第二十三話「閉ざされた小屋」
吹雪が神の怒りに触れたように吼え狂っていた。
今にも吹き飛びそうな粗末な小さな小屋の中で、遭難した大学生パーティの男女が5人、かろうじて風雪を凌いで身を寄せ合っていた。
薄い板でできた壁と屋根に吹き付ける風と雪の音が、時折、バシン、ドンと内部に響き、一同を驚かせる。その度に押し潰れそうなほどの不安に顔を見合わせる。
「まだ、天気が回復しないな……」
「ちくしょう……天気予報は晴れだったのに、やっぱり引き返せば良かったぜ」
「どうすんのよ、あたし明日には帰って授業もバイトもあるのに……」
先の見えない恐怖がメンバーを覆う。
「それどころじゃねえだろう。こんな時に何言ってるんだ」
皆、苛立ちが募る。助かりそうな糸口がなくただ時間が過ぎて行く。
「だいたい、今日は山に入らない方がいいっていわれたのに、入るっていったのはお前だろ」
「何、あたしのせいだっていうの? あんただって賛成してたでしょっ」
気が立っているメンバーは仲違いを始める。
「やめろ、今は無事に戻ることを考えるんだ!」
大学生メンバーの一人、上村はあくまでも冷静さを装うように眼鏡をかけ直し、ともすると恐怖に押しつぶされそうなメンバーたちを叱咤した。
疲労困憊の中、かろうじてこの小屋にたどり着けたのは、幸いではあった。
しかし、いっこうに吹雪がやむ気配も助けがきそうな気配もなかった。
「もっと、火をおこせ――。そうすれば必ず助かる」
心細く燃える暖炉に薪をくべる。
小屋を覆う恐怖と不安を払拭するべく励ます。
一方で上村は心の底で後悔をしていた。
自らがもっと適切に判断していれば、この事態は回避できていたのではないかと――。
その数時間前。
一行は天気予報どおりの快晴の中、雪中のトレッキングを楽しんでいた。
途中までは風もなく、心地よい天気だった。
昼食を取った時も、吹き出した汗を拭うほどで、ピクニックと思うぐらいに、順調な行程だった。
そして氷清岳連峰の山々の雄大な景色も楽しんだ。
「皆、写真撮るぞ」
昼食の後に、記念撮影をする余裕もあった。
「ちゃんと後ろの景色も入ったか?」
「ああ大丈夫だ」
メンバー一同仲良く並んでVサインをした。
デジカメに綺麗に取れた。
「順調だな」
「ああ、そろそろ出発するか」
この分なら予定時間よりもずっと早く目的地に到着しそうだった。
だが――そこから出発して間もなくのことだった。
みるみるうちに空が暗くなり、急に雪が降り始めた。
風向きが変わり、山の方角から肌が痛くなるほど冷たい風が吹きすさぶようになった。
スキーウェアで守られていても寒さを感じるほどだった。ついさっき好天の下でかいた汗はかえって冷たさを増す。
「な、なんだ? 風が……雪も降ってきた」
「寒くなってきたよ」
「早くいこうぜ」
驚く一同は浮き足立ち先を急ごうとする。
上村は、ふと昨日偶然立ち寄った食堂で聞いた若い女性の言葉を思い出した。
『明日は山の日――。天候がもし急変したら、すぐに引き返すように。それ以上先に進んではいけません』
まさに今の状況はそれに寸分違わず当てはまっていた。
これは何かの偶然なのだろうか。
その後にあの美しい女性が言った最後の言葉が上村の脳裏に鮮やかに蘇る。
「二度と山から出られなくなる」
寒さとは別に恐怖で背筋を震わせた。
忠告を思い出した上村は、慌てて皆に伝える。
「おい、みんな、それ以上先に進むな、昨日のあの人の忠告どおり、引き返そう」
必死に訴えた。
だが、メンバーからはすぐさま猛反対された。
「おいおい何言ってんだ? 上村。ここから引き返すぐらいなら先へ進んだ方が早いぞ?」
