第十七話「危機一髪?」
それから大学生たちは店で四十分ほど食事と雑談をした後、そそくさと店を出ていった。
リフトがまた混み始めるとかなんとか。
「ありがとう。色々騒いでごめんね」
眼鏡の感じの良いお兄さんが店を出る前の会計時に声をかけてきた。
「ランチも美味しかったよ、また帰りにも寄れたら来るよ」
「はい、是非よろしく」
店からドアを開けて出ていくところを一礼をし、見守りながら送り出す。
「ご馳走さま」
「ご馳走さまでしたー」
去り際に他の人たちも挨拶する。
金髪お姉さんは相変わらずで、無言でツンと済ましたまま出て行ってしまったが。
なんだかんだでお土産も買ってくれたし、あのお兄さんが親切に声もかけてくれたのが印象に残っていた。
ああいうありがとうの言葉をかけてくれるのが一番うれしいのだ。
感傷に浸る暇もなくお客さんは後から後からやってくる。
これまでの不振を少しでも挽回にするべく休憩時間も惜しんで客席でお客さんを迎える。
そしてまた入口の扉がゆっくりと開く。
「いらっしゃいませ」
今度は女性だけのグループだ。
中を伺うように恐る恐る入ってくる。
恐らくは女子大生か会社員。同じようにスキーウェアを着ているのでスキーかスノボ客だろう。
そしてやはりランチ難民と見た。
声をかけたボクの方をまじまじ見る。
「わあ、可愛い」
「綺麗ーー」
明るい挨拶のおかげか女性たちは、緊張した面持ちから、どこか心を許した雰囲気になった。
「何名様ですか?」
お互いに目配せし、頷きあう。どのお客さんもみせる仕草は同じだ。
「4人です。席、大丈夫ですかぁ?」
「大丈夫ですよ、どうぞこちらへ」
先ほどの大学サークルの人たちがいた席へ案内する。
店に入ろうか迷うお客さんに笑顔で挨拶すると勝率が高い。やはり挨拶は大事なのだ。
自信を持ったボクは次ももっと良い挨拶をちかう。
その分困ったグループもやってきた。
昼過ぎから、来店したおじさん三人組、ビールやおつまみを注文した後、長尻で3時間近くも粘っていた。
温泉旅行で来ているらしいが、やれ、仕事で上司がうるさいとか、顧客がむかつくとか。あるいは若い新入社員の女を食事に誘いたいだの、綺麗だの不細工だの。あまり上品とはいえない話だった。
もちろんそれに関してどうこうすることはないのだが。
そろそろ閉店も近くなりラストオーダーとなりそうな時間帯ーー。
「おーい、お姉ちゃん」
呼ばれてもう何度目かになるオーダーにそそくさと急ぐ。もちろんお姉ちゃんと呼ばれることに何も思わないわけではないが、仕事優先だ。
「はい、ただいま伺います」
テーブルに赴き、腰のポケットにある伝票を取り出す。
「たこわさとビールを追加」
「はい、ありがとうございます」
手早く伝票に書き加える。伝票ももう何枚も重なっている。
そしてゼロ円スマイルも忘れない。
だが、こちらのサービスは今度は逆効果だった。
一人のやや頭頂部の薄い50前後男が、じっと睨んだ後、ぷはっと息を吐く。
突然がしっと腕を捕まれた。
「おいおい、お姉ちゃん。すぐ帰っちゃうのはつれないじゃねえか」
しこたまお酒を飲んで、すっかりできあがっていた。
その酒臭い息にめまいがする。
「え? は、はい、なんでしょう……」
背中がぞくっときた。赤ら顔の目が座っている――。
「もうちょっといてくれよお」
「はあ? あ、あの……厨房に戻らないと」
「いいじゃん、他に今は客もいないんだし」
愛想よくしていたのが、裏目に出たようだ。
(そ、そうか。女の子だと、こういうこともあり得るのか)
自分の油断に後悔した。
「俺たちの相手をしてくれよ」
そういうやいなや、胸に手を持ってこようとした。そこにはできたばかりの膨らみがあった。
(やば、つかまれまれる!?)
