第四十九話「智則の不安」
寒気に当てられながら、先ほど降りたばかりのバス停へ向かう。
次のバスは幸いにも二十分後だった。
バスは貴重な交通機関なので、特に朝夕の時間帯には一応本数が確保されている。
村長の夏美の父親に感謝した。
雪や風をよけるための小さな待合い用の小屋で凌ぐ。
「氷倉さん、なんであんな何もないところにいたんだい」
「それがわたしたちのつとめですから」
「つとめ?」
「わたしたちは冬の間中、眠りについている山の木々や命を守り、春の目覚めを見届けるのです。まだまだ修行中の身ですけれど……」
「へえ……」
なかなか立派な心がけじゃないか。氷倉グループといえばこの村に進出してきて以来、評価は街を二分している。
この村に限らず大きなホテルや店をボコボコ作り、地域に変化をもたらす一方で村の平穏や環境を壊すものというイメージで通っている。
その氷倉グループのお嬢様がそんな考えを持っていたとは意外であった。
「でもこんな時間に父ちゃん母ちゃんが心配するだろう」
「お父様は街にお帰りになられて来週までお戻りにならないのです」
「そうなんだ……」
そうか、と智則は勝手に納得した。
氷倉グループの本社は都会のビル街にあると聞いたことがある。
仕事場はそこなのだろう。
自分と同じ少し親しみを持った。
「それにしても……寒くないか?」
時折吹き付ける風が凍える。
だが氷倉のお嬢様は制服姿以外は何も着ていない。
「私は大丈夫です」
即答した。
「ったくしょうがねえなあ」
きっとやせ我慢しているのだと思った。
格好を見るだけで智則には寒そうに見えた。
体に積もっている雪も払おうとしない。
「これーー。寒いだろ……」
肩の雪を払いながら、コートを脱ぐ。
そしてそれを差し出す。
「これはあなたのでしょう」
「俺は見ての通り完全防備してるからな」
もう一枚重ね着していた。
少し笑った。
「……」
意外に嫌がらずマフラーとコートを受け取った。
ただどうするかわからないようだ。
寒いのに本当に強いんだと改めて舌を巻いた。
「ほら、こうしてこうやって巻くんだ」
わざわざ智則が凍子の首にマフラーを巻いてゆく。
「あ……ありがとう――」
いよいよ身体が芯まで冷えて凍えそうだと思った時。
遠くから雪を踏む音を轟かせるバスの音が聞こえた。
(よかった……)
チェーンの音と点滅するライトが雪しぶきの中からゆっくり現れる。
そして止まるとドアがプシューと音を立てて開く。
「氷倉さん、早く乗りなって。このバス、街の方まで行くから。ほら、ここに氷倉ホテル経由って書いてあるだろう」
「あの、ですから、わたしは――」
「いいから、ほら、こんなところにいたら、本当に凍えて氷になるって」
無理強いではないが、強めに言う。彼女は抵抗はしなかった。
やはりあっさり智則につき従う。
乗り込んだはいいもののその後に乗降口で立ち尽くす。
「ひょっとして、バスの乗り方、わからないの?」
乗ったはいいが、戸惑うような困ったような顔。
「は、はい……見たことはあるのですが……」
顔を真っ赤にする。
「ほら、ここの整理券を取って」
ドアの入り口に設置されている整理券を二人分取って、一枚を彼女に渡す。
(本物のお嬢様だな、こりゃ)
バスは空いていた。一番後ろの4人掛けの席に二人並んでゆったりと座る。
直後にエンジンの音が大きく響く。
ようやく発車した。
「ひょっとしてお金は――」
さらに俯く。
「俺が払っとくよ」
「ありがとうございます……」
しょぼん、としている。
どうも様子を見るに、携帯電話かスマホとか持っているはずだが、そういうものも持っていないようだ。
確かに噂に聞く。
二組のクラスの奴に聞くと、かなり浮き世離れしていて、ファッションやドラマ、漫画などの話題はまるでついてこれない。
箸の使い方は知ってもスプーンフォークも知らない。
さらに。
とある女子がどうやったらそんな綺麗な髪や白い肌になれるのか、どんなことに気を遣えばよいか、シャンプーやらリンスなどの種類ややり方を尋ねたという。
