に手を伸ばし、調味料などを置いている場所から醤油を取り出す。
「はい」
「ありがとう、雪哉」
再び朝食の支度を始める。
何気ないやりとりが幸せに感じる。
「何か手伝うことがあったら言ってよ」
「あら……じゃあお願いしようかしら、お皿を並べてくれるかな」
「うん」
ボクはてきぱきと食器を並べる。お茶碗、お椀、お皿に箸をそれぞれ三つ。
「慣れてるのねえ流石。お父さんを支えてくれてたみたいね」
「そ、そうでもないよ」
照れて顔を掻いた。
朝食の準備が一通り終え、テーブルの上に並べ終えた。 支度を終えてエプロンを脱いだ。
「さあ、用意できたし、あとはお父さんだけね」
「うん、そうだね」
だがまだ父さんは起きてこない。
「もう、しょうがないなあ、父さんは」
いつもどおり、起こしにいこうかと身を乗り出す。
「来なさい、雪哉」
母さんがボクを手招きで呼ぶ。
「え? 何?」
なんの気はなしに呼ばれたので、寄って行く。
すると、ボクの少し長くなった髪をそっと手にした。
「!?」
いつの間にか手に持っていた綺麗な和風の櫛でボクの髪を梳きはじめた。
癖のある髪というわけではないが、それでも形が変になってボサボサだった。
丁寧に念入りに形を整える。
「髪の手入れは、自分でやれるようにならないとね」
「う、うん……」
みすぼらしい格好はできない、というのは店の子である以上当然だ。
髪が伸びて、形がおかしいなら整えないと、とは思う。
お客さんはボクが男子だったとか女子になったとか、そういうのは気にしないし、言い訳にならないのだ。
「ねえ、母さん。母さんは父さんのどこが好きになったの?」
母さんに身を委ねつつ母と子だけの時でないと聞けない話題をする。
「あら。随分直球ね」
「だって……きっかけは一応、昨日聞いたけど……」
髪をすく手を止めた。
「そうねえ」
少し思い出すように天井を見つめた。
「山の外のことを知りたかったお母さんにいっぱい教えてくれたのよ。あの頃は人の暮らしに憧れてて、この人なら願いを叶えてくれそうって思ったの」
想像できない。父さんの純朴な時のこと。
「でも一番大切なのは惹かれ合うものがあったから……かな。言葉では言い表せられないものよ」
「なんか凄いね」
父さんと母さんが惹かれ合っているのは昨日今日で、もうわかった。
ボクもその子供として、とても嬉しい。
けれど……疑問もあった。
そこまで結ばれてたのに何故、別れ別れになってしまったのか。
しかもボクを父さんの下に置いて――。
そのことをもっと聞きたかった。山の神様が怒って戻らないといけなくなったとかなんとか昨日は言ってたが……。その当時に何があったのか聞きたかったが、話題はそこで止まった。
父さんがようやく起きてきたのだ。
「おう、おはよう、雪乃、雪哉」
父さんはいつも通りの無精髭のまま頭をかきながらやってきた。
「遅いよ、父さん」
「おはよう、修ちゃん、朝ごはんできてるわよ」
父さんは母さんとボクを見比べる。
「ふわあ……二人とも早いなあ。流石母子だ」
だらしない大欠伸をする。
どうやら早起きは母さん似だということを言いたいらしい。
「いただきます」
三人で声を揃える。
朝食は今まで生きた中で最高に美味しかった。
いつもとメニューはそう変わらないのに、おかわりまでしてしまった。
家族三人揃って朝ご飯。母さんの作ったご飯を食べる。
ずっとこんな時間が続いて欲しい。
そんなことを願っていた、その時。
ボーンボーンという音が部屋に響いた。
あと一時間ほどで、開店の時間がくることを知らせる、朝の10時を告げる時計の音だった。
「おっと、もうこんな時間か」
父さんが時計を見て呟くと、母さんもそれに合わせて立ち上がる。
「さ、じゃあ。あなた。そろそろいくわね。今度はそんなにしないでまた山から降りてこられると思うわ」
「そうか、名残惜しいが……」
父さんはボクに視線を合わせる。
「元気でな、雪哉」
「あれ? なんでボクに言うの?」
なんで別れを告げられるのかわからない。
「雪哉は母さんと一緒に山で修行に、と昨日言っただろう?」
「はぁ? なんでボクが……?」
意味がわからない様子のボクに母さんも説明を加える。
「雪哉、あなたの雪女の血が目覚めた以上、力が暴発して、抑えられなくなってしまう前に、山で修練を積んでその能力を制御できるようにしないといけないの」
「え? ちょっと?」
確かにそんなことを言ってたような気がする。まだボクはそのことは冗談だと思っていた。母さんと再会したばかりだし。
「さ、山に戻って雪女修行始めるわよ。母さんと一緒に」
雪女――? 修行? ポンと肩に母さんが手を置いた。
「うわああ冷たい!」
触れた途端、突き除けるような寒さが体を貫いた。
「おお、寒い。母さんが雪女モードに入っちゃったか」
父さんはこたつの中に潜り込む。
ボクは母さんに引きずられるように抱きかかえられて、外へと連れ出されていく。
「さあ、雪哉。よいっしょっと」
「放して! 寒いの嫌いなんだあ」
「我慢して、これも雪哉のためなのよ」
「父さん!」
「元気でな、雪哉。何修行が終わったら会えるから、それまでの辛抱だ。こっちは心配するな」
ボクの本格的な雪ん娘ライフの始まりだった。