「や、やめ……お客さん、ふざけないでください……」
「おうおう、可愛いねえ」
オーダーに気を取られてて、警戒もせずまったく無防備だった。
大人の男の腕力の強さにも驚かされる。
腕を捕まれていて上手に動けない。
「がははは」
「いいじゃんかよ、ちょっとぐらい。それぐらいサービスしてくれたって」
周りの男も、囃し立てる。
あともう少しというところで、その手が止まった。
ぎゅっとその男の腕を別の誰かが掴んだのだ。
「ぎゃあ、いててて?」
突如悲鳴があがった。父さんが男の傍らに立っていて、男の手を縛り上げていたのだ。
つよく父さんに手をねじあげられたため、男はボクをつかんでいた手を離す。
「ひいっ――」
ようやく父さんが腕を離すと、ドライアイスを触ったかのように、手が赤くなっていた。
「な、何すんだ!?」
意表をつく父さんの登場に、慌てる。
「お客さあん、そういうのは別の店でやってくれませんかねえ」
「な、なんだと!? 客に向かってーー」
「ここはキャバクラじゃないんだ、したいんだったら、そういうところの店にいったらどうだい?」
ギロっとおっさんたちをにらみつけた。
「うちの娘に手を出すんだったら客だろうとなんだろうと許さんよ」
そろそろ中年で往時の頃の勢いはないとはいえ、かつて渾名を熊と呼ばれた父さんの体格は、ここでは威圧感を感じさせた。
酔いが一瞬で冷めたのか、急に静かになった。
「で、でよう……」
「あ、ああ……」
その殺気ただよう空気に圧倒されたのか、おっさんたちは、急いで退店しようとする。
「あら、お客さん、駄目ですよ」
すかさずいつの間にか母さんが、にこやかにレジで待ち受けていた。
「……」
「うわ……」
一瞬母さんの美しさにも見惚れている様子だったが、修羅場に降りた仏。
だが。
「お会計を忘れずに」
「か、会計?」
これまたいつの間にか、母さんが金額計算を終えた伝票を持っている。
「はい、しめて、三万とんで五百十二円です」
それどころではないという表情だったが――。
「お会計を」
母さんはにこやかに迫る。
仏はいなかった。天使のような悪魔の微笑みとはこのことか。綺麗だけど、雰囲気や声にドスが効いているのは何故だろう。これが女の経験年数の差か。舐められないための立居振る舞いがあるのだろうか。
「く、くそう」
男たちは促されて、財布を慌てて取り出す。
そそくさと会計を済ませて、出て行った。
「ありがとうございました」
駄目押しで、母さんが礼をいうが、その言葉が届いたかどうかは定かではなかった。
「大丈夫だったか? 雪耶」
「う、うん。何ともないよ」
困った客が出て行ったあと、まだテーブルに残っていた皿やジョッキ、ビール瓶を片付けながら、父さんは呟く。
「まったく、ああいう困った連中が来るのが客商売の辛いところだな」
ボクも相槌をうつ。一緒に皿を片付ける。
「そうだよねえ……でも」
父さんがここまで頼もしく感じたのは初めてだ。
「お父さん頼もしい。見直したよ」
「そうか? 愛する娘と妻のためだからな」
父さんが頭に手をあてていつになく胸をそらす。
「きゃあ、さすが修ちゃん。しびれちゃった」
抱きつく母さんーー。
そのまま父さんと母さん、熱い抱擁を交わし合っていた。
「修ちゃん――」
「雪乃、好きだよ」
そしてボクはひきつった笑顔を浮かべる。
「すいませーん、まだ店、大丈ぶ、……うおっ」
ぎいっと入口の戸を開けて入ってきた新しいお客さんも声をあげる。
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