風呂など生まれてこの方入ったことがないとかギャグにしか聞こえない噂まで聞いた。
真冬にアイスクリームとシャーベットを平気で食べるとか。まあこれはオレも好きだ。
二組の奴らは持て余しているという。
さりとて氷倉グループのお嬢さんだから邪険にできない。
「うう……」
何度か停留所を過ぎた後、バスはもうすぐ目的地に到着する。
「次は、氷倉ホテル前」
アナウンスが流れる。
「ほら、ここにブザーがあるから、押して合図するんだ」
恐る恐る凍子が押すと、
「止まります」のランプが点灯すると同時に合図の音が鳴る。
「こうなってるんですね」
目を丸くした。
降りる際に二人分の料金を払う。
智則の家はまだ先だが、歩けない距離ではない。
「お、ちょっと止んできたな……」
「あ、ありがとう……助かりました、佐伯さん」
「え? あ、何もそんなかしこまらなくても、智則でいいよ。みんなそう呼んでるしさ」
少しいうのを躊躇した後、この寒い中でもほんのり赤い唇を動かす。
「では智則さん、わたしも凍子と呼んでください」
「はは、いいよ。凍子ちゃん」
智則にとっては、何気ない同じ中学の生徒とのやりとりのつもりだった。
さらには氷倉のお嬢様と自分が何かあろうとも思わなかった。
だがーー。
降りてきてしまった。
なんとなく不安だし、送ることにした。
「俺もわかるよ。うちの親父も忙しくてしょっちゅううちにいなくてさ、一緒にいられるうちが羨ましかったよ」
「智則さん、あなたもなんですね……」
「一緒にいられるのがいいよなあ」
「わたしの気持ちがわかってくれる……」
胸に手を当てた。
「え?」
智則は一瞬目を疑った。
凍子がいつの間にか制服ではなく、着物姿に変わっている。
「おい、こら、そこで何やってんだ」
ほんの一瞬の出来事だった。
二人だけの時間は別の少女の叫び声で終わりを告げる。
「智の……佐伯君、どうしたの? こんなところで」
声の主はやけに心配そうな顔の北原雪耶であった。
「いや、凍子ちゃんが困ってたからさ」
智則と凍子が目を見合わせた。単に案内しただけではなく、少しやりとりがあったことを伺わせた。
「凍子ちゃ……」
それを聞いた途端に、明らかに雪耶の闘争心に火が付いたのが見て取れた。
「おや、またお会いしましたね、こんな時間からおさかんですね。いつぞやは喜んで男あさりしてたふしだらな山育ちの田舎娘さん」
「今日は山の安息日です。人には何もしないのよ。まったくそんなことも知らないなんて、これだから育ちの悪い雌猿はーー」
「ちょ、ちょっと待って二人とも……」
ガルルルルーー。
そんなうなり声が雪耶と凍子から聞こえてきそうだった。
「ここでこの間の決着をつけても」
「望むところだ」
「今度はこの間のようにはいきませんよ」
「あ、やっぱり雪耶ちゃんも智則君狙いなんだ」
「だから違うって、みんな、あいつは――」
たくさんの女子が群がってきた。
カラオケ帰りの集団だった。
カラオケから戻ってきたという夏美たちの一団と遭遇した。
よく見ると雪耶もいた。
「では、わたしはこれで」
沢山のギャラリーがいるとわかると、途端にトーンを下げる。
「あ、凍子ちゃん――!?」
「この首の巻き物、あとでお返ししますね」
首に巻いていたマフラーを外し、智則の首にかける。
「ここまでくれば帰り方ぐらいはわかりますから――」
氷倉凍子は去っていってしまった。
「ま、いいことしたんじゃないの? 少し鼻のばしてはいたけど」
「何むくれてるんだよ」
雪耶は納得がいかない様子であった。
「いやー、智則も隅におけないねえ」
「両手に花……男子たちの嫉妬が見て取れるわあ」
岡本、藤崎たちに囃し立てられてしまう。
女子はこういう話に敏感だ。
明日には二人のやりとりが学校中に広まるだろう。
「だから違うって」
智則は言い訳しても無駄だろうと思いつつも一応反論しておいた。




