第四十八話「雪まつりのあと」
日曜日の夕方。
佐伯智則は、遠く離れた街で行われた模擬試験からバスで帰宅していた。
バスは山を貫くトンネルバイパスを抜けて山の麓の村へ向かう。
晴れた昼には雪で覆われた山々が眺められるが、曇っている今日は味気ない白い靄のカーテンしか見えない。
「ったく何でこんな時に……」
智則は貴重な休日が模擬試験で終わった一日を嘆く。
大手の進学塾や予備校などはないので、普段は村の中心部にある個人塾に通う。
だが所詮は小さな塾で、遠く離れた会場で行われる大手業者による模擬試験に行ったのだ。
智則はぼんやり外を眺める。
一日中机にかじりつきになるため、終わった後は身体を動かしたわけでもないのに疲労感でいっぱいだった。
帰宅するために乗ったバスに揺られながら、窓の外にちらつく雪を眺めていた。
両親ともに公務員。言ってみればサラリーマン家庭だ。
都会ではごく普通であるが自営業の多い村ではむしろ珍しい存在である。
商売をやっているとか農家をやっている、そういうものが何もない。
県職員の父は今、本庁に勤務しているので、自宅から車ではるばる2時間かけて通勤し、平日も遅く帰り休日もあけることが多い。
夏美などにはからかわれるが、小さい頃から地元で商売をやっている北原家を羨ましく感じることもあった。
その上、教育、進学に他の家庭よりも熱心で、こうして塾に通っている。
このまま普通に期待される道を進んだらいずれ自分はこの街を出ることになるだろう。
「次は氷清大社前。」
車内には女性の録音と思われるアナウンスが響く。
ふと我に返り、外を眺める。氷清大社は村の入り口。そこから先から人家が広がり始めるが天気が良くないため見えない。
雪はさらに強まってきていた。
先に降り積もった堅い白い絨毯にまた容赦なく新たな雪。春の到来まではおそらく解けることはないだろう。
かといって天気が「特別に」悪いわけでもない。
氷清村はこの季節は毎日こんな天気だ。
海から山側に吹き付けられて常に雲がかかり雪を降らせるらしい。
綺麗な青空が珍しいくらいだ。
(雪祭り、夏美や雪耶ちゃんもいってるんだろうな)
着く頃には祭りは終わっている。
女子のグループはどこかで打ち上げでもしてるのだろう、漏れ聞こえた話ではカラオケに行くと聞いたが、今頃もりあがってるだろう。
こんな時、雪哉がいれば少しは愚痴もいえるのだが。
再び転校してもういないその存在に思いを馳せる。
「あいつ……どうしたんだよ」
突然の北原雪哉の転校に落胆していたところであった。
理由は進学準備のためと智則は聞いた。
(あそこまで雪哉ん家って進学に関心なんてあったっけ)
おじさんは確かに元々村の人間ではないことは雪哉から聞いたことはあったがーー。
その当の雪哉であるが、また心配というかやきもきさせられていた。
メール、メッセージなどは来るが、どんな生活を送っているのかはっきりとしたことがわからない。
新しい学校の生活、部活、都会の学校はどんな雰囲気か。
そこのところを尋ねると雪哉から戻ってくるのはぎこちない返事であった。
同じ幼なじみで小学校から夏美もそこのところは気づいているようであった。
夏美と二人になった時にもそのことで話をしたこともあった。
「雪哉、あいつどうしてるのかなあ」
小学校、それ以前からの仲だった三人のうちの一人が突然いなくなった戸惑いはあった。
そして入れ替わるようにやってきた少女もーー。
「心配だよね。それに……わたしたちに何か隠してるような気がするんだ。雪耶ちゃんも様子がおかしい時があるし」
夏美が口にしたのは智則も知らない事実だった。
勘の良い夏美には、もっと先のことが見えているのかもしれない。
「わたし、聞いちゃったの。雪乃さん――」
「ああ、あの綺麗な。雪哉の母さんか」
10年ぶりに急に実家に戻ってきたという雪哉の母親だが、その雪哉は入れ替わるようにいなくなった。
綺麗な上にとても良い人で、なんでまた離れ離れになっているのかわからない。
「うん、そう。あの人のこと、雪耶ちゃんも母さんって呼んでたの聞いちゃったの。店に入ろうとした時、戸の向こうから聞こえて……。立ち聞きは悪いと思ったけど……でも従兄妹なのにおかしいよね」
疑念はいくつもあった。
だが、雪哉のことを信じていた。いつか真実を語られるときがくることをーー。
「やめよう……こそこそやってると、なんか陰口みたくなっちゃうから」
だからそれ以上の話題はせず、打ち切る。
「ああ……」
その時の夏美のやや寂しそうに伏し目がちになる仕草を智則は見逃さない。
さらに智則はそしてーー夏美が雪哉に対して持っている気持ちにも気づいていた。
「まもなく氷清大社前」
小さな鳥居と小さな社がある誰もいない小さな神社だった。
「!?」
驚いた。
「おーーあれは……」
氷倉凍子。
何故こんなところに……。
氷倉グループのご令嬢の登場であった。
しかも凄い光景だ。
特に何も上に羽織らず、制服姿だ。
何故かこの村の外れに。
長いトンネルバイパスが完成した今はほとんど交通量は少なくなったが山越えのルートとなる入り口地点だ。
ちょうど麓の村や遠くの山々が望めて景色が良いので、夏には記念撮影をするポイントだが、雪に閉ざされる冬の今は人はまずいない。
何故かそんなところに氷倉凍子が一人。
いやよく見ると何人かいるような人影が見えた。
「ちょっと待って、降ります!」
降車ボタンを押す。紫色に光る。
バスはブレーキをかける。
暖房の効いていたバスから寒さと風で凍える道へ降り立つ。
そして、さっき一人佇む少女の元へ向かう。
ガードレールの反対側はかなり急斜面の山肌となっている。
まさかそんなことはないと思っていたが飛び降りたり足を滑らしたりしたら命はなく危険な場所でもある。
ようやく辿り着いたら、やっぱり一人だった。
あれは見間違いだと思うことにした。
「こんなところで何やってるんだい、氷倉さん」
少女が振り返る。
智則は息を飲み込んだ。
凍るような鋭い目も、綺麗な黒い長髪も、肩につもった雪すら全て神々しいーー。
美少女と名高い少女の本当の美しさを目にした思いだった。
雪と氷の中でこそ彼女の美しさが発揮されるーー。
「あら、あなたは……」
声をかけた智則に何事かとかえって驚いた様子を見せる。
むしろ落ち着いた表情だ。
「あなたは……たしか隣の教室の」
「ああ、俺、佐伯智則。氷村中の二年一組だよ」
「あなたの方こそこんなところで何をしてるのですか?」
「俺は模擬試験だよ。西進ゼミってところのさ」
「モギ……しけん?……ああ、学問の修練ですね」
ややもってまわった言い回しだが、これも彼女の性格のように思われた。
「そういう君は……」
といいかけて、かなり吹雪がこたえた。
「とりあえずここだと、寒いからあそこに行こうぜ」
バスの待合場所を指示した。
(意外に寒さに強いんだな)
都会出身のはずだが、智則すらも音をあげる寒さに、凍子はまったく動じる様子もない。
さらに意外なことに、素直に頷いた。
そして智則の後についてきた。
なんとなく、この同級生の少女から寂しさを感じた。