「引き返すって、本気かよ」
その方が確かに合理的ではあった。予定していた行程は、既に半分以上を過ぎている。
むしろ引き返す方が遥かに手間がかかる。そのことに反論は、できなかった。
「あんな迷信、信じるなって」
上村の進言は、笑って捨てられた。
昨日は恐ろしい言い伝えを聞いて怯えた者も、一晩経ってけろりと忘れていた。
むしろ目の前の吹雪から逃れることに考えが集中していた。
「進もうぜ」
「おう、今から急げば、あと一時間もすれば到着するだろう」
味方がいない上村はやむを得ず一同の意見を受け入れた。
もともと単なる学生サークルがスキーの延長で計画したトレッキングで本格的な登山部チームではない。装備はそれなりにしているが、役割などははっきりしていない。上村も状況に流されてしまった。
(何も起こらなければいいが……)
不安が拭いきれない上村は願うしかなかった。
だが、不安は的中してしまった。
それから、猛烈な吹雪に変わるまで十分とかからなかった。
予想を超える天候の悪化の速さに一行は慌てた。
「な、なんだよこれ」
「こんなのありか!?」
立っていられないほどの強風に叩きつける雪。
お互いの声も聞き取れない。
2、3メートル先も見えず、前に進んでいるのか戻っているのかもわからない。
雪は次第に深くなり、スキーを使ってても進むことが困難になっていく。
「うわっ」
「ひゃあ――」
吹き荒れる風に飛ばされ、倒れる者も続出した。
何度か先頭を交代し、ラッセルなどもして進むが進んでいる感じもなかった。
不可思議な白い迷宮に入り込んだ錯覚さえ覚えた。
同じところを何度もぐるぐる回った。
やがて完全に場所を見失い、その挙句に見たことも無い峡谷に入り込んでしまった。
「ど、どこなんだよ、ここ……」
一人が風の中、ようやく地図を取り出したりもするが、まったく用をなさなかった。
深く降り積もった雪、樹氷、険しい断崖。位置が把握できない。どこを見渡しても雪しかない。
「わ、わからねえ……地図にないぞ、ここ……」
一行は焦りと混乱をきたし始める。
「駄目だ、携帯電波も届かないーー」
頼みの綱の科学的機器も役に立たない。頼る手段がなくなった。
雪が降り積もり、いよいよ身動きが出来ないほど深くなってきたと思った時だ。
「あ、あそこを見ろ!」
一人が前方を指した。
目の前に出現したのは、小さな小屋だった。吹雪をかろうじてしのげる避難小屋だった。
「あ、本当だ、小屋がある!」
「た、助かった」
仲間たちは胸の辺りまで雪に埋もれながら先を争うように小屋の中に駆け込んだ。
「ほら、何してる? 上村。早く入ろうぜ」
「え? ああ……」
だが上村は素直に喜べなかった。まるでここにおびき寄せられたような錯覚を覚えていたのだ。
(タイミングが良すぎる――)
金属でできた粗末なトタンのドアを開けると、ギイっと錆びた音がした。
中は当然電気もなく暗い。
小屋の中は長らく人がいた気配のない、そんな淀んだ空気が埃と共に漂っていた。
しかし、小屋の真ん中には小さな囲炉裏と薪があった。
「お、火を起こせそうだ」
助かったとばかりに、一同は早速持っていたライターを使って備え付けられていた薪に火を点す。
やがて、ぷすぷすと頼りなげではあるが、暖かい火が起こる。
「あったけえ……」
「あったかい……」
猛吹雪を一先ず凌げたことに安堵した。
なんとかここで吹雪を凌いで過ごそう。そのうちに救助が来るか吹雪がやむだろうから――。
だが、それから数時間。上村の悪い予感は当たり、一行はそこから閉じこめられたように身動きがとれなくなった。




