第五十六話「雪耶のある長い一日 ⑤」
無慈悲過ぎたか。ちょっと焦った。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
その間、ずっと先輩はがっくり肩を落として、俯いている。少し心配になったので、こちらから声をかけた。
「い、いや、だ、大丈夫だよ」
中島先輩はようやく顔をあげた。
気丈に笑っているが、かなり堪えているのが見て取れる。
「も、もしよければ、理由を聞かせてくれないかい? もう誰かつきあっている相手がいたりするのかい……それとも気になる人がいたりするの?」
もちろん、いません。首をふるふる振った。
「先輩の気持ちはうれしいんですけど、今は誰かと付き合う気はないんです」
休み時間も授業中も考えた台詞を淀みなく答える。
ここで躊躇したりすると相手に気をのまれて心にもないことを言ってしまうんだとか。
同情は禁物。
男とは駄目なんです……と心の中で繰り返す。
というかほんの一ヶ月ちょっと前は男子だったんだぞ。今はこの姿だけど。とはもちろん言えない。
「そうか……そうなんだ。じゃあ、まだこれからってことでいいかな」
「あ、は、はい。まあ……」
「俺、その時が来る時まで、もっと自分を磨いて、雪耶ちゃんにふさわしい相手になるよ」
「そ、そうですね、頑張ってください」
ぎこちない会話と返事。もっとましな台詞をいえればいいんだけど、駄目だ。
「じゃあ、時間とらせてごめん、俺はもう行くから」
そして、夕日に向かって走り去っていくかのごとく、だっと音楽室を走って出て行った。
結構ポジティブシンキングだな、その前向きな考え方は買います。
でも先輩、もう卒業ですよね……。
誰もいなくなった音楽室を後にした。
教室へ戻る途中の階段の下で夏美ちゃんが待っていた。
おかえりなさい、と手を振っている。
「ふう……」
右手だけあげて応えた。
「お疲れさま、雪耶ちゃん、どうだった?」
「無事終わりました」
ことの次第を話すと夏美ちゃんは満足したように頷いた。
「上出来だよ」
なんか凄い疲れた……。
ここまで全て夏美ちゃんのプロデュースどおりーー。
何をいうか、タイミングまで指示されていた。指示通りにはできなかったけれど。
ともかく、朝から始まった戦いがようやく終わった。
「……なんか疲れた」
気楽だったかつてと違って女子というものは、こういう恋愛模様にさらされやすいものなのだろうか。
「こういうのってよくあることなのかな?」
「あるわけないじゃん」
夏美ちゃんは笑って否定した。
「雪耶ちゃんが可愛いからよ」
「そ、そうかな……」
自分の評価は良くわからない。
ははっと笑われた。自覚の無さに呆れているようだ。
「あたしだって、あんな手紙もらったことなんてないよ……」
夏美ちゃんも自他ともに、初めての経験だという。
「そうなんだ」
お手本なんてない。出たとこ勝負の世界。厳しいな、女子の世界も。
午後の授業が始まる。一緒に再び教室に戻った。
なんか女子たちから視線を浴びているような気がするが。
あの子とかこの子とか。「どうだったのかな?」「こっそり聞いてみてよ」
いいや、感づかれてない、感づかれてない。
言い聞かせて着席する。
なお。後日談ではあるが。
翌日には中島先輩がボクに告白し、振られたという情報は、学校中に広まっていた。夏美ちゃんは黙っておくといっていたのだから、多分夏美ちゃんルートじゃない。口軽い子じゃないのは知ってる。
「一体誰から……」
ボクには皆目見当がつかなかった。
「多分先輩自身がしゃべったんじゃないかな?」
夏美ちゃんの推測では、あえて自分がカミングアウトしてアピールしているのだと。
また諦めていない、ということか。
何度もアタックされた末に熱意に負けてつき合ってしまう場合も、多くはないがあるのだそう。
うーむわからない。
まあ、ボクはそんなこと無いと思うけど。
ただしばらくは冷やかしに悩まされた。
「雪耶ちゃんの相手じゃないよねえ、きっと理想があるんだよ」
「流石、もてる女は違うね~」
なにせ学校で一、二を争うイケメンを振ったのだ。
しょっちゅう女子クラスメイトから茶々が入るのは微妙に嫉妬が入っているのかもしれない。
変に動くと、朝学校に来たら「しね」とか「ぶさいく」「調子にのんな」とかの落書きがされてたりと、漫画にありそうな女子特有の楽しいイベントが始まるかもしれない。
なので自重自重。
まあこの学校にはそんな子はいないと信じている。




