第二十一話「雪耶決意する」
ボクだって幼い子供じゃない。
我がままをいって駄々を捏ねれば、なんでも父さん母さんが願いを聞いてくれるなんて思っていない。かといって大人でもないけど。
ましてや十年以上も離れ離れでやっと会えた母さん。
その母さんの様子を見ればボクが今、無理難題を言っているのがわかる。
じゃあ、それならどうすればいいか考えるべきだ。
ボクの頭によぎった。母さんがダメなら――。
「母さん、じゃあボクはどうなの!? ボクもその山の掟というのに従わないといけないの?」
すると母さんは否定しなかった。だが肯定もしなかった。恐らくは、ボクがそういいだすだろうと予期もしていたようだ。
「雪耶ちゃんは、雪女の血には目覚めたけれど、まだ人里に暮らす人の身。まだ山に住まう者として神託を受けたわけじゃないから……」
「じゃ、じゃあ」
「必ずしも掟に縛られるわけではないわ。でも山とは、これからは切っても切れない立場ではあるのよ」
だが、なおも迷っているようだ。
「おおーい、雪乃と雪耶」
電話に出ていたはずの父さんの、のんびりした声がボクと母さんの緊張した会話を遮った。
のっそりと大きな身体が廊下の奥からぬっと表す。
「お、ここにいたか。今、畑野さんから、父さんの所に今のニュースの件で電話が来たんだ」
「畑野さんが……?」
畑野さんとはうちの地区で消防団長やってる人だ。村で不動産業と雑貨屋を営んでいる。ちなみにその娘の一人が、氷清村の一個下の学年にいる生徒同士でもあった。
「すまないが、手を貸してくれという連絡だった」
氷清村には、山岳遭難や自然災害があった時、消防警察に加えて、消防団と地元ボランティアで結成する山岳捜索隊を作るシステムがある。このシステムを作ったのは、何年か前に夏美ちゃんの父でもある村長さんだ。
観光地として全国各地からお客さんを呼び寄せる一環として安全対策や危機管理の観点から設けられた。
うちの父さんも登山の心得があるとしてボランティアに加わっているが、お金儲けだけを考えるわけにもいかないのだ。
とはいえ、そうそう滅多に招集されるわけではないので、いかに状況が悪いかがうかがえる。
「準備せないかんなこれは。きっと朝から捜索を再開するってことだろうな。手伝ってくれないか?」
「わかったわ。今行くから、待ってて修ちゃん」
大変な役割ではある。二次災害の危険もないわけではない。
だが、父さんはこの要請を引き受けるつもりでいるようだ。
店の経営はずぼらなところがあるが、父さんがこういうものには欠かさず参加するのには理由があり、以前父さんの口から「うちはまだまだ新参だからなぁ」と聞いたことがある。
この土地に住むようになって十四年になるとはいえ、代々住んでいる村民からしたら新参者ということらしい。
積極的に大変な役割を引き受けて、溶け込む努力をしているという大人の事情があるのだった。
「気をつけて、父さん」
「おう、わかってるよ。雪耶。ま、困っている人がいるんだから助けるのは当然だ」
父さんの背中にせめて労りの声をかける。
ごそごそと奥にしまわれている登山用具のある倉庫をあさる音が廊下の向こうからした。
母さんも救助に向かう準備をする父さんの様子を見て少し笑った。
もう一度母さんがボクの方を向く。
「そうね……雪耶は里の子として育ったんだから助けたいと思うのは当然よね」
そしてふうっと息を一つ吐いた。
「きっと、今回の件は本当の雪女ではなくて、雪耶ちゃんと同じ雪ん娘よ。やり方が露骨で幼いし、今はちょうど雪ん娘たちが一人前の雪女になるための修行を積み重ねている時期だから」
母さんはボクを、いやボクの瞳をじっと覘く。
「でも……山に育った雪ん娘たちと仲違いすることになるわよ? それに雪耶自身も修行中の身」
「いいよ! そんなの。あの人たちを助けたいんだ。それにうちに来たお客さんたち――」
母さんはボクの強い意志を感じ取ったようで目を閉じた。
「気をつけるのよ、雪耶ちゃん」
「うん」
「道の通り方と力の使い方、覚えてるわね?」
「大丈夫、母さんに教えられたから――」
もの凄いスパルタ教育で叩き込まれた。
あの逃げ出したくなるような地獄も今は良かったのかもしれない。
「大丈夫だよ」
もう一度繰り返して強調する。
そして力こぶを作って見せる。
母さんは笑みを浮かべた。それ以上は引き止めも反対もなかった。
「行ってらっしゃい、雪耶」
「うん」
そして目を閉じて、意識を集中させる。
山での修行で身につけた技術を今実践する時がきた。
目ではなく心で感じる。
普段は抑えている身体の内部からゆらゆらと湧いてくる精気を。
それを放出する。
「っ!!」
ぶわっと小さな冷たい風が起きる。
その次の瞬間、ボクはただ一枚の白い着物姿の雪ん娘になる。
母さんはゆっくりと頷く。上出来だと言いたげだ。
きちんと力を制御できるようになったのはこの数週間の成果だ。
別にこうなりたかったわけではないが、今はこの雪ん娘の力があることに感謝だ。
「じゃあ、行くよ」
その後、ボクが去った後に母さんが、呟いた一言がボクの耳に残った。
「後のことは母さんが、引き受けるから」
身を翻してボクは家を飛び出した。
雪の降り積もった外へ一人。裸足のままで走り出す